土塊の扉

「おーい!オーグー!!」


女子寮の入口近くからディセラの声が聞こえる。見るともう既にフェイもレーネも集まっているようだ。今は金竜が傾き聖剣に変わる頃合い。待ち合わせの時間は聖剣の刻ピッタリだったはずなので、丁度いい時間だ。俺はまだ広場にいるアクセルに呼び掛け、ディセラ達のもとに向かった。


「おはよう、オーグ君……なんか疲れてる?」


「ちょっとアクセルに剣を教えてもらってたんだけど、ちょっと熱くなっちゃって」


「そうなんだ、ウェント君はあんまり疲れてないみたいだけど……あ、これ良かったら使って?」


「ありがとう」


手渡された布で汗を拭いながら、俺はアクセルを見て肩を落とす。レーネの言う通りアクセルは汗一つかいていない。


「オーグおはよう!」


「まったく、今からそんなので大丈夫なわけ?」


ディセラの元気の良い挨拶とフェイの刺々しい心配が染みる。フェイはいつもの学生服だが、ディセラは頭以外を覆う鋼のプレートアーマーを着ていた。そうだ、今日はダンジョン踏破。俺の初めての冒険者としての仕事だ。


「おはよう、ディセラ姉ちゃん、フェイ」


軽い会話の後、五人で荷物の確認をする。

マイケルやアクセル、そして勇者と剣を交えて分かったが、俺はこの世界では相当弱いらしい。だから今日は勉強だ、ディセラやアクセルの動きをよく見て学ぼう。




「そういえば、信頼度ランクってどうして星が少ないほうが上になるんだろう?」


目的地に向かう途中、ふと気になったことを呟いてみた。飲食店や軍隊など、前世で星が付くものは星が多いほど高い評価、高い位を意味していたと思う。だが冒険者の信頼度は星の数が少ないほうが高くなっている。それ自体は幼い頃から知っていたが、理由はなんだろうか?一番上が一ツ星で一番下が八ツ星……覚えやすくて良いけど。


「星の数は必要な加護の数を表してて、星が少ないほど必要な加護が少ないから強いって評価されるのよ。……昨日の授業でやったじゃない」


いつの間にか俺の軽装鎧の胸ポケットに入っていたフェイが、やれやれと言った様子で教えてくれた。


「確かにそんな事を言ってたような言ってなかったような……」


「その話のときオーグ君、器用にノートで顔を隠して寝てましたよ」


「長い話が苦手なの、昔と変わってないんだね」


「……頼りない班長だ」


なんとか誤魔化そうとしたが、レーネの告発によってそれは叶わなかった。ディセラは心底愉快そうに昔の事を話し始め、アクセルは肩をすくめた。
















城壁の外側に広がる豊かな農地、そのど真ん中にはあった。


「あれが……キラービーの巣?」


おもわず、俺は縄張りから外れた茂みの中で嘆息を漏らした。

街の関所から見た時は木か何かだと思っていたが、近付くにつれそれが魔獣の巣であることがわかった。30メートル程の卵形で下の方は地面に埋まっており、不定形の渦を巻くような模様が表面を覆っている。キラービーは所々に空いた六角形の穴から出入りして、餌を集めたり縄張りを警戒しているようだ。


「まずは入口までの道の確保。それから巣の中は外よりもたくさんキラービーがいるはずだから、レーネちゃんは元素魔法の準備をしておいて」


「任せてください。冷気よ、我が手に集え……」


俺が目の前の驚異に圧倒されている間に、ディセラはレーネに指示を出しながら、鞄から取り出した火打金で手頃な枝に火をつけて俺とアクセルに手渡した。俺ほどではないとは思うがアクセルもそれなりに圧倒されていたようで、ディセラから煙の立ち上がる松明を手渡された瞬間は俺と一緒に固まっていた。


「アクセルくん、オーグ、ボクたちはレーネちゃんを援護しつつ巣の入口まで行くよ。フェイちゃんはオーグのポケットで待機。怪我したらよろしくね」


だが、彼女が敵をまっすぐ見据えるその凛々しい横顔に勇気づけられ、俺たちは気合を入れ直した。

ディセラを先頭に、俺とアクセルでレーネを囲い三角形のような陣形を作る。


「「ああええ」!」


掛け声と同時に茂みから飛び出した瞬間、今まで緩やかに旋回するように飛んでいた見張りのキラービー達が一斉に近付いてきた。煙が効いてるようですぐに襲ってくる事はなさそうだが、人の顔ほどの大きさの蜂が不快な羽音を立てながらこちらを観察してくる様は地獄絵図だ。鳥肌が立つ。


「……!ディセラ姉ちゃん!」


俺たちを遠目で観察していた何匹かのキラービーがディセラに向かって攻撃態勢を取った。キィキィと音を立てながら、先に4匹が高速でディセラに襲いかかる。

巨大な顎と針、どちらを食らっても致命傷は免れない。俺は咄嗟に背中の剣に手を伸ばした。


「大丈夫!」


しかし、俺が剣を抜くことはなかった。ディセラは慌てる様子もなく背中に担いだ無骨な大剣を構えると、右足を一歩前に踏み込んだ。硬い地面に亀裂が走る。


「地鳴斬!!」


空気が軋む音と共に放たれた一閃は、大剣の間合いに入っていた全てのキラービーを両断した。俺はこの技を知っているはずなのに、その剛暴の一撃を目で追うことすら叶わない。

レーネを挟んで隣にいるアクセルに目をやると、彼も驚愕の表情を隠しきれていないようだった。朝の鍛錬では汗一つかかなかった彼が、たったの一撃を見ただけで額に汗を浮かべている。


「よし!他のキラービーがびっくりしてるうちに行こ!」


当の本人は汗一つかいていない。それどころか剣を振るうまでの獰猛な表情などなかったかのように、無邪気な笑顔を咲かせていた。

これが四ツ星冒険者、ディセラ・ノーマン……確かに加護は不要そうだ。



俺たちはディセラがこじ開けた道を進み、六角形の穴の一つに入った。

巣の中はかなり広く、外から差し込む光によって視界も良好だ。


「巣の中なのにキラービーはいないのか?」


確かディセラは巣の中に大量にいるって言っていたはずだ。

俺は中央に向かって進もうとしたが、ディセラに肩を掴まれて止まった。振り向くと、ディセラは天井に向かって指をさして言った。


「上見てみ」


「上、って……」


言われるまま上を見上げると、天井の辺りで何かが蠢いているのが見えた。縞模様がもぞもぞと不規則に動き、天井の景色を不気味なものにしている。

天井はかなり高く、その正体が何なのかは分からない。ふと、俺は持っていた松明を掲げてみた。明かりと共に煙が立ち上がり、蠢きの一つに触れた。


「キィィィィ!!!」


その瞬間、幾重にも重なった不快な金切り音がドーム状の巣の中に響いた。

思わず耳を塞ぎそうになりながらも上を見上げると、数え切れない程のキラービーが天井を埋め尽くし、その全てが俺を見ていた。


「うわ……」


あまりにも悍ましい光景に、俺は思わず呻き声を上げた。それに呼応するように、キラービーは俺たちに向かって一斉に襲いかかってくる。まるで天井がそのまま落ちてきているかのようにピッタリと列を揃えて降り注ぐ警告色の雨。


「レーネちゃん!お願い!」


「打ち漏らしは任せます!フィブルブレイド!」


ディセラの指示に、レーネは臆することなく対応する。天に向かって振り上げた冷気の刃は、地面に叩き付けた時とは違い爆発せずに形を保ったまま鞭のようにしなりながら伸びていき、触れた端から切り裂いていく。


「アクセルくん、オーグ、いくよ!」


「ああ」


「うおぉぉ!!」


死の網を掻い潜った個体はアクセルに切り刻まれ、ディセラに両断されている。俺も負けじと剣を振るが、二人のように完璧にいなせずにかすり傷を負ってしまう。フェイが精霊魔法で回復してくれるたびに不甲斐なさを感じる。


『あんた、今なんか余計なこと考えてるでしょ。今は目の前に集中しなさい!』


虹色の声に叱られた。そうだ、俺はもっと強くなるためにここに来たんだ。今はなりふり構わず剣を振ろう。

そう思った矢先、ひときわ大きいキラービーが俺に目掛けて向かってくるのが見えた。丁度いい、こいつを一刀両断してやる。


「オーグ!そいつがここのボスだよ、気を付けて!」


ディセラの警告通り、こいつは他の個体と違って外骨格が頑丈そうだ。顎は巨大なノコギリのようで、食らったらかすり傷では済まないだろう。だが。


「大丈夫」


俺は深く腰を落とし、剣をしっかりと構える。高速で近付くキラービーから目をそらさずに、一瞬後の光景イメージを脳裏に浮かべる。ほんの少しの緊張と、確固たる自信の火種を胸に宿して、右足を一歩前に踏み込んだ。


「地鳴斬ッ!」


今の俺に出来る全身全霊の魂を込めた一閃はディセラが見せたように空気が軋む事はなかったものの、キラービーの強靭な外骨格を物ともせずに切り砕きその身体を両断した。


「オーグすごい!さっきの一瞬でコツ掴んだの!?」


「ま、悪くないんじゃない?」


俺が剣をしまうと同時に、ディセラが抱き着いてきた。自分の動きを真似されて嬉しいのか、尻尾を激しく振っている。フェイはポケットの中から飛び出して俺の頭の上で羽を伸ばしている。偉そうにしているが、実際フェイの激励がなかったら集中が途切れていたかもしれないので、素直に感謝する。


「ありがとう、フェイ。ディセラ姉ちゃん。二人のお陰でちょっとだけ強くなれた気がするよ」


「うん!」


「……ふん」


礼を言うと、ディセラの尻尾の振りがより激しくなる。フェイの表情を見ることは出来ないが、嫌がってはなさそうだ。


「それとレーネも、ありがとう」


「え?わ、私?」


「キラービーがなるべく俺たちの方に来ないようにしてくれてたし、ほとんどはレーネが倒してたからね」


「気付いてたんだ……」


気遣いがバレていた事に、レーネは少し恥ずかしそうにしている。かわいい。

アクセルにも礼を言おうとしたが、無言で首を横に振って無用であることを伝えてきたので言わなかった。気持ちは伝わっているだろう。


「よーし!皆、あと一息だよ!」


「確か、魔髄核ダンジョンコアを破壊するんだっけ。ディセラ姉ちゃん、場所は分かるの?」


全ての魔物の巣には魔髄核と呼ばれるものがある。詳しい効果はまだわかってないみだいだが巣を形作るのに必須である事は確からしく、ダンジョン踏破の依頼はこの魔髄核を破壊する事が達成条件になっていることが多い。その場所は同じ魔物であっても巣によって様々と聞いているが、どうやって探すのだろうか?


「大丈夫!キラービーの魔髄核の位置は大体決まってるの。最下層に行けばすぐに分かるはずだよ」


「最下層って……この穴から行くのか?」


俺は今いる部屋の中央の地面を見下ろす。確かに人が一人通れそうな大きさの穴が空いてはいるが、天井を見た時の光景を思い出すと少し尻込みしてしまう。

俺が先頭で行くのを躊躇っていると、すぐ後ろにいたディセラが俺の肩を掴んだ。さっき抱き着いて来た時にはなかった強制力と圧力を感じる……


「もう戦えるキラービーはいないから大丈夫だよ!ほら行くよ!」


「ちょ、ディセラ姉ちゃん!押さないでっ……うわぁぁ!!!」


抵抗虚しく、ディセラの怪力によって俺は穴に突き落とされた。

穴は最下層まで一本で繋がっていて、その間にミルフィーユのように何層も部屋があるようだ。俺は凹凸に手足をかけてロッククライミングのようにゆっくり降りていった。俺の上にはレーネ、ディセラ、アクセルの順で続いている。


「ディセラ姉ちゃん、これどこまで続いて」


かなり深くまで降りたのにも関わらずまだ底が見えないのでディセラに確認しようと上を見上げた俺は、視界に写った絶景に言葉を失ってしまった。

柔らかい肌色とそれを覆い隠す黒の薄布。周りでひらひらと揺れるスカートの端がそれをさらに引き立てている。


「お、オーグ君、見ないでください……!」


レーネがスカートの端を引っ張りそれを隠し、絞り出すような声を上げた事で止まっていた時間が動き出した。俺は咄嗟に目を逸らす。


「ご、ごめん!わざとじゃないんだ」


「うぅ……」


「……変態」


さっきまでの良い雰囲気は微塵も無い。レーネは羞恥のうめき声を上げ、胸ポケットの中にいるフェイからは軽蔑の視線が突き刺さる。

だが、2秒ほどの短い時間だったが、俺の脳裏には絶景が焼き付いた。仲間の評価と絶景、等価交換と思えば安い……かな?






「ここが最下層か」


俺は付け直した松明で辺りを照らしながら呟いた。

途中の部屋は蛹や羽化したばかりの個体など戦闘能力がないものばかりだったため、あれから特にトラブルもなく最下層に到着した。踏みしめる地面は入口の部屋とは違い、泥のようにぬかるんでいる。だが最初の部屋と比べるとかなり狭く、一面茶色の洞穴のような場所だった。


「あの奥に魔髄核があるんだよ」


ディセラは目の前にそびえ立つ扉のような土塊に指を指して言うと、普段と違う真剣な表情で扉を開いた。土が擦れる重々しい音が鳴り響く。

中は長い通路のようになっていて、奥にもう一つ扉のようなものが見えた。壁には入口と似た六角形の穴が規則正しく空いている。


「うっ、なんだこの臭いは」


扉が開いた瞬間、今まで嗅いだことのない異臭が鼻を蹂躙した。

腐臭のようなそれは通路に蔓延しているようで、避けては通れなさそうだ。


「行こうか」


レーネやフェイ、アクセルすらも顔をしかめる悪臭の中、ディセラだけは平然としていた。




扉に向かって歩いていると、ふいに近くで物音がした。

耳を済ませるとカリカリと何かを削っているような、木を爪で引っ掻いているような音が、一つではなく複数鳴っている。それは少しずつ増えているようだった。


「赤ちゃんだよ。壁を噛んで音を出して、エサがないことを知らせてるんだ」


俺の疑問を見透かしてか、ディセラが暗い表情で呟いた。

なるほど、狩りが出来る個体を俺たちが全て殺したから、この音を鳴らしてもエサが来ないのか。駆除の為とは言え、少し心が痛むな。


「ん、なんだ?雨?」


先に進もうとした俺の頭の上に、かなりの量の水が降り注いだ。それは少し生暖かくて気持ち悪い。拭うための布を取り出そうと鞄に手を伸ばしたその時、髪を伝ってポタポタと零れ落ちる液体が松明の光に照らされた。


「これは……血?」


それを認識した瞬間、腐臭に紛れて気付けなかった鉄のような生臭さを鮮明に嗅ぎ取った。上を見上げると、六角形の穴は壁だけでなく天井まで広がっていて、その中で何かがもぞもぞと動いている。

俺は恐る恐る松明を近付けた。


……?」


照らされた六角形の穴の中で、白い脂肪の塊のような生き物が人間を貪り食っていた。もう既に腕しか残っておらず、男女も年齢も分からない。


「普通だったら、人里にキラービーの巣ができたら小さいうちに魔髄核を壊して被害が出ないようにするんだよ。巣が大きくなって赤ちゃんが増えれば増えるほど、被害が大きくなっちゃうから」


驚愕のあまり動けずにいると、ディセラは布で俺の頭と顔に付いた血を拭いながら言った。その表情は張り詰めている。


「でも、今回はおかしい。王都のすぐ近くにこんなに大きな巣ができるのを、冒険者ギルドが見逃すとは思えない……」


「……ディセラ姉ちゃん?」


ディセラは震えていた。耳を伏せ、尻尾は脚の間に隠している。怒りではなく、恐怖の震え。


「ただの学生でしかないボクに原因不明のダンジョン踏破を指名で依頼してくるなんて、何かがおかしい」


「……ディセラ姉ちゃん?」


「黙っててごめんなさい。本当は不安だったけど、言い出せなくて……皆を巻き込んじゃった」


両肩に手をかけると、ディセラは一瞬大きく震えて俯いた。俺はディセラの両頬に手を添えて、しっかりと目を合わせた。


「ディセラ、俺たちは絶対にお前を見捨てないし裏切らない。まずはこの巣をぶっ壊してみんなで帰ろう。もしお前に酷いことをしようとする奴がいたら、俺が守るから」


「……うん」


レーネもフェイも頷き、アクセルも肯定を表している。それを見て、尻尾は隠れたままだが、ディセラは落ち着きを取り戻したようだ。


「取り乱してごめん!もう大丈夫!」


最初に凄惨なものを見て取り乱していた俺も、ディセラの心配が上回ったお陰でだいぶ落ち着いている。

いつの間にか目の前に迫った土塊の扉を、ディセラと二人で開け放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る