第174話 過去と未来と その4


「ふぅ、何とか来年度は落ち着きそうだ……」


 さらに数年後、私は院長として何とか職責を果たしていた。残業は増えたが休日は家族で過ごせる時間も増え結果的には良かったと自らを納得させていた。


「そうですね、せんぱ……じゃなくて院長」


「はぁ、天羽あまう、お前はいつまで学生気分でいる? 子供も出来たのに変わらないな」


 そして私には院内では味方よりも敵の方が増えていた。みな一丸となって仕事はしていたが私のやり方に異を唱える者も多く、その筆頭が前院長の父の心棒者だった高見外科部長で反対派の中心だった。


「だって先輩、根を詰め過ぎですし早く家に帰って奥様や星明くんと過ごしてあげて下さいよ~」


 逆に味方の筆頭が横で口うるさい大学の後輩の天羽静葉、当時の彼女はシングルマザーで数年後には彼女と再婚する事になるとは思っていなかった。


「それこそお前もだ。早く息子の迎えに行ってやれ、残業はいい」


「そう言って、また一人で残業するんですよね? 分かってますよ!!」


 静葉の献身的な支えが有ったから病院の立て直しは成功した。もし私が一人だったら必ずミスが有ったはずだ。そして私は私生活ではミスを犯していた。妻の経香が不倫していたのだ。




「よりにもよってお前とはな……高見、これでも腕は信頼していた」


「ふざけるな!! お前の後釜と言われ続けた俺をバカにしていた癖に!! それに経香さんとは高校からの付き合いだった、お前が見合いで後から取ったんだ!!」


 このように泥沼状態になった。よく有る同窓会で再会という陳腐な話がきっかけだった。しかし別な問題が有った息子の星明だ。今回の不貞行為を見ていたのだ。


「パパ? ママ?」


「星明、ママと来るわよね?」


「で、でも……僕は」


「こんな人殺しよりも本当のパパの方が良いわよね?」


 そう言われ私は何も言えなかった。そして妻だと思っていた女の本性がこれだと知って絶望した。しょせん俺は、私は、人殺しなのだと幾ら償っても消えない罪なのだと実感させられた。


「パパはお医者さんだよ、ママ?」


「違うの、この人はね――――「黙れ!! 出て行きたければ二人で出て行け!!」


 我慢出来ず叫んでいた。遂に私は一人になる決意をしたが事態は思わぬ方に動いた。離婚成立と同時にいきなり経香と高見が行方不明になったのだ。そして残されたのは私と星明だった。


「パパ? ママは?」


「あの女いや……母さんは」


 私は言葉に詰まった。口下手な私は息子に真実を告げるのは無理だった。休日にチェスを打つ事しか星明と接していない私には不可能だったのだ。家庭を任せっ放しで休日だけ父親をしていた弊害がここに出てしまった。


「僕がヒメちゃんと遅くまで遊んでたから怒って帰って来ないの?」


「そ、それは……そうだ!! それで暫く経香は帰って来ない、お前が良い子にしていればいずれ戻る、今日はヘルパーさんが来るから待っていなさい!!」


 私は星明の言葉を利用した。情けないが他に何も思いつかなかった。これで名医などと呼ばれていたのだから笑い者だ。そして、その後に経香と高見による病院の資金の持ち逃げが発覚した。


「なっ!? この二人は庭師の天原夫妻……星明は娘とも……まさか!?」


 すぐに調査すると二人の逃亡を手助けした者らが判明した。経香が雇って欲しいと言って来た夫妻で私は二つ返事で庭師として雇った者だった。それに星明もその家の娘と懇意にしていたから安心していた。しかし全ては後の祭りだと知った。



――――星明視点


「後は知っての通りだ……これで満足か?」


 工藤先生の話は途中から父の独白に変わっていた。俺の失われた過去の一部は母や不倫相手の罪と綺姫の両親の件なども含め余りにも重過ぎる過去だ。


「そ、その……アタシの親が本当にすいま――――」


「お前が、いや君が謝る事は無い天原綺姫……春日井くんの調査と何より当時の君の年齢で事件に加担するのは不可能だ……分かって、分かってはいたんだ……だがっ、俺は……私はっ!?」


 人間不信になって全てを疑い最後は怒りで我を忘れ贖罪と後悔に押し潰され続けた結果、父は歪んだ。俺を虐待したのは許さないが母の最低な言動から俺が高見という男の子供だと不安になる気持ちは分かる。納得したくないが分かってしまった。


「父さん……」


「先輩は……あなたのお父さんはずっと耐えてたのよ」


 だから静葉さんは父の言動や行動を積極的に止められず見守っていただけだった。そして献身的に今日までサポートしていたんだ。


「これで少しはスッキリしましたか葦原院長?」


「話した所で何にもならんさ。これからも過去の罪をあがなうだけだ。奪った命のために……それしか今の私には出来ない」


 工藤さんの言葉にも父はかたくなだった。同じ立場ならそう考えるだろうと俺は生まれて初めて父に同情した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る