幕間 ー2


 並んで立つと、セルマの頭はちょうど俺のあごが乗りそうな高さにある。平均的な女性よりもがらなうえ、人形のように頭は小さい。その中に入っている脳も小さいだろうに、セルマはとても賢い。髪の毛はサラサラの直毛。しかもいいにおいがする。

 ななめ上から見下ろすと、長いまつ毛がよく見えた。くるんと上を向き、白い頰に細かなかげを作っている。


「……あまりじろじろ見ないで」


 ぼんやりと正面を眺めたまま、俺にいちべつもくれずそう言ったが、セルマの声にはがない。

 今日は王都のそばまでおもむき悪魔祓いを行った。王都からヲウルしん殿でんのあるユドラッド山山頂までは、馬車で片道三時間ほどかかる。やることを終え我々がヲウル神殿に帰り着く頃には、すでにとっぷり陽が暮れていた。

 神殿の正門付近には、修道女たちの姿があった。帰りの遅い我々を心配し、数人がむかえに出てくれていたのだ。

 団長への報告のため、一足先に神殿へ向かうラーシュの背中を後目に、俺は表情のえないセルマのことが気がかりだった。

 ヲウル神殿は標高が高いせいで気温が下がるのも早く、夜ともなれば冬用の分厚いがいとうがないとこごえてしまいそうなくらいに冷える。まず俺はそれが原因ではないかと疑った。


「いつもより元気がない。どうしたセルマ、寒いか? それともどこか痛むのか?」

「少しつかれただけ。休めば回復するわ」


 セルマはなく返事をするだけで、俺と目を合わそうとしない。


「本当に? でも引いたのではないか? 熱は?」


 心配になり、俺はセルマの正面に回った。手をばしてまえがみを払い、身をかがめて額と額をくっつける。


「……確かに熱はなさそうだな」


 熱くも冷たくもない。おそらく平熱だろう。

 今はよくてもこれから先、熱が上がらないとも限らない。悪魔を一体片付けた気のゆるみから体調をくずし、風邪でも引いたら大変だ。

 セルマを心配していただけなのに、当の本人は迷惑そうに俺の胸に手を当てて、グイッと押して離れようとする。


「ありがたいけれど、本当に平気なの。心配はいらない」


 やはり様子がおかしい。首を振り、こばもうとするセルマの細い手首を握った。


「君はいつもそうやって強がる。もっとなおになれ」

「……テオの気持ちはありがたいけれど、別にちっとも強がっていないの」


 ようやくセルマが俺を見た。しかし、その顔にあるのは聖女を演じているときの微笑ほほえみ。

 衆目があるからか、その後セルマはしつしつとうちゃくするまで、俺を振り向きもしなかった。きっと悪魔のことでも考えていたのだろう。


「テオ、あれは一体どういうこと? ていうか、どうしてとなりに座るのよ」


 執務室。セルマと並んでこしを下ろしてすぐ、彼女が俺に問いかけた。


「どういうこと、とは?」


 要領を得ない質問だったので、聞き返した。


「さっきの。さっきというか、昼間も。むしろ昼間のあれの方が重要よ。……キスのこと」

「キス? 祝福の接吻のことか? あれは単なるしきだと、君の方が俺にそう言った」

「言ったけど、どうしてテオから私にキスをしたの? しかも、し、舌をっ」


 どちらがどちらにいたすのか、決めた覚えはない。だから、どうしてセルマがこだわっているのか俺にはよくわからなかった。


「俺からキスをしてはいけないのか? 『キスした』という結論は変わらないのに? 舌は……つい。セルマがかわいくて」

「つい!? かわいくて!?」


 丸い目をさらに丸くしてセルマがおどろいている。頰にはほのかにしゅが差し、唇の血色もよくなった。かわいい。

 このように取り乱した姿はとても貴重だ。苛立っている原因については気がかりだが、いつも誰にでも平等で、たいていのことに動じない彼女の「動じている」様は見ていて楽しい。

 セルマが立ち上がり、茶器のったワゴンへと近寄った。いつものようにぎわよく茶葉をポットにめ湯を注ぐと、安らぎをさそう香りがただよってきた。


「……最近のテオは変よ。どうして急に私との距離を詰めようとしてくるの?」


 ほどなくしてカップを運んできたセルマは、俺の向かいのソファに座った。……さっきまでは隣に座っていたのに。


「セルマの一番の理解者になりたいからだが?」

「だが? じゃないでしょ!」


 俺は胸を張って答えたが、納得してもらえなかった。


「私は何も困ってない。テオも以前のままでいい。変化なんか望んでないのよ」

「俺は望んでる」


 正確に言うなら、変化はすでにあった。エヴェリーナ嬢の悪魔祓いを終えてから、俺の中でセルマへの見方が百八十度変わったのだ。


「俺はセルマにとんちゃくすぎた。だから、もっとセルマのことを知りたい。教えてくれ、君の生まれや、家族や、好きな食べ物や、好きな花や――」

「ちょっと待って。テオの質問に答えるとは言ったけど、今の質問は悪魔祓いに関係ないわ」


 仕事のことしか聞くなという姿勢に、セルマの真面目さがにじているような気がする。

 にやけそうになるのを隠そうと、彼女がれてくれた茶に口をつける。うまい。


「義務として答えてほしいわけじゃない。すぐに答えがほしいわけでもない」

「……どういうこと?」


 いぶかしんでいるようなので、せっかくだからとことん思い知らせることにする。


「セルマのいいところは、ぜんしゃぶらないところだ。相手にとって都合のいい人間になることに躊躇ためらいがない。たとえそれで自分の評価が下がっても、堂々としていられる強さもある。前にセルマを悪女だとののしったが、俺がちがっていた。てっかいする。セルマこそが真の聖女だ。聖なる力のは関係なく、セルマの心はとてもれいだ。だから……」


 ところが、俺がこんなにも真面目に話しているというのに、セルマは口をあんぐりとけんしわを寄せている。


「……俺は何か変なことを言っているか?」

「ええ。かなりね」

「要するに、俺は君にもっと近づきたいということなんだが」


 セルマは長く時間をかけてから、しぼり出したような声で「へえ」とつぶやいた。深呼吸を繰り返してからゆっくり頷いてみせた。


「わかった、承知しました。でも、テオに『これ以上近づかれては不快だ』と思う対人距離があるように、私にもその限界は存在する。だからはいりょしてほしい」

「なるほど。よくわからない」

「なぜに!? ばかなの!?」


 今日のセルマはよく取り乱す。やはり疲れているのだろうか。


「キスの時はどうしても接触する必要がある。配慮していたらキスにならない」


 俺の反論にセルマは大きなため息を吐き、茶をあおろうとしたがまだ熱く、すぐにビクつき口を離した。火傷やけどしていないか心配だ。

 それからゴホンとせきばらいして、再び俺を説こうとする。


「あのね、キスは四六時中するものじゃないでしょう? しかもあれは単なる儀式。お願いだからエヴェリーナさまの悪魔みたいにグイグイ来る人にならないでよ!」


 エヴェリーナ嬢の名が出た途端、俺の体に鳥肌が立った。

 感情の押し付けがどれだけ不快で苦痛か、俺はこの身で学んでいたにもかかわらず、セルマにしようとしていたのか……。

 しかし俺は反省も改善もできる男だ。身を正し、同じてつは踏まないと心にちかう。


「任せてくれ。君に騙されることはあっても、俺が騙すことはない。俺は必ず君の力になる。セルマの武器となり、たてとなろう」


 立ち上がりセルマの側でひざまずき、ひざの上に置かれていた手を取った。信者ならばこうにするだろうが、俺はセルマの指先に口付けを落とした。

 これはしんこうを示す口づけではなく、セルマへの敬意を示す口づけ。だから聖痕は避けた。


「疲れているんだったな。時間を取って悪かった。茶も、ごそうさま」

「…………え? あー……ええ。いいのよ」


 よっぽどろうまっているのか、セルマがぼーっとしたまま答えた。うつろな表情もかわいい。


「おやすみ。セルマ」

「おやすみ……テオ」


 あいさつわし、俺は退室した。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


この続きは、2022年6月15日発売のビーズログ文庫

「本物の聖女じゃないとバレたのに、王弟殿下に迫られています」

でお楽しみください!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る