第142話 想定外 その2
言葉の意味が一瞬理解できなかった。否、理解は出来たが理解が追い付かなかった。それだけ衝撃的だったのだ。
「そもそも働く意味……もう、無かったしね」
「それって……まさか」
「うん、去年から危なかったけど、今年に入って……ね」
その顔は店でよく見た何かを隠そうとするポーカーフェイスだった。こうやって嫌な相手にも対応しろと言われたのは俺が高校入学してすぐだった気がする。
「美里お姉ちゃん、葦原先輩に
「あ、あの~、立ち入った話なのは分かるんだけど説明いい……ですか?」
話に付いて行けない綺姫が何となく察しながら俺達を見て言うと答えたのは意外にもレナさんだった。
「良いわよ、あんたも呼んだのは私の恨み節を聞いてもらうためだし……広大は、私の弟よ、そんで三ヵ月前に逝っちゃったの」
やはり亡くなったのか……俺は直接会ったことは無いしレナさんから話を聞いていただけだ。それでもレナさんが俺に良くしてくれたのは弟さんと同い年だったからなんだと思う。
◆
「弟さん?」
「ええ、あんた達と同い年……でも昔から体が弱くてね、しかも難病になった」
綺姫の問い掛けの中身を全て過去に聞いたから黙っていた。レナさんは弟さんのために稼げる夜の街に単身やって来た。両親や当時の恋人にも反対されたが借金して弟の広大さんを最新の医療の整った病院へ入れたそうだ。
「ま、そこまでは良かったんだけど当時の私はバカで借りる相手も信用する相手も全部間違えたのよ」
だが実際は入れた病院は名ばかりで医者は口だけの二流ばかり、さらに借金相手はジローさん達よりも数倍はクズな連中で、ジローさんの店が天国に見えるくらいには悲惨な仕事もやらされたそうだ。
「それで俺と出会う一年前にジローさん達に売られた……ですよね?」
「ええ、ある意味そこの小娘と同じね。買い主がジローさんかセイメーかの違い」
借金相手が変わっただけで生活は各段に楽になったと言うのは強がりか本音かは分からない。俺はこの人の本心は分かるようで分からない事が多い。良くはしてもらったが俺達は傷をなめ合うような互いの隙間を埋め合うだけの関係だった。
「そう、なんですか……」
「どうしたの? 話せって言ったから話したのよ?」
「はっ、はい……その……」
一方で話を聞いた綺姫は完全に口が重くなっていた。さっきまでは俺を取られないようにと必死だったのに事情を聞いて困惑しているのだろう。本当に綺姫は甘い。でも俺はそこに惹かれた部分も有ると思う。
「やっぱり、ギリギリで地獄を見なかった甘ちゃんにはキツいか、ま、そんな感じで頑張ったんだけどダメでしたって話よ」
「で? なんで今さら葦原先輩に手ぇ出そうとしたの?」
すると今まで黙っていた小谷が喋ったが俺は今ので確信した。レナさんは本当に夜の街から出て行く気なんだと理解してしまった。
「最後に可愛がって、それに世話になった男に抱かれたい……そう思っただけよ」
「なっ!? そ、それは……ダメ、ですから……」
綺姫が震えながら言うが語尾は最初の頃より明らかに弱い。
「はぁ……あんた、そんなんでセイメーの恋人やって行けるの?」
「レナさん、それは今関係無い話では?」
「セイメーあんたは黙って、ねえ泥棒猫ちゃん出来ないならセイメーを返して」
俺を見る目がマジだけど同時にレナさんの中には別な意図が有るようにも思える。そもそも先ほどからレナさんの言葉には違和感が有った。
「レナさん……には同情します。ほんとです。かわいそうですし……」
「あんた煽ってるの? それとも平然と人の地雷踏み抜くの好きなの?」
綺姫の良い所は素直な所だが逆に悪い所も素直過ぎる所だ。自分の気持ち優先で他者を省みない強引な所だ。でも俺はそこに強く惹かれたんだと思う。
「ち、違います!! でもアタシは……星明が世界で一番大事で……だから!! 誰にも渡しません!!」
「それを今後、私以上に厄介な人間に会った時にも言える?」
大声で返事した後に首を縦に振りまくっている綺姫を見て俺は苦笑していた。そしていい加減レナさんの目的も分かった。
「本当に……最後までご心配おかけします」
「まあね、こんな小姑みたいな事したくなかったけど……どこか広大を重ねてた男の行く末ってやつが気になったのよ」
「光栄です、夜の蝶のトップにそう言ってもらえて」
俺が苦笑して返すと初めてレナさんは笑顔を浮かべて「生意気に育ったわね」と言って向こうも苦笑していた。
「えっと……星明? ど~いうこと?」
「あれですよ天原先輩、たぶん美里お姉ちゃん自分に報告とか無かったから意地悪したかった感じなんですよ~」
恐らく小谷の言う通りだ。普通に俺に会うならジローさん経由で呼び出してもらうだけで良いはずだ。弟さんの話にしても俺が夜のバイトをしていた頃には分かっていたのに話さない時点で既に吹っ切れているのだろう。
「レナさんも案外可愛いとこ有ったんですね?」
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