第一章 人生五回目の聖女①

 私ののうには、四回目の人生の記憶がまだせんめいに残っている。手の震えが治まらないけれど、今すぐにすべきことが別にあった。

 私は立ちくすクリスティーナをひとにらみしてから声を張り上げる。

「お父様!」

「今の音は何だ? ……セレスティア、何かあったのか」

 今日は私とクリスティーナ、二人の啓示をまとめて受けるために家族そろってしん殿でんへと向かう予定だった。お父様は支度が済んでちょうどこのロビーへやってきたところらしい。

「お父様、お久しぶりです。再会したばかりですが、お願いが! ……今日はお父様と同じ馬車に乗せてくださいませんか」

 私の申し出にクリスティーナは愛らしい顔をしかめた。

「セレスティアお姉さま、何を仰るのですか。お父様と同じ馬車だなんて……そこはお母様の場所です」

「久しぶりにお会いできたんですもの。昨夜のばんさんには呼ばれなかったもので……ゆっくりお父様とお話ししたいですわ」

「!」

 クリスティーナがひるんだすきをついて、私はお父様より先に馬車へと乗り込む。

 昨夜、お父様が戻っているのにままははと異母妹が知らせてくれなかったのはちがいなくわざとだ。つい数分前までの私なら悲しい顔をして終わっていたけれど、今は文句のひとつも言いたくなる。

 でも、私がお父様と同じ馬車に乗りたいのは継母と異母妹のいを告げ口したいからではない。今日はとても重要なぶんの日なのだ。

 この日。神殿へと向かう馬車でお父様は強盗に襲われて命を落とす。

 その結果、最初の人生の私は無一文でスコールズしやく家をほうり出された。『先見の聖女』と啓示を受けたので私自体は困らなかったけれど、領民はえた。

 二度目の人生、ループしているというじようきようが受け入れられないうちに同じことが起きた。やっぱり領民は飢えた。

 三度目の人生、クリスティーナといざこざを起こし、私への継母からの平手打ちと引きえに何とか馬車の出発をおくらせることに成功した。

 お父様が乗った馬車は強盗に襲われなかったけれど、代わりに同時刻・同じ場所で別の馬車が襲われた。それに乗っていたのは、私が知っている人の大切な人だった。

 四度目の人生、馬車に護衛をつけさせた。お父様も迷っていたところだったから対策自体はスムーズだった。

 けれど、この時に護衛を見て馬車を襲わなかった強盗たちが大悪党に成長をげ、数年後に銀行を襲いたくさんの人がせいになるというだいさんにつながった。

 私をこんな状況に置いておくお父様には言いたいことが山のようにあるけれど、領地で暮らす人々のことを思うと救わないわけにはいかない。

 そう考えているうちに、馬車はゆっくり走り出した。


「セレスティア、昨日、帰宅のむかえと夕食に来なかったのは体調が悪いからと聞いていたが……もうだいじようなのか」

「はい、お父様。そもそも体調は悪くないのです」

「それならよいが……セレスティアはいつまでべつむねで暮らすのだ。まあ、マーシャが侍女をつけ、たえずだんに火を燃やし食事を運んでいると言っていたが……マーシャやクリスティーナと距離を置きたい気持ちはわかるが、母親にあまり手間をかけさせてはいけないよ」

 すがすがしいほど、見事に全部うそ。これをすんなり信じているお父様って鹿なのかな。

 マーシャ、といとし気に呼ばれた継母の顔を思い出し、私はなまぬるみを浮かべた。

 その間に馬車は街中へと入っていく。この人生では久しぶりに見るにぎやかな街の光景。午前中から賑わうベーカリーにカフェ。行きう人々。

 昨夜積もった雪がけたいしだたみの道を、馬車はカラカラと進む。

 そろそろだ、と思った瞬間、ガクンという大きなしんどうに私とお父様は前のめりになった。

「だ、だれか! 誰か!!!」

 急に外がさわがしくなった気配がして、ぎよしやろうばいする声が聞こえる。

「何だ。一体何が起きた」

 馬車から出て状況をかくにんしようとするお父様の手を、私はにぎって止めた。

「お父様。ここから出てはなりませんわ」

「しかし」

 これはねらった通りのことだ。あせる必要はない。

防御プロテクシヨン》、《反射リフレクシヨン》。

 小声で唱えると、馬車の周囲に光がきあがった気配がする。内部にも真っ白な光が入り込むけれど、いまは明るい午前中。お父様は気がついていない様子だ。

 今日、私がこれから神殿で受けることになる『けいの儀』。私は過去四回の人生すべてで『聖女』になった。

 聖女にもいくつかの種類があるけれど、二度目の人生のときは『戦いの聖女』だった。実際にこくりゆうとうばつの現場にもけんされたし、心得はある。

「お父様……強盗です! 馬車に飛び乗ろうとしています」

「セレスティア。カーテンを開けてはいけない。お父様の近くへ」

 カーテンのすきから、強盗たちが馬車に飛び乗ろうとしてはね返されているのが見えたのは言わないでおく。ぼうぎよほうに重ねて、反射魔法もかけたのだから当然だった。

 それから十数秒。

 馬車のれが収まったのを感じて、そろそろ強盗はあきらめたかな、と思った私は二つの魔法を解いた。お父様も同じことを思ったようで、私をきしめていた手をほどく。

「何とおそろしい……。セレスティアはここにいなさい。私が様子を見てくる」

「待ってください。ここは街中ですから、すぐに警察が来ますわ。もう少し」

 言い終えないうちにお父様がドアに手をかけてしまった。

 がちゃり、と馬車のとびらが開いた瞬間だった。

「うわあああ!」

「お父様!」

 お父様が馬車の外に引きずり出される。ほとんどの強盗は石畳の上にびているけれど、一人だけ無事だった者がいたらしい。

「おまえ! 上玉だな、こっちへ来い!」

「!」

 こうげき魔法を使おうか躊躇ためらったしゆんかんに、ごうとうの手が開けっぱなしの扉から私に届く。

 あ、どうしよう。そう思ったときだった。

 横から伸びてきた手が、目の前の強盗のひげづらなぐった。ばきっ、と音を立ててその顔はへにゃりと曲がった。

「え」

 。武装した相手に、素手って。

 たおれ落ちて行った髭面の代わりに現れたのは、高貴なふんただよわせた青年だった。アッシュブロンドのかみうすめの茶色に見えるけれど、太陽を受けた部分は銀色にかがやく。

 吸い込まれそうに深い、いろひとみ。彼が私から目をらして強盗が伸びたのを確認した、そのたった数秒間のまぶたの動きにうれいがあって、どきりとする。

「……!」

「馬車がおそわれたみたいだが……大丈夫か?」

 おどろきすぎて声が発せない私に、素手の一発で強盗をのした彼は美しい顔立ちにぴったりのさらりとしたこわいろで言った。

 私は、彼を知っている。

 もちろんこの人生では初対面だけれど。


 警察がとうちやくすると、私を助けてくれた彼はいなくなってしまった。あつにとられてお礼も言えなかった自分が情けない。

「セレスティア。このまましん殿でんへ向かおうと思うが大丈夫か」

「……ええ、問題ないですわ」

 警察に強盗を引きわたし終え、後日家で事情ちようしゆを受ける約束をした私は、お父様と二人でまた馬車に乗った。

「さっき……セレスティアを助けてくれた青年にお礼をしないといけないな。名前を聞いたか」

「いいえ……」

「……ああ、こわい思いをしたのに聞くべきではなかったな。すまない。お父様がさがそう」

「お父様。もし見つかったら、私に教えてくださいませ。直接お礼を申し上げたいですわ」

 一応はそう伝えたけれど、あの彼が見つかる可能性は低いだろうと思う。

 彼の名は、トラヴィス。

 一度目の人生でも出会った私の友人。

 スコールズ子爵家を追い出され、こっぴどい形でこんやくされ、居場所を失ってこれ以上ないほどに傷ついていた私を助けて寄りってくれた人。

 けれど友人だったのは一度目の人生でだけ。

 ほかの人生でも会いたいと願い、いつしようけんめい捜したのにめぐり合うことはなく。

 ──どうして今日ここで。

 なつかしい友人との一方的な再会。諦めて忘れていたはずなのにな。


『啓示の』とは、神に仕える職への適性を確認するためにある。身分に関係なく受けられて、『聖女』『神官』『巫女みこ』への適性を判定する儀式だ。

 適性ありと判断されるのはとてもめいなことで、神様に選ばれた人間として敬いかしずかれる存在となる。

 ちなみに『神官』は聖女を守りし、『巫女』は神殿内の管理を行う。神殿は『聖女』を中心としてまわっているけれど、三度目ぐらいの人生までは聖女に選ばれた後も居場所がなかった。これは、私が完全にしいたげられ慣れすぎていたせいな気がする。

 回想しつつ神殿に着くと、ちょうどクリスティーナが啓示の儀を終えたところだった。

「あなた! クリスティーナが!」

 興奮したままははけ寄ってきたので、私は軽くしやくをしてお父様から一歩はなれた。

 そこに継母が自然と収まり、まいがお父様に正面からきつく。

「お父様! 私……クリスティーナは巫女に選ばれましたわ!」

「本当か! おめでとう、クリスティーナ! さすが、スコールズしやく家のかわいいむすめだ」

 なかむつまじい三人の親子と、少し離れてたたずむ私。

 表向き、我が家は『めぐまれた先妻の子と立場がない後妻の子』の二人の娘がいることになっている。

 それは継母が社交界で植え付けたネガティブなイメージにほかならない。

 私のお母様ははくしやく家のれいじようだった。だから、はじめはそのつながりで味方をしてくれる人もいた。けれど、気がつくと周囲には誰もいなくなっていた。

 人の思い込みとはまったくもって恐ろしいと思う。声が大きいほうが有利、小さいほうには反論すら許されない。

「今日、啓示の儀をしんせいしていたのは以上かね」

 大神官様の声が神殿にひびいて、私は三人を横目に進み出た。

「ここにも一人おります。セレスティア・シンシア・スコールズです」

「セレスティア。では前へ」

「セレスティア、って存在してたのか」「あれだろう、スコールズ子爵家のしようわるな方の娘」大神官様のところに辿たどり着くまでに、そんな声が耳に入る。

 私はだんべつむねから出ることはない。お茶会や夜会にも、マーティン様のこんやく者として呼ばれなければ列席を許されない。招待状は継母がすべてにぎりつぶしてしまう。

 そして、不在の場所で悪いうわさが広がっていく。

「呼吸が整ったら、こちらの石板に手をかざすのじゃ」

「はい、大神官様」

 大神官様が指し示したのは、神殿の中央に置かれた平たい石。遠目には書見台のように見えるけれど、歩み寄ると確かに石なのだ。

「適性がない場合は何も起きない。青く光れば神官、白く光れば巫女、──金色に光れば、聖女、じゃ」

 もし聖女だった場合は、石が金色に光ったうえで何の聖女なのかが古代の神話文字でかび上がる。けれど、大神官様はその先の説明をしてくださらない。

 なぜなら、この石板を光らせるのは百人に一人。さらに、聖女への適性があるのはその中でもひとにぎり。この段階では説明は不要だとお思いなのだろう。

 私がこの『けいの儀』を受けるのは五回目。聖女だと啓示を受けてからは神殿に住み込んで神に仕える人生を送ることになる。

 啓示を受けずにげ、全くちがう人生を送ることもできなくはない。

 でも、人を助ける力があるのにそれをかさない人ってどうなの。あれこれに目をつむって自分だけ幸せになるのは違うと思う。

 たぶんこんな風に思うのは、私が『聖女』として四回分の人生を積み上げたからこそで。わりとひどい人生を送ってきたのは認めるけれど、そこで得たきようを捨てるのはいやだった。

 私は大神官様に軽く礼をして石板に一歩近づくと、息をいてから石に手をかざした。

 その瞬間に、石の真ん中にやわらかな光がきあがる。一瞬で輝きは石全体まで行きわたり、まばゆいばかりにこうこうと神殿全体を照らした。

「金色」「せ、聖女!」

 周囲がどよめいたのがわかる。

 確かに、これは金色の光で。

 ──けれど、おかしい。過去四回のときにはこんなことはなかった。

「文字が……」

 古代の神話文字が浮かび上がらないのだ。大神官様も同じことを思っているのだろう。私の背後にまわって石をのぞき込む。その瞬間。

 パキッ。ビシッ。

「えっ?」

 おんな音がし始めたので私は後ずさる。とん、と大神官様にぶつかってしまった。謝ろうと見上げた大神官様はかわいそうなほどにきようがくの顔をしている。

 どういうこと、と石板のほうに視線をもどす。すると。

「割れるとは……!」

 石は、粉々にくだけ散っていた。

「ええっ?」

 この世界に存在する聖女は、『先見の聖女』『戦いの聖女』『いやしの聖女』『ほうじようの聖女』の四種類。

 そういえば、私は四回目までのループでこの聖女四種類をコンプリートしている。何の聖女になるかは毎回違うので、たましいもとづいたものではないのだろうな、と思っていた。けれどつまり、もうこれ以上力はあたえられないということ……?

「我が国で、こんなことは初めてだ」

 大神官様の言葉はざわざわとした神殿内の空気に吸い込まれ、私の耳にだけ届く。

 ──どうしよう?


「後日、あらためて神殿に来るように」と言われた私は、一人で馬車に乗りスコールズ子爵家へと戻った。

 一人になったのは、私が『聖女』になったのを見た継母が気絶したからだ。継母をかいほうするお父様とクリスティーナが同じ馬車に乗り、私を置いてとっとと帰ってしまった。

 口先では私を愛していると言いつつ、いざとなるとあっさり継母と異母妹を選ぶお父様。

 本当にわかりやすく、長いものに巻かれ強いほうにひれすタイプだった。私にばれていないと思っているところがなかなか最低だと思う。

 私は自室のだんに火を入れ、ほつれた室内着にえてブランケットにくるまる。

 今日はお父様が家にいるからまきは使い放題なはず。

 薪をぽんぽんと投げ入れて、火をどんどん燃やしていく。

「こんな生活にずっとえていた自分が信じられないわ……」

 顔を上げると、窓しにごうしやな馬車がしき内に入ってくるのが見えた。

 うちの馬車もはなやかだけれど、それとは一線を画す高貴さ。そして、もんしよう

「マーティン様だわ」

 ヘンダーソン伯爵家のちやくなん、マーティン・バリー・ヘンダーソン様は十七歳。

 どの人生のときも、私が生きていれば必ず婚約をしてくる最低な男である。

 理由は決まって『クリスティーナと真実の愛を見つけた』から。

「一度目のときなんて、お父様をくして家を追い出された直後の私に婚約破棄を言い放つんだもの。けつこんかなわないのは当然だけれど、異母妹のほうが好き、とかいう次元じゃないと思うの。人間として最低よ」

 人間の底辺をう彼の顔を思い出していると、部屋のドアがたたかれた。

 訪問者はいつも食事を運んでくれる使用人だった。けれど、手もとにはスープとパンがのったトレーがなくて、私は首をかしげる。

「何かようかしら」

だん様がお呼びです」

「ああ、マーティン様がいらっしゃったからね」

 私の答えに使用人の表情がこわる。きっと、この先の展開を想像しているのだろう。

 だって彼が訪ねたのは、私ではなくてまいのクリスティーナなのだから。


「すごいね。クリスティーナは巫女みこの適性があると判断されたんだ」

「えへへ。クリスティーナに務まるかはわかりませんが……せいいつぱいがんります!」

「クリスティーナはいつもいつしようけんめいだね。セレスティと同じ家にいては気が休まらないだろう? それなのにがおを絶やさず……本当にえらいよ」

「マーティン様、そんなことはおつしやらないでください! 私は……お姉さまの気持ちをわかってあげたいのです! 早くにお母様を亡くされて……きっと、さびしいおもいを……」

 しばがかった異母妹のこわいろに、もう頭がけそう。

 なにが悲しくてこんなやり取りを聞かないといけないのかな。

「本当にやさしいんだね、君は」

「……お姉さまは聖女に決まってとっても喜んでいらっしゃいましたわ。お祝いのパーティーをすると……張り切っておいでで」

「ひどいな。この家には君もいて、巫女に選ばれたっていうのに。そうだ。今度うちで君のための茶会を開こう。僕の友人たちにしようかいするよ」

「ほ……本当ですか! でも……そんなの、お姉さまに悪いですわ」

「セレスティに文句は言わせないさ。君は、僕の大切な人だ」

 こんやく者である私の名前を思いっきりちがえまくるマーティン様にため息をつく。彼をしたっていた、おくを取り戻すまでの自分がかわいそうで泣けてきた。

 使用人経由でお父様に向かえと言われたサロンにはだれもいなかった。

 もしかして、とクリスティーナの部屋の前までやってくると、こんな感じの、ささやくような話し声がしたのだ。

 二人の関係が特別なものということは過去四回のループでよく知っていた。けれどこんなに生々しい会話を聞くのは初めてで、とびらの前で吐き気がする。

「セレスティアお姉さまが聖女となると……私はこの家でますます居場所がなくなりそうなんです。とっても不安で」

「そんなことはさせないさ。僕の矜持にかけても」

「マーティン様……!」

 ねえそのうすっぺらい矜持に、かける価値ある? いろいろな意味で限界をむかえた私は扉をノックした。

「失礼いたします」

「セ、セレスティじよう……!」

「今のお話はすべて聞かせていただきました」

 マーティン様は一瞬だけろうばいする様子を見せたものの、すぐに立ち直る。

「そ、そうか。そういうことだ。新しいものをきらうという理由で、異母妹をいじめるのはやめることだな」

「新しいものを嫌う? ……私とクリスティーナの誕生日は、数日しか変わりませんのよ。お継母かあ様は、私の母が亡くなった数週間後にはもうしやく夫人の座にいたらしいですから」

「ではなぜ彼女をしいたげる。クリスティーナ嬢はかわいらしい外見や出すぎないいで身のたけわきまえている。さらにしゆううでも確かで、しゆくじよとしてかんぺきだ。社交界での評判はらしいのに、家で居場所がないと泣いているではないか」

 マーティン様は、ひらり、と刺繍がされたハンカチを見せてくる。

 ちなみにその刺繍は私がしたもので、事情を知っていればけにしか見えない。

 ままははが作り出した評判をたてに取って高圧的に振る舞うマーティン様はひどくこつけいだった。いつの間にか彼の背中にくっつき、私から身をかくそうとする異母妹にも腹が立つ。

「私は、そのようなことはしておりません」

「しかし、クリスティーナ嬢は」

 マーティン様の後ろで、異母妹がにやり、と笑うのが見えた。あ、これはこの前見た夢といつしよ……いいえ、ちがう。あれは四度目の人生のときの真実だった。

「マーティン様。私たちの婚約を解消いたしましょう。私よりも妹を優先するのでしたら、彼女と婚約をし直すべきです」

「ま、まままま待て。僕がしているのはそういう話ではない」

「そのセリフはにぎったままの妹の手をはなしてからお願いします」

 ぱ、と二人の手が離れてみような空気が流れた。どこまでもその場しのぎの対応にため息がれてしまう。

「本質を理解していないのはあなたですわ」

 にわかにあせり始めたマーティン様を、私は冷ややかににらみつけた。

「相手をしんらいせずに自分の意見だけを押し付け、都合のいい話ばかり真実とするのはごうまんですわ。そのような方に寄りうのは困難です。幸い、私はこの国で大切にされる聖女とのけいを受けました。この家を追い出されても、しん殿でんが保護してくださいます」

「ま、待ってくれ。冷静に、話を」

「ああ、それからマーティン様。私の名前はセレスティではなくセレスティアですわ。クリスティーナの名前を呼びすぎたのかもしれませんわね。では、失礼いたします」

「話せばわかる。セレスティ……セレスティア! 話を聞いてくれ!」

 真っ青な顔をしたマーティン様にうやうやしくカーテシーをすると、私は淑女らしく退室した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る