帝国

帝国までの道のりは想定していたよりも厳しいものだった。

道はある程度なだらかになってはいるものの、魔獣の襲撃は避けられない。共に抜け出してくれた人の中には魔法を使える者も居たが、連携を取るのは難しく、レーネがどれだけ俺達を支えてくれていたかを実感する旅になった。


「やっと着いたわね」


「ああ、ここが帝都オルレアン……」


帝国の内外を隔てる大北門の審査を通過した俺達は、聖剣の刻を表す強い日差しに照らされながら大通りを歩いていた。

王都とは何もかもが違うその街を、俺は肩に乗ったフェイと共に見渡す。

大通りはありとあらゆる種族が店を構え、街の住人や行商などで賑わっている。ここまで着いてきてくれた亜人達のほとんどは、亜人の楽園の様なこの光景を見てここに住むことを決め、それぞれの道を行く事になった。


「レーネとキャシーに会えないのは寂しいけど、俺達もここを拠点に頑張ろうか」


「そうね。実質、学校は辞めちゃったわけだし、これからは自力で生きないと」


そう。従軍の命に反した俺達はもう王国には戻れない。フェイの言う通り、既に四ツ星冒険者として活動しているディセラ以外は学校の後ろ盾の無いいち冒険者として生きる必要がある。

非人道的な環境から抜け出す為とは言え、俺の衝動的な判断で多くの人達の人生を変えてしまった事に後ろめたさを覚える。


「よーし、頑張ろう!宿も仕事も探さなきゃ!」


俺の暗い考えを吹き飛ばすように、ディセラは右腕を突き出して気合のこもった声を上げた。恐らく今回の離反で一番不利益を被ったのは学校から目を掛けられていたディセラのはずだ。それなのに、この場にいる誰よりも明るく振る舞っている。

俺は顔を上げた。


「それじゃあ、俺が最高の宿を探すよ。ディセラ姉ちゃんは冒険者ギルドに行って、今日の仕事を探して来てほしい」


「了解!アクセル、行こ!」


「ああ」


俺の内心を知ってか知らずか、ディセラは元気よく返事をしてアクセルと共に街をかけて行った。俺はフェイがポケットに入るのを待ってから、宿を探すために歩き出した。


眩しい日差しを受けながら街を歩く。すれ違う人々は、王都よりも質素な服装が多い印象だ。建物は赤煉瓦造りの物が多く、ロンドンの古風な街並みといった風だ。行ったことはないのでただのイメージだが。

しばらく歩いていると、ある一件の宿が目に付いた。綺麗に掃除されてはいるものの、色褪せた煉瓦に整えられた蔦が絡みつき、かなり年季の入った建物と見受けられる。

宿にしては珍しい片開きのドアの前には木製の折りたたみ看板が置かれており、この店のメニューが可愛らしい絵と共に手書きの文字で書いてある。


「ここなんか良さそうじゃない?他の宿と比べて綺麗な割に、値段が安い」


「……そんなこと言って、どうせあんたはその看板に書かれてる珍しい料理が気になるんでしょ」


「……」


バレてた。

フェイの言う通り、俺の目当ては文字通りこの宿の看板メニューである「マレトリスカ」なる料理だ。隣に書いてある螺旋状の紐のような絵から推測するにパスタのような物だろう。この世界は小麦の収穫に適した気候をしているため、パンや麺などが主食だ。パスタというのはとても奥深く、地域や国によって材料や味付けが違うことで全く新しい体験が……

などと考えていると、ポケットの中のフェイが呆れ顔で俺を見ているのに気がついた。


「た、確かに料理は気になるけどさ……」


「まぁいいわ。とりあえず入ってみましょ」


お目付け役のフェイからやれやれと言った様子で許可をもらった所で、俺はドアを開けた。


「無礼者っ!」


店内に入った瞬間、甲高く鋭い怒鳴り声が俺の耳を貫いた。

とっさに剣に手をかけ声の方向を注視すると、板金鎧に身を包み、深緑色の後ろ髪を結わえた俺と同い年か少し年上くらいの少女が、その後ろにいるフードを深く被った少女を守るようにして、これぞ冒険者と言った荒々しい風貌の男達に囲まれている。お互いに武器はしまったままだが、男達は今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。


「それ以上近付くな!この方はお前らのような下賤の輩が触れて良いお方ではないっ!」


「だからよぉ、俺達も乱暴したい訳じゃねぇんだ。一緒に来て貰わなきゃぁいけない所があるだけでよぉ」


へらへらと笑いながら少しずつ距離を詰める男達は、とてもじゃないが乱暴をしないようには見えない。

テーブルで食事をしていた客の男が、騒ぎの方に目線だけ動かして呟いた。


人狩りか。よそでやってくれんかねぇ」


「おい!余計な事はするんじゃねぇぞ?これは俺達のなんだからなぁ?」


「誰も邪魔しないよ、さっさと終わらせろって話さ。見たところ、逃亡奴隷と解放した犯人だろう?全く、ネズミはネズミらしく飼われてりゃ良いのによ」


男はそう悪態をつくとすぐに食事に戻り、何事もなかったかのように仲間との会話を再開した。他の客も同じく、少女達を助けるどころか早く連れていけというような雰囲気だった。


「さぁ、着いてきて貰うぞ負け犬。この国じゃお前ら弱者に居場所なんてないんだ」


「くっ……近寄るなっ!」


にじりよる悪漢達から距離を取るも壁に追い詰められる少女達と、それを誰も気に留めない異様な常識。

「実力主義」の帝国において、この光景は日常なのだろう。

そんな中俺は背中の剣に手をかけながら、しかしドアの前から動けずにいた。

フードの少女を庇うようにして立つ緑髪の少女が乞うように呟く。


「私はどうなってもいい。貴女だけでも生きてくだされば、それで……」


俺は悩む。少女達の事情が分からない以上、下手に介入すると怪我じゃすまないかもしれない。冒険者学校という後ろ盾が無い今、余計なトラブルは避けたい。


前世でもそうだった。

ただでさえ人生に不満を抱えていた俺は、不利を被るのを避け続けていた。

女子高生が電車で痴漢されているときも、サラリーマンが路地裏でカツアゲされているときも、後に死んだ同僚が上司に酷いパワハラを受けているときも。

目の前で起きている止められたはずの悪事も、俺は見て見ぬふりをしていた。

今も昔も、世界は弱肉強食だから。力のない俺が行動しても無意味だから。


「行かないの?」


項垂れて目線が下がり、フェイと目が合う。

小さな相棒は不思議そうに、不服そうに、俺を見つめていた。


「数が多い。それに――」


「あたしを助けてくれた時は、後先なんて考えてなかったでしょ」


「それは……」


学校という限られた空間だったから。本当の俺はそんな度胸のある人間じゃない。


「オーグがあたしたちを連れだした事に責任を感じてるのは知ってる。今もあたしたちのこと考えて、悩んでくれてるんでしょ?」


真っ直ぐ俺の目を見ながら、フェイは優しく言った。

そしてポケットから出て俺の頬に小さい手を当てた。


「でもあたしは、あたしを助けてくれたオーグが好き」


「ずるいだろ、それは」


俺はフェイをそっとポケットに戻した。少女達の方を見ると、二人共腕を掴まれて外に連れ出されそうになっている。

深呼吸をして、少女達の元に歩く。


「男が数人がかりで女の子を囲むなんて、カッコ悪いからやめなよ。おっさん」


「あぁん?余所者が口出しするなよ」


勇気を振り絞り人生で一度は言ってみたいセリフを吐くと、悪漢の一人が振り返り俺を睨みつけた。怖すぎる。前世で不良に睨まれた経験が一度だけあるが、それとは比べ物にならない怖さだ。今すぐにでも土下座してこの場から去りたい。

周りの人達は珍しいものを見るような目で俺を見ている。この場では俺が悪なのかもしれない。

だが、俺は余裕の表情を崩さない。フェイが、自分が正しいと思う事を貫き通す。


「……おい、何だこの手ぇは?」


「その子達を離せ」


「馬鹿なガキだな」


フードの少女を掴んでいた手が離され、その手で掴んだ棍棒が俺の頭に振り下ろされた。後ろに飛び退いてとっさに躱す。さっきまで俺が立っていた床は棍棒の一撃によって亀裂が走っていた。店主の悲鳴が聞こえる。


『後ろはあたしがサポートするから、オーグは目の前に集中して』


耳元で聞こえる虹色の声に小さく頷き、剣を抜いた。















「わぅっ!?」


「どうした」


帝都冒険者ギルドで依頼を物色している最中、同族の女は突然鳴き声をあげた。全身の毛を逆立てて顔をしかめている。


「ごめんごめん。急にすっごく悪い予感がして」


「あの二人の事か?」


「うん。心配だし早めに探して待ち合わせ場所に行こ」


女はすぐに依頼探しに戻った。

それにしてもこの女、口を開けばあの男……エスコフィエの事ばかり話す。俺がわざと無視しているにも関わらず、幼い頃の奴の話を延々と聞かされた。それでいて未だにつがいとしてまぐわった訳ではないという。

……人間の恋愛はまどろっこしい。まぁ、俺には関係の無いことだが。


ふっと湧いて出た雑念を忘れ去り、俺も依頼を探す。

外敵の脳に多脚を刺して操るハグレイドスパイダーや、獲物の血管を糸として扱うブラッドスパイダーなど、王都近辺には生息していない危険度の高いモンスターばかりが並ぶ掲示板を見ていると、俄然やる気が出てくると言うものだ。


おもむろに掲示板の一番上に貼ってある紙を取り、読む。

アルティメットコックローチの討伐か……面白そうだ。


「……アクセルくん、それは一ツ星冒険者限定の依頼だよ」


「いずれ、成る」


「はいはい今は戻そうね~」
































「いい加減ッ当たれッ!!」


『後ろ、右肩』


正面の悪漢と剣を交えながら、時折聞こえる虹色の声に従って見えない場所からの攻撃を躱す。これを繰り返す事数分、俺は大した傷を負うこともなく、残る悪漢はリーダー格を含めた三人だけとなっていた。


「はぁ、はぁ、クソが!この男全然攻撃が当たらねぇ!」


「こっちの男女も相当強え。ボス、ここは一旦引いたほうがいいんじゃねぇか?」


「馬鹿野郎ッ!この俺がコケにされたんだぞ、こんなガキ二人相手に引き下がれるかッ!」


仲間の提言もお構いなし。完全に頭に血が上っている。

それも仕方ない事だ。十人程いたはずの屈強な男たちが、たった二人の子供によって追い込まれているのだから。

まぁ実際の所はフェイも含めて三人なんだけど。相手からしてみれば見えてないはずの攻撃を避けられているのだ。焦るのも無理はない。


「でもよぉ……うぐぁ!」


「もう良いか、私達も暇じゃないんだ」


だが、現実は非情だ。怒鳴り散らし隙だらけのリーダー格の男を咎めるように、深緑の少女によって背後から貫かれる。それを見て、残った二人は慌てて俺に剣を振るった。


「同時にやればッ!うッ!」


『伏せて』


「クソッ!なんで当たんねぇんだよ……!ぐぁッ!」


俺は正面の男を袈裟斬りにした直後、聞こえてくる虹色の声に従うまま背後からの攻撃を交わし、最後の一人を斬り伏せた。

俺は剣についた血を軽く拭き取り鞘に納めて、少女を見やった。深緑色の髪をポニーテールのように結わえた姿は、凛々しい顔付きも相まって少年のようにも見える。


『あの子、強かったわね』


『そうだね。俺と同じような剣を使ってるのに、まるで動きが読めなかったよ』


悪漢の攻撃を引き付けてたのは俺だったが、とどめを刺していたのは少女だ。実際に一対一で戦えば負けてしまうと思うくらい、深緑の少女は強かった。


「ありがとう、お陰で助かった。……ところで、ここらでは見ない顔だが、君は旅人か?」


俺の視線に気付いた深緑の少女が、物陰に隠れていたフードの少女を連れて近付いてきた。何かを見定めるような警戒の眼差しにどう答えるか迷ったが、俺達はよそ者でただでさえ味方のいない状況だ。ここは一旦警戒心を解いて情報を引き出したほうが良い。俺は正直に話す事にした。


「俺達は冒険者だよ。訳あって王都からここまで逃げてきたんだ」


「そうか、人狩りに介入するなんて珍しいと思ったが、王国の民だったのだな。だが、というのは?他に仲間がいるのか?」


「ああ。ここに」


俺の表現に怪訝そうな顔を浮かべる少女。俺はポケットの中を服の上からぽんぽんと優しく叩いた。


「ちょっと!どこ触ってんのよ!」


「きゃぁ!」


黒ひげ危機一髪を彷彿とさせる勢いでポケットから飛び出したフェイに、それまで男勝りな騎士といった雰囲気を醸していた少女は、年相応とも呼べる可愛らしい悲鳴を上げた。フードの少女も一テンポ遅れて驚いている。


「俺の相棒だよ。どう?おどろい、た……」


ドッキリ大成功!と思った俺だったが、段々と尻すぼみになってしまう。

それは真っ赤な顔でこちらを睨みつける二人を見てしまったからで……


「驚かさないでくれ!」「下らないことしてるんじゃないわよ!このエロ人間!」


「ごめんなさいッ!」


かわいい声を出してしまった事に対する羞恥で赤くなっている深緑と、調子に乗った人間に対する怒りで赤くなっている紅色、二つの赤に怒られてしまった。














死体の片付けをした後、俺達は宿のテーブルで昼食を食べながら話をしていた。マレトリスカなる料理はディナー限定らしいので、俺はオムレツ定食を頼んだ。

フードの少女は食事中もフードを外さないので素顔を見る事ができない。

フェイはポケットの中で俺のランチのメインであるオムレツのようなものを少しずつ取って食べている。彼女いわく「変態代」らしいのだが、全く心当たりがない。というかオムレツ定食からオムレツを取るのは非情じゃないか?


「……オーギュスト殿とフェイ殿、か。私はガスライト。この方の護衛だ。先程は危ないところを助けてくれてありがとう。改めて礼を言う」


自己紹介が終わり、ガスライトと名乗る少女は椅子から立ち上がって深々とお辞儀をしたと思うと、口元に笑みを浮かべながら俺を睨みつけて言った。


「さっきの下らん脅かしは水に流してやる。オーグ」


「悪かったよ……」


勝ち誇った顔でそんな事を言うガスライトに、今まで一度も口を開かなかったフードの少女が集中しないと聞き取れないくらいの小声で囁いた。


「め……ガスライト、言い過ぎです。エスコフィエ様が助けて下さらなかったらわたくしだけでなく貴女も危なかったんですのよ」


「申し訳ございません……」


雲のように透き通り、幼げながらも柔らかく全てを包み込むようなその声を聞いて、俺はフォークが止まってしまった。可愛さの中にも強気な雰囲気のあるフェイの声とは違い、どこまでも優しく、消えてしまいそうな程に儚い声だった。


「おい、何を呆けている」


「んぁ?……ああ、ごめんごめん。ぼーっとしてた」


「先の戦いで頭でも打ったか。それで、どうする?」


気付くとテーブルに置いてある皿は空になっており、三人とも俺の顔を見つめていた。まずい、全く聞いていなかった。


「えーっと……もう一度お願いします」


「だと思ったわよ」


「……」


「お、お疲れでしょうし!仕方ないです!!」


俺の肩でやれやれと呆れるフェイ、ジト目で俺を見つめるガスライト、俺を必死にフォローするフードの少女。

帝国に来て早々一悶着あったが、俺はなんとかやっていけそうだ。

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