夫の自殺

 ひとみは若い背の高い刑事に促されてリビングのソファーに坐った。玄関ホールでは鑑識課の警察官が数人で這いつくばるようにして調査していた。遺体は検死が有るというので先程運び出されていった。


「奥さん、大丈夫ですか」


 美鈴みすず大介だいすけというその刑事は青ざめたひとみを気遣った。


「はい。少し目眩が」


「病院にお送りしましょうか。聞き取りはそれからでいいですから」


「いえ。大丈夫です。ここでお話します」


 ひとみは気丈にも刑事に向き直った。


「昨日の夜はどちらにいらっしゃいましたか」


「柏市の友だちの家に行って泊まりました」


「そちらまでの移動手段は車ですか」


「いえ、電車です。わたし運転免許は持っていません」


「他の御家族の方は」


響希ひびきは、高校一年の長男ですが、部活の遠征で千葉の館山に一泊しました。娘の、中二のあきらは、お友達の家に泊まりました。二人とも間もなく帰宅すると思います」


「すると昨日の夜はこの家にはどなたもいらっしゃらなかったんですね」


「はい。そうです」


 刑事は唸って手帳を睨んだ。


「じつは御主人は昨日の夜に、その、ここで、亡くなられたようなんですよ」


「え、でも、朝早くから東京へ……。主人は昨日の朝から二日間東京に出張の予定でした」


 ひとみの眼差しが戸惑って揺れた。


「何か悩んだり思い詰めたりしていた様子はありましたか」


「……思い当たりません」


 ひとみは肩を落とした。


「御家族の皆さんの予定は前々から決まっていたんですか」


「いえ、主人の出張は前日決まったばかりですし、わたしもその日の午後に誘われて急に」


「なるほど。御主人のお勤め先はどちらですか」


 美鈴刑事は電話番号を書き留めると玄関を出た。そこで出くわしたのが先輩刑事の檜垣ひがき要輔ようすけだった。小柄だが敏捷に動く。学生時代はラグビー部だったらしい。


「おう。どうだ。なにかつかんだか」


「何もありません」


「それじゃ、普通に自殺かな」


「そうなんですけどね」


「どうした」


「微妙におかしいんですよ」


「お前の頭がか」


「俺、先輩のそういうところ」


「わるいわるい」


「家族全員留守の自宅で首を吊ったんですよ」


「それがどうしておかしいんだ」


「本人は東京で二泊すると言って昨日の朝早くに車で出掛けたそうなんです」


「死ぬのを誰にも邪魔されないと思って、戻ってきたんじゃないのか?」


「やっぱり、そうだと思いますよねえ」


「なんなんだよ」


「奥さんが泊まりに行くと決めたのは、昨日の昼過ぎだったそうなんです」


「なんだって」


「たまたま連絡してきた友だちと喋っているうちに、そういう話になったそうで」


「それじゃあ、旦那はなんで帰って来たんだ」


 美鈴刑事は「うう」と唸った。


「あと、それから」


「まだあるのか」


「軍手をはめてたんですよ」


「誰が」


「被害者です」


「軍手なあ……」


「これから首を吊ろうって人間が軍手しますかねえ」


 二人の刑事は頭を傾げた。

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