アイルと七十九点の絵描き

スズムシ

アルラウネです


 私には名前がなかった。生物のめすに擬態し、おびき寄せた同種のおすを捕食する植物型の魔物だった。

 これは先日、消化し終えたばかりの冒険者と呼ばれる人間がのこした書物に記載されていた情報だが、人間という種族は私のことを〈擬人花アルラウネ〉と呼んでいた。アルラウネにも種類があり、その生態、生息域に準じて危険度がさだめられ、なかでも私のような人間の居住区域周辺で繁殖する肉食性のものは総じて討伐の対象とされた。

 あの捕食した人間は不運にも私にだまされて命を落としたのではなく、私を殺すためにやってきたのだと考えると危機感を覚えたが、私はもともと機敏に動きまわる魔物ではない。

 母体から飛ばされる種子によって生をけ、大地に根を張り、そこで一生を終える。人間のように夢を追いかけられる脚も、竜のように空をつかむ翼もないのだから仕方あるまい。

 それに擬態をせずとも獲物が向こうのほうから歩いてくるのだと考えると、一概に悪いこととはいえなかった。

 数ある種のなかで、とりわけ人間の肉を好んだ。初めてよわい 三十半ばくらいの女の肉の味を知ったとき、こう確信したのだ。


 私はこの種を食い殺すために生まれてきたのだと。


 理屈などなかった。本能ともいうべき何かが体内で歓喜し、私の脳(あるのかどうかわからないが知性は存在する)に強烈な快感を焼きつけた。以来、一時たりとも人間の味を忘れたことはない。



 そして今、食い殺すべき人間の青年がこちらに歩いてくる。夜の森は月光をさえぎるほどの闇をまとい、霧も生じていたため視界が悪かったが私には人間であるとわかる。彼は疲れきった表情で身の丈よりも大きなバックパックを背負い、消えない火種を閉じ込めた魔法のランタンをぶら下げていた。

 武器になりそうなものは持たず、代わりに奇妙な木製の三脚を小脇に抱えていた。それは絵描きが用いるイーゼルという道具であるのだが、このときの私は知らなかった。

 随分と無防備な恰好をしているのだな、と私は思った。身なりからあまり裕福ではなく食事や運動もおろそかにした生活を送っているようであったが、どのような状態の人間も等しく人間の味がする。私は自分の背中に生える巨大な捕食用のあぎとを隠し、舌なめずりをした。この顎はある程度自在に伸縮するつるによって支えられているため彼は既に射程圏内にいる。とはいえ呪いの魔法やら伝染性の病魔におかされた人間は願い下げだ。直接触れて確かめる必要がある。

 私はじっと待った。

 すると足元ばかり見つめていた青年が顔を上げ、私に向かって手を挙げる。


「こんばんは」と彼はいった。


 私はいつもと同じ動作で軽く会釈をする。


「こんなところで会うなんて、奇遇ですね」


 挨拶というよりは習慣だ。私には人間のめすに似せた声を出せる特技があった。終始無言でいるよりは警戒されずに済む。


「もしかしてきみは魔物ですか」


 私は驚く。

 ランタンが照らすものの、この暗がりの中、たったの一言で私の正体を見抜くとは信じられない。

 今すぐに殺すべきだとは思わなかった。彼は怯えたようすでもなく、敵意もなく、知り合いに明日の天気をたずねるような穏やかな口調だった。 

 

「えぇ、ちょうどあなたを食べようと思っていました」

「そうですか」と彼は笑った。「正直な魔物ですね」

「ありがとう……ございます」


 私は曖昧に笑い、彼の背後に蔓を伸ばした。逃げられないようにするためだった。


「名前はありますか?」


 私の行動に気づく素振りもなく、彼はそう訊ねた。


「アルラウネです」


 冒険者の書物から引用することにした。彼は感心したふうに手を叩く。


「面白い魔物だね……あ、普通に喋ってもいいかな。僕を食べようとするきみに気づかいは無用だろう」

「好きにしてください」

「きみはずっとこの森にいるのか?」

「えぇ」

「動かずに?」

「えぇ」

「変な生き物だ」

「植物ですから」

 

 なるほど、と彼がうなる。


「しかしその体躯を維持するのは大変だろう。動かずに獲物が都合よく現れるとは思えないが……」

「あなたのような愚かな人間がいます」

「たしかに。人間は好きか?」

「好きです」

「肉の味がだろう」

「肉の味がです」


 会話の最中にも私は彼の味ばかりを考えていた。期待と空腹で体内の消化液はごぽごぽと音を鳴らす。


「食べる以外に、楽しみはないのか?」


 餌である人間にそういった質問をされるとは思わなかったので、私は言葉を詰まらせた。


「本を読むことです」


 それは人間を捕食したときに偶然、〈知識〉の魔法がかかった道具を誤飲したことから始まった。この魔法は言語を司る領域を活性化させ、言語理解力を大幅に高めたり、知識そのものを道具に蓄えることができる。しばらくすると魔法の効力は切れるのだが、その時に読んだ書物の内容は、それ自体を忘れてしまわない限り記憶にとどまり続ける。

 魔法の力によって私は、私に殺された人間たちの遺品を読み漁った。時間は腐るほどあった。〈知識〉の効力が切れた後も読んだ書物の記憶を利用し、言葉を入れ替えたりする遊びをしては文章への理解を深め、徐々に言語を習得するに至った。

 私が人間に近づけば近づくほど捕食の成功率は飛躍的に上昇したのだから、私にとって学びは有益といえた。 

 一方で言語への理解が深まれば深まるほど書物は虚無だった。特に物語と呼ばれる空想上の出来事をつづった娯楽は嫌いだ。人間を楽しませるために作られた文章など、魔物にとってはまったくの虚無なのだ。

 金品や衣類も手にしたところで使いみちがまるでない。それ以外にできることがないだけだが、強いていうなら読書が趣味になる。私自身も相当な虚無だ。

 

「きみは芸術がわかるのか」


 彼は目を丸くしていた。


「……すこし」


 控えめにうなずく。

 大方、私が好きなのは物語のほうだと勘違いしたのだろう。死にゆく人間の誤解を正すことは無意味だ。好きなだけ勘違いをさせてやろう。

 

「なら物語を一つ聞いてくれ。孤独な男の話だ」


 彼の口から語られたのは、世界中を旅したいと願った男の話だった。しかし世界には危険な魔物が多くせい息し、魔法を扱う才も、剣を振るう才も、屈強な肉体も、明晰な頭脳も、巨万の富も持たない男は魔術師にも冒険者にも研究者にもなれず、趣味である絵画に心血を注いでいた。 

 膨大な時間をつぎ込んでいるものの、土壌に問題があるのか一向に才能の芽が出ず、優秀な芸術家たちには置いていかれるばかり。これでは世界を旅するどころか馬小屋のようにさびれた六畳のおりで生涯を終えてしまう。

 男には唯一、自分の隣を歩いてくれる幼馴染がいたのだが、冒険者になるという長年の夢を叶えたしらせを受け、ついに心が折れてしまった。

 自堕落に腐っていく男に失望した幼馴染はやがて彼のもとを去っていき、男の種は一度として実りに向かうことなく土に埋もれてしまったのだという。 


「あなたのことですか」


 あきれて溜息まで吐き出してしまった。


「そうだよ。幸運なアルラウネさん」おどけた口調で彼はいう。「実のところ、いま僕はすごく死にたがってる」

「望むならすぐにでも殺してあげられますけど」

「あまり痛くならないように頼む」


 私はあぎとを大きく開き、蔓を持ち上げて彼の首筋に無数の鋭利な棘をあてがう。私の大顎は竜種の牙のようでもある。


「大丈夫です。急所は熟知しています……もっとも、殺した人間の感情はわからないので痛みについては保証しかねますが」

「ごめん、ちょっと待ってくれ」

「命いですか」

「命乞いだよ」と彼はまた笑った。「みっともない人間らしくていいだろ」

ひざまずいてくれたら考えましょう」

 

 この場で彼がどれほど無様に跪こうが泣きわめこうが殺すつもりだった。

 ただ、こう返しておくべきだと思った。


「魔物らしくていいね」


 彼は頸部に触れている棘を優しくでるとイーゼルを立て、大きなバッグを地面に降ろす。一呼吸置いて半身をかがめ、バックパックの中身をまさぐる。

 かすかにアルコールの匂いがした。雨上がりだったため、辺りは湿っぽい香りに包まれていたが、次第に立ちこめる場違いなアルコール臭がどうにも心を落ち着かなくさせる。


「さいごに僕の絵をみてくれないか」


 一枚の絵をイーゼルにける。

 私は、それをまじまじと眺める。どうでもいい風景と、どうでもいい少女が描かれた、心底どうでもいい絵だった。

 不安そうにせられた彼の目を、私は見つめる。


『素敵な絵ですね』


 嘘でもそういえばいい。彼は自分の凡才をうれいている。それでも誰かに努力の成果を褒められ、他者によって自分自身の存在を肯定されたがっている。人間の心理を頭では理解していたが口をついて出たのは真逆の言葉だった。


「どうでもいい絵ですね」


 ある意味で、彼は他者の本音を引き出す才能があるのかもしれない。あわてて取りつくろうとしたが、彼の大声で笑い飛ばされる。

 驚いたようにランタンの火が揺れる。飢えた魔獣とおぼしき遠吠えも闇の奥から響いた。


「まいったなぁ」

 

 人差し指で何度も自分の頬をいた後、肩の上で涎のような粘液(消化液を生成する過程で作られる無毒の分泌物)をらす私の大顎に、彼は軽くキスをした。

 それが人間同士が行う求愛行動の一種であると知っていたため、私は激しく動揺させられた。

 この男の生存本能が死を目前にして性欲を高めたのだろうか。あるいは、単に恐怖で頭がおかしくなっただけだろうか。


「本当のことをいうときみが魔物であることが信じられない。ひとの言葉を話す魔物なんて見たことがないし……そりゃあ話には聞くけどね」


 ランタンの火と同じくらい頬を赤らめた彼は、饒舌になって喋りだす。


「心のどこかで思っていたんだ。ひょっとして僕の理想の人間はこの世にいないんじゃないか。僕の絵を認めてくれる生き物は、人間ではなく、魔物なんじゃないか。言葉を話し、芸術を理解できる魔物が、さらに僕の絵に本音で向き合ってくれる恐ろしいほどの奇蹟きせきが起きてはくれないか」


 僕は奇蹟をずっと探していたんだ。夜が切り裂かれていくみたいにはっきりとした声でいう。


「きみは何からなにまで僕の理想だ。その対価に命をくれというなら容易いさ。死ぬ前にみた幻といったほうが納得できる。だが僕の疲れもそろそろ限界だ。できればもう少し、きみと話がしたかった……」


 彼はそういい残して、私を抱きしめるような体勢で眠った。しばらく呆然としていた私は、ゆっくりと彼の頭部を飲み込む。



 そのまま朝を迎えた。

 結局、私は彼を食べなかった。



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