第73話 終わる契約 その1


「こういう時チェックとか言うべきですか?」


「ぐっ……違う。ありがとう……ございました、だ」


 そう言って父は倒した自分のキングを見ながら歯ぎしりして震える手を差し出して来た。だから俺も応じて再び強く握った。


「うぐっ!? やっ、止めろぉ星明!! ううっ……」


「悪い、今のはわざとだよ……父さん!!」


 そう言って手を離すと勢いよく勝手に転んで尻餅を付いて倒れた。チェス盤や駒が飛び散るが構わない。試合はもう終わったのだから助ける必要も紳士的に振る舞う必要も無い。


「ええ、勝者は星明くんで決定です、異論は?」


「ぐっ、だがっ……これは、ぐぬぅ……」


 T・レディの言葉に異議を挟もうとした父だが鋭い眼光の前に怯んでいた。情けないとも思うが仕方ない。俺も対局した時の圧は凄かったし理解はできる。


「認めてもらう」


「なっ、ならん!!」


「今さら無かったなんて言うのかよ!?」


 だが父は諦めが悪かった。痛そうに手をさするが潔さなんて欠片も無い。それよりもいい大人が約束を反故にするなんて最低だ。


「絶対に認めん!! その女だけは!! 貴様ら……どこまでも俺をコケに!!」


「佐伯、葦原父を静かにさせて別室へお連れして」


「はっ!! かしこまりました総裁!!」


 そこで動いたのはT・レディと部屋の周囲にいた黒服たちだった。彼らは父を拘束すると何か叫ぼうとする口を手で押さえ最後は強引に外に連れ出した。そのまま静葉さんも後を追って出て行くと部屋の中は一気に静かになっていた。




「終わった……の?」


「みたいだ綺姫」


 俺と綺姫があっけに取られている間に事態は一気に進んだ。まず父だが例の黒服軍団が面倒だと昏倒させ運ばれて行くのを先ほど見送ったばかりだ。静葉さんが苦笑しながら父に付いて行くと最後に近い内に会いに行くと言って船を降りて行った。


「では、お話ですね星明くんそれと綺姫さんも」


 それで今は謎のマスクの女、T・レディが話をしたいと言われて俺達は今までと今後の説明を受けていた。


「あなたのお父様は私と静葉さんが黙らせますのでご安心下さい。ただ静ちゃんは個人的に会いたがっているので、その辺はお任せします」


「母ともずいぶん懇意なんですね」


「そうですね十年以上の付き合いですから……それこそ、あなたの実家の例の事件が起きる前からのね?」


 それを言われてビクッとする。父があんな風になり家族がバラバラになった原因だ。俺は当時まだ小学校に上がったばかりで知らなかったが父に無理やり中身は聞かされた。


「事件?」


「そういう事件が昔……有ったんですよ綺姫さん。詳しくは差し控えます聞きたければ星明くんに聞くといいでしょう」


 俺は直接の関わりは無いが実家の起こした事件で当時、父は火消しに必死だった。祖父や離婚した母それに多くの関係者が引き起こした事件で父は後始末だけを押し付けられた。あんな父だが同情するくらいあの人は裏切られ続け歪んだ。


「ああ、それと星明くん?」


「なんですか?」


「あなた、お父さんに勝ったのでボーナスは無しですよ」


「あっ……」


 そういえば賭け試合で負けるように言われていた。それなのに事情がコロコロ変わって俺は綺姫との生活を守るために父に二回も挑み勝利してしまった。


「ですが私の用意した試練に見事打ち勝ったのは素直に称賛します」


「それは、どうも……」


 彼女の話では父や静葉さんは一度は実家に戻ったそうだが昨日、急遽呼び出し場をセッティングしたそうだ。綺姫は解決して良かったと言っているが俺はそれだけとは思えない。聞きたい事は山積みだ。


「何か有りそうですね星明くん?」


「あなたが俺に、いえ俺達にここまでしてくれる理由が分からない」




 俺の言葉にT・レディは口元の笑みを崩さずに紅茶を一口含むと「ふぅ」と息をはきながら話を続けた。


「あら、ただの親切心ですよ?」


「冗談はそのマスクだけにして下さい……」


 俺が単純な男だったら謎の金持ちが道楽で助けてくれたなんて思っただろう。ヤクザと大病院の院長を軽く牽制する明らかに強大な権力を見せてながら、ただの親切な人は無理が有る。


「星明……七海さん悪い人じゃないと思う……けど?」


「ふふっ、ありがとう綺姫さん……でもハズレ。私はとびきりの大悪人ですからね」


 そう言って口にチャックしますと言ってジェスチャーをして笑っていた。しかしマスクの奥の目は笑ってない。


「話す気は無いと?」


「ええ、ですが良い話も有ります。聞きません?」


「これ以上、何を?」


 良い話と言われて父との戦いを仕組まれた身としては警戒しない方がおかしい。おまけに向こうは騙し討ちのようなことをしたのだから当然だ。


「もし詮索しないのなら綺姫さんはもちろん、あなたの失った学費の方も全て私が補填させて頂きます」


「えっ……」


「迷惑料それと口止め料です。いかがですか?」


 こちらの目的も筒抜け、しかも俺達に有利な条件にしてまで詮索を避ける。話の筋は一応は通っているけど何かまだ有るはずだ。


「その……即答は難しいです」


「ではアルバイトの最終日までに連絡を、私はこちらで待っていますよ」


 そして渡された名刺をもらい俺は固まった。千堂グループ総裁『千堂七海』日本とかいう規模ではない世界規模の大企業グループの総裁の名が記されていた。


「嘘だろ……」


「ええ、そして七瀬の師でも有りますから、あなたの師匠の師匠ですね?」


 マスクを取った美貌は凄まじく、怜悧な美しさと表現すれば良いのか圧倒されると同時に俺の病気が出そうになるが綺姫が抱き着いて我に返ることが出来た。


「星明、ダメだよ?」


「ああ、そうだね……綺姫たすかったよ」


「よかった……星明にはアタシがいるんだから!!」


 世界的な大企業の総裁に乱暴狼藉を働いたなんて洒落にならないから当然だ。そして俺は七海さんが出て行くと無言で立っている二人に声をかけた。


「それで、説明してくれますよね二朗さん、七瀬さん?」

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