プロローグ

「セレスティア・シンシア・スコールズ! 僕は君とのこんやくする!」

「マーティン様。……理由をお聞かせください」

「このおよんでまだしらを切るつもりか! 僕は真実の愛を見つけたんだ。母親ちがいの妹をいじめくなど言語道断だ!」

 ここは、きらびやかな夜会が開かれる王城の大広間。

 たった今、婚約破棄を告げてきた私の婚約者・マーティン様の後ろにはかたふるわせてなみだこらえるまい・クリスティーナの姿がある。

 ──そして、にやり、と笑うのが見えた。気がついたのはきっと私だけだった。


 意識をじようさせて、目を開けた。

 視界が白い。今朝はお天気がいいらしい。でもすごく寒い。

 私はぶるりと震え、ブランケットを身体からだに巻き付けたまま簡素な造りのベッドから下りる。そして、うすすぎてしやこうにも断熱にも何の役にも立っていないカーテンを開けた。

「おかしな夢を見てしまったわ。私の婚約者はたしかにヘンダーソンはくしやく家のあとぎ・マーティン様だけれど」

 昨夜の夢はひどかった。夜会というこの上なく公的な場で、おしたいしている婚約者から婚約破棄を宣言されるなんて。

 けれど、自分のきようぐうを思えば決してありえない話でもないのが悲しい。

「マーティン様は私よりも妹のクリスティーナのほうを気にかけていらっしゃるのよね。この前三人でお茶をしたときも、私のことは完全に眼中にない様子だったわ」

 つぶやきながら、部屋のすみの箱を開ける。そこには二着のドレスのようなものが入っていた。

 一着はよごれとほつれが目立ち、元が何色だったのかわからない質素というにはあまりにぼろぼろのワンピース。もう一着は、薄い水色の夏用のドレス。

「今日、着るのはちがいなくこちらね」

 薄い水色のドレスを広げると、窓の外に視線をやる。雪が積もっていた。寒すぎる。

「セレスティアお姉さま? ……うわあ、寒い! だんに火を入れていないの?」

 そこに顔を出したのは、ちょうどさっき夢に出てきたばかりの異母妹・クリスティーナだった。ヒラヒラのはなやかなドレスに毛皮をまとい、とても暖かそうにしている。

 うらやましい、そう思ったしゆんかんに、ずいとレモンイエローのドレスとはだざわりのいいコートをわたされた。

「セレスティアお姉さま。今日はこちらのドレスを着てね? しん殿でんに行くのにいつもの格好では、私がはじをかいてしまうわ!」

「……ありがとうございます」

 神殿におもむくときだけではなく、だんから暖かい服を貸してほしい。そう思いかけたけれど、あわてて思考を押し込めた。不満を持ち、期待する分だけ自分が苦しくなる。

 この部屋には暖炉がある。けれど、使うことを許されているまきはごくわずか。夜間にとうするのを防ぐためには、朝や日中は使えない。

 ドレスも私にあたえられるものはほとんどない。母方の祖父母が生きていたころに買ってもらったものは全部、目の前の異母妹に理由をつけて持っていかれてしまった。

 ちなみに、最近は家庭教師の先生が私をおとずれることもない。両親が恥をかかないほどのマナーを身につけたら、とんと来なくなってしまった。

 物心がついたころからこんな暮らしをしているので、私には反論する気力までない。


 残念の始まりは、十五年前までさかのぼる。

 私、セレスティア・シンシア・スコールズは、ルーティニア王国の王都・マノンにあるスコールズしやく家に生まれた。

 元々身体が弱かったお母様は、私を産んですぐに息を引き取ってしまった。

 それとほぼ同時期に使用人の女性が子どもを産んだらしい。その使用人というのが異母妹・クリスティーナの母だった。

 子どもの父親はまさかというか案の定というかお父様で。結構ひどい話だと思う。

 その結果、住み込みで働いていたままははは使用人からスコールズ子爵夫人へと成り上がり、前妻の子どもだった私はうとまれてべつむねに育てられることになった。


 部屋が寒いと言いつつ一向に出ていく気配のないクリスティーナのとなりで、私はやせっぽちでがりがりの手足をさらし、自分でえる。

 そんな私を横目に、クリスティーナはひらりとハンカチを取り出してかかげた。

「ねえ、セレスティアお姉さま見て? またお父様とお母様にめられちゃった。こんなにれいしゆうができる子はいないって」

「……よかったですね。図案をいつしようけんめいお考えになっていましたから」

「また私の代わりに働いてくれる? あ、でも、お姉さまが刺繍したっていうのはないしよにしてね? そうしたら私もこっそりおめぐんであげる。おなかがすいているでしょう?」

「……はい」

 私に与えられる食事はパン一切れと具のないスープだけ。それがこの別棟に運ばれる。

 クリスティーナのために刺繍をすることぐらい、食べ物がもらえると思えば造作もなかった。

 鏡に映る自分の姿をかくにんする。久しぶりのドレス姿に勇気づけられて、私は口を開いた。

「あの。このドレスには、あのネックレスが合うと思うのです。そろそろ返していただけませんか」

「……え? いやよ。お父様だって『セレスティア、ネックレスぐらい貸してあげなさい』とおつしやっていたでしょう?」

「そんな……」

 クリスティーナにお母様の形見のネックレスを取り上げられてもう何年になるだろう。どんなにたのみ込んでも返してくれなくて、私はもうあきらめの境地にいる。

 けれど、彼女がたまに身につけているところを見ると、売りはらってはいないらしい。

 顔も覚えていないお母様。その形見がどこか手の届かないところにいかないよう、私はクリスティーナに従うようになった。

「それにしても、セレスティアお姉さまは普段からもっときちんとした格好をするべきだわ。だって、私たちはもう十五歳で、今日は神殿にけいを受けに行くのよ? お父様もお母様も、私にはたくさんドレスを買ってくれるから……身体はひとつしかないのにね? あ、今度、お姉さまにもドレスを作れるかどうか聞いてみるわ! いつもそのボロのドレスで本当にかわいそうだもの」

「……」

「そうだわ。あとね、さっきお父様とお母様にあなたがこの世界で一番大切だって言われちゃったの。この家には、私だけじゃなくてお姉さまもいらっしゃるのにね? そんなことも忘れてるなんて、おもしろくて笑っちゃうと思わない?」

「…………」

 さっき?

「……お父様は領地からこの王都の家におもどりなのですか」

「ええ、お父様は昨夜領地から戻ったの!」

 この家で両親の愛を一身に受ける異母妹は『私の』を強調してからにっこりと笑う。

 普段、領地で暮らすお父様とは半年に一度ぐらいしか会えない関係で。

 私と、継母やクリスティーナの間にきよがあることを、お父様はご存じだ。けれど、ここまで深刻なものとは思っていない。

 私が一人で別棟にいるのも、死んだ母親を思ってのことと本気で信じているらしい。

 本当のことを話してみたい、と思ったこともある。けれど、クリスティーナに取り上げられたネックレスが頭にかんでできなかった。

 古びた姿見に映る私は、落ち着いたストロベリーブロンドに深いルビー色のひとみをしている。きやしやたいまでふくめて、どれもお母様ゆずりの外見らしい。

 かつて、古参のじよ・ルーシーはよくお母様の話をしてくれた。

『この世のものとは思えないほどの、はかなげな美しさのお方でした。セレスティアおじようさまはお母上によく似ておいでです。だからこそ、奥様は冷たく当たるのでしょう』

 ──そのルーシーも、今はもうしきにいない。

 たくを終えた私はクリスティーナに続いておもへと渡る。

 今日は神殿で『啓示の』を受ける日。聖女や神官など、神に仕える特別な職業への適性がないかを調べるのだ。

「何だか、今日はいいことが起こる気がするの。まぁ、お姉さまにはえんな話かもしれないけれどね。世の中には、恵まれた星のもとに生まれる人間がいるのよ?」

「……」

 自信たっぷりのクリスティーナがまぶしい。彼女が恵まれた星のもとに生まれたのなら、私はその光すらも届かない暗い場所に転がる石のようなものだろう。

 重い足取りでろうを歩き、ロビーに差しかる瞬間、嫌な気配がした。

 ──ガシャン。

「キャーッ」

 何が起きたのかわからなかった。

 ホールにひびき渡るガラスが割れる音。まくをつんざくようなクリスティーナの悲鳴。

 私は使用人にかばわれき飛ばされ、いつの間にかしりもちをついていた。

 どうやら足元にシャンデリアが落ちてきたらしい。

「おは」

 めったに話しかけてこない使用人たちもさすがにきんきゆう事態と判断したのだろう。久しぶりの会話に、ふるえるくちびるを動かそうとしたとき。

 ──頭の中にいろいろな映像が流れ込んできた。


 お父様がごうとうおそわれるこんやく留学ベリーソース未来の予知しゆう勇者ってだれなに聖女こくりゆう退治でのいつせんすいせいまい達に突き落とされる勇者と聖女にたてにされて死ぬ回復ほうを使いすぎた後放置されて死ぬ好きだった人に投げ捨てられて死んだ。


「あ、私が今送っているのって、五回目の人生だったわ」

 そうだ、私は人生をループし続けている。

 おくを取り戻すのは毎回決まって十五歳のこの日。雪が降った朝、クリスティーナに借りたレモンイエローのドレスとコートを着て、シャンデリアが落下したしゆんかん

 五回目ともなれば混乱することはない。あっさりとすとんと、胸に落ちた。

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