第72話 乗り越えた先で… その3


「二戦目はすぐに開始しますか?」


「俺は……少し休憩を」


 俺がT・レディの申し出を受けると父は「休んでも何も変わらない」と皮肉たっぷりに言われ部屋を後にした。綺姫も一緒に来ようとしたが俺はそれを断って通路に出ると下の海を見る。黒くて暗く冷たい海に月明りが反射していた。


「どうしたんだい星明くん」


「瑞景さん? 何でここに?」


 今回はジローさん達に車で送ってもらったから瑞景さんが来ているのは不自然だ。だが同時に謎の安心感も有った。


「珠依も気にしてたから様子を見に来たんだ」


「そうだったんですか、実は……」


 俺は気付けば今日のいきさつを話していた。そして俺の迷いも……やはり事情を知っている人に話をするのは安心する。何より俺が綺姫に付いている嘘の中でも特大の嘘、俺が彼女を好きだという話が出来るのは海上と瑞景さんだけだから。


「なるほど、でも答えは出てるんじゃないかな?」


「いえ、まだ俺の中では――――「迷ってるんだね?」


「はい……」


 瑞景さんが珍しく俺の言葉を遮って早口に言って俺は思わず頷いていた。


「迷っている時点で君は少なくとも何かを掴んでる。君は綺姫ちゃんとどうしたい? 迷いなんて言葉や言い訳なんか抜きで……そうすれば答えはすぐに出ると思う」


「だけど……俺は」


「ふぅ、煮え切らないね。じゃあ残りは彼女と話すべきだ、頑張れよ星明」


 初めて呼び捨てにされたり、ポンと軽く肩をパンチされたりしたのも驚いたが瑞景さんで影になっていた後ろに気付けば綺姫がいた。




「そ、そのぉ……瑞景さんが来いってSIGNで連絡もらって」


「そっか」


「あのね……星明、アタシは何があっても応援してるし信じてるから!!」


 だけど、その目が不安そうに揺れていて俺はどうすべきか分からないでいた。でも一つだけ分かっていることが有る。それは俺のしたいことだ。俺は綺姫と一緒にいたいし離れたくない。


「分かった……じゃあ綺姫お願いが有るんだけど、いい?」


「え? なに? アタシに出来るならなんでもっ――――んんっ!?」


 そして俺が今一番したい事は綺姫とキスしたいだ。凄い興奮する……病気を言い訳にしないでキスを迫ったのは俺の記憶の有る限り恐らく初めてだ。


「ふぅ、綺姫……父さんとの対決だけど、勝つよ」


「んぅ、ふぅ……う、うん」


 真っ赤な顔でボーっとしているのは不意打ちだったからだろうか。だけど俺の心臓はどくどくと脈打って頭が暴力的な欲求を求めて来る。


「綺姫、終わったら大事な話が有る……だから見守ってて」


「えっ、うん……分かった、よ?」


 俺は再び綺姫の顔を見ると凄まじく興奮するのが分かった。俺は彼女をここまで狂おしいほどに愛していると理解できた。理解できてしまったんだ。


「行こう、夜風はあまり体によくないからね」


 頭は綺姫とのキスで暴力的に興奮している。いつもの症状だけど同時に俺は妙にスッキリもしていた。いつもの我を忘れるような興奮とスッキリしたような不思議な感覚が俺を包んでいる。


「星明? 大丈夫?」


「ああ、もう大丈夫だよ……綺姫とのキスのおかげかな?」


 もしかしたら俗に言う賢者タイムとかいうやつかも知れない。今までこんな経験は無かったから不思議だった。だけど俺は今度こそ乗り越える。



――――綺姫視点


「では、二戦目スタートです」


 T・レディさんの言葉で試合が始まる。でも最初の握手で星明は手を思いっきり握ってお父さんがたまらず怒鳴っていた。星明は力加減が難しいとか言ってたけど何か有ったのかな?


「星明くん、何か違う?」


「私は普段の彼を知りませんからねえ、お二人から見たら違うんですか?」


 ちなみに試合中の私語は当たり前のようにOKになってて試合をしている二人以外は喋り放題だ。注意してた私も普通に皆と話していた。


「ええ、ななみっ……じゃなくてT・レディさん」


「え? ななみってT・レディさんの名前?」


「ええ、実は七海と言うんです、皆さんが隠せとうるさいから、綺姫さんも名前で呼んで下さいな。苗字の方は出すと問題も有りますし何より……」


 何より苗字はあまり好きではないとT・レディいや七海さんは言った。何か嫌な思い出でも有るんだろうか。そして私達の話している間にもゲームは進行していた。


「ほう、一進一退ですね」


「え? でも星明の方が不利なんじゃ?」


 私も昔、小さい頃にチェスを教えてもらったことがあって少しは分かるから七海さんの言葉に疑問が有った。それに星明とスマホでチェスをしていた時と似た流れだったから少し理解できた。


「ええ、一見すると葦原父は先ほどのキャスリングで有利に立ったように見えますが……これは」(別人ですね……打ち方が狡猾になってる)


 そう言って七海さんはマスクの下から私を射抜くように見た。ゾクッとして恐い。まるで内側まで見透かされてるみたいだ。


「ふぅ……」(まだ気付かれるなよ)


「少しはやるようだが……これ、で、なっ!?」


 状況は中盤も終わり終盤に入った。だけどここで初めてお父さんの余裕の表情が崩れた。対して星明は能面のように顔を崩さず、でも顔は真っ赤で不思議な感じだ。


「どう、しました?」(気付かれたか?)


「いや、何でもない……」


 でも私の気のせいみたいでポーカーフェイスに戻っていた。でも同時に私はT・レディこと七海さんの口が三日月形にニヤリと変わるのを見てしまった。



――――星明視点


「はぁ、はぁ……」


「どうした?」


 息が上がって来た。これは疲れているからじゃない。単純に綺姫とのキスが中途半端で興奮し内からの暴力的な衝動を抑えているからだ。キスの代償は大きかった。


「何でも……ないですよ」


「なら打て」


「……分かってる」


 そして俺は最後の一手を打つ。永遠のようで一瞬の時が過ぎ去ったような感覚が俺の中を支配したが、それに終わりを告げるように盤上でカツンと音が響いた。

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