緊張と期待

「えー、今日から授業なわけだが、まずお前らには歴史を勉強してもらう」


結局、食堂でのカオスは授業が始まるまで続いた。今は担任であるマーシェルが、この世界の歴史について話している。俺は円形に広がる教室の端の席でノートを開いて授業を聞いていた。


「王国と帝国についてだ。まず俺たちが住んでいる王国と違い、帝国は実力主義を掲げる国で……」


授業の内容は幼い子供でも知ってる常識みたいなものだ。どこの世界でも最初の授業は退屈なのかもしれない。念仏のように聞こえる話は段々と意味を捉えられなくなっていく。


「ふあぁぁ……」


少しずつ、耐え難い眠気が俺を襲う。

食堂での出来事もあって疲れてるのか?なんだかまぶたが重い……


…………


「帝国の初代帝王の名前を……エスコフィエ、答えろ」


「んぁ?……あ、えーっと」


完全に沈んだ意識は紺色の声によって引き上げられた。目の前には呆れの表情を隠しもしないマーシェルが。

まずい。いつの間にかうたた寝をしてしまったようだ。授業の内容も常識レベルから俺のわからない所まで進んでいる。前世の時からそうだが、俺は本当に興味のあること以外がてんで駄目だ...初代帝王の名前なんてわからないぞ……


「どうした、答えられないのか?」


クラス中の視線を感じ困り果てて硬直していると、左腕をつんつんされている事に気が付いた。俺が振り向くより先に、耳に何かが触れた。


「アインです、アイン・オルレアン」


フェイの明るい声とは違う、教室の雑音にかき消えてしまいそうな、耳から直接脳をくすぐられているような感覚になるような声で囁かれる。俺は気持ちの悪い声が出てきそうになるのを必死に抑えつつ、平静を装って答える。


「ア、アイン・オルレアン?」


「……正解だ。正式な名前はもっと長いんだが、最近は略語で呼ぶことが多い」


マーシェルは俺を一睨みして、すぐに授業を再開した。……あれはバレてるな。

隣を向くと、人形のように精巧な顔をした少女と目が合う。俺を助けてくれた救世主はレーネだった。レーネは俺を見つめると、少し申し訳無さそうな顔をした。


「起こそうと思ったんだけど、昨日は私を庇って沢山傷付いてくれたから、今日は私の番かなって……ごめんね、おせっかいだったかもしれません……」


「いや、ありがとう。レーネさんは天使だ……」


お礼を言うと、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。かわいい。

そして何かを思い出したかのように口を開いた。


「あと呼び方はレーネ。昨日みたいに呼び捨てで良いですよ」


「昨日?ああ、わかったよ。俺の事もオーグって呼んでくれると嬉しいな」


「呼び捨ては勇気がいるので、オーグ君って呼ぶね」


レーネは所作がいちいちかわいいのだが、それに反して身に着けているアクセサリーは中々毒気のある物が多い。顔を揺らすと同時に揺れる長い金髪の間から見える右耳は、耳のてっぺんから中間までの軟骨に十字架のピアス、耳たぶには先に四角錐がくっついた丸太のような、シンプルだが禍々しいデザインのピアスが刺さっている。

化粧は薄くて性格も清楚そのものなのに、アクセサリーがいかついのはなぜだろうか。


「……オーグ君、あんまりこっち見てると、また先生に目をつけられるよ?」


「ああ、そうだね」


まぁおしゃれは人それぞれだ。俺は意識を授業に戻した。

分からない場所はレーネにノートを見せてもらいながら、真面目に授業を受けた。俺は前世から相変わらず歴史の授業が苦手だが、今の帝王が1000代目という事だけは記憶に残った。




その後は地理学と冒険者基礎学、昼休みを挟んで魔法学、剣術の基礎を座学で教わった。

いつの間にか壁掛け時計は午後を表す魔剣の刻を示している。大幅に傾いて次の天使の刻がほとんどを占めているので、大体17時30分くらいか。


「あー、急で悪いんだが、明日は休みだ」


最後の授業が終わったタイミングでマーシェルはいつもの気怠そうな様子で言った。さっき戦士組の担任に呼び出されていたが、何かあったのだろうか?


「各自自由に過ごして構わないが、明後日から本格的に授業を進めるので今日の授業が不安な奴は復習しておけよ。……居眠りをしていた奴は特にな」


マーシェルはそう言って明らかにこちらを睨んでいる。やっぱりバレてた。

教室は明日の予定の話題でもちきりだ。遊びの予定を立てる奴、勉強会を計画してる奴、急な休みに憤慨してる奴など個性が出ている。

俯瞰して教室を眺めていると、キャシー班で集まって話していたマイケルが軽快なステップで近付いてきた。


「オーグは明日何か予定あるか?やっぱりフレイとデートか?それともウラドさんか?さっき仲良く話してたもんな?」


ニヨニヨしながらイントネーション右肩上がりの語尾でいじられると相当ウザさが増しているように思うが……俺は努めて冷静に返答した。


「だから俺とフェイはそんなんじゃないし、デートでもないよ、レーネもね。明日は特に何もないけど……」


「そんなら俺たちと一緒に闘技場コロシアムに行こうぜ?」


何も予定がないことを伝えると、マイケルは食い気味で言った。顔が近い。

闘技場は王都と帝都にしかない娯楽施設だ。剣闘士グラディエーター同士を戦わせてどちらが勝つかの賭けをしたり、流される血を見て楽しむ娯楽。元々は奴隷制度の盛んな帝国から輸入された娯楽で、奴隷のいない王都ではその日暮らしを続ける事も困難な貧困層が剣闘士になる事が多いらしい。さっき学んだ。


「闘技場か……」


俺は悩んだ。辺境の村とは言え、14年間この世界で生きてきてこの世界の価値観は理解してるつもりだが、それでもまだまだ日本で過ごした年月の方が長い。そんな俺が、人間が殺し合う所を見て楽しめる気はしない。

マイケルには申し訳ないが断る事にした。


「いや、やめとくよ。ごめんね」


「そうか?わかった?」


食堂での一件があったのでもっとしつこく誘ってくると思っていたが、マイケルは少し残念そうな顔をしただけですぐに引き下がった。

14年間生きてきたとは言ったが、今日の授業でそれがたったの14年であることを思い知った。王国の貧困問題、帝国の奴隷制度、そして魔界を支配する魔王。俺はこの世界の事を知らなさすぎる。

今回は勇気が出なくて断ってしまったが、また機会があれば行ってみよう。


「さて、そろそろ帰るか……ん?」


鞄を持って席を立ち出口の方を向くと、出口のドア周辺に人集りが出来ている事に気付いた。ほとんどが一年生のようだ。心なしか獣人が多い。

立ったまましばらく見ていると、人集りを作っている張本人が現れた。


「失礼する」


狼人ウェアウルフ特有の頭部とシルエット、全身を覆うクリーム色の毛並み。そして額には特徴な模様。


「私は戦士組2年のディセラ・ノーマンだ。オーギュスト・エスコフィエとその班員に用があって来た」


その正体は俺の幼馴染だった。










「……それで、緊急会議とはどういうことです?校長」


四角形の校舎の中心にある部屋で、マーシェルは疑問を口にした。

校長と呼ばれた白髪の老人は回転椅子を回してマーシェルに向き直ると、資料が積み上げられている机に両肘を乗せて呟いた。


「魔王軍が動いた。それに伴い冒険者学校がどのような行動をするのか、王国から問われている」


しわがれた声の中にある威圧感に怯みそうになるも、告げられたその内容にマーシェルは怒りを抑えられずに口を開いた。


「王国は、子供たちを戦場に出せと言っているのですか?」


声を荒げるマーシェルを、校長は手を挙げて鎮めた。


「……申し訳ございません」


「元々軍にいた君がこの件で不快感を覚えるのは分かる。だからこそ、明日の会議では生徒達の身を守る案を出してくれる事を期待している」


部屋から退室したマーシェルは、窓の外にいる下校中の生徒たちに目をやった。









ディセラは人気のない所をご所望だったので、俺の部屋を貸すことにした。一人用の部屋に五人は狭い。フェイは俺の頭に座り、俺とディセラはベッドに腰掛ける。


「いやぁ、あのディセラ姉ちゃんが学校では才色兼備、を誇る頼れる先輩ディセラさんだったなんてね」


「もー!オーグ、からかわないでよ!」


俺がからかうとディセラは顔を真っ赤にして手足をばたつかせている。子供か。


「オーグ君がノーマン先輩と知り合いだったなんて、びっくりだよ。……というかウェント君、本当に良いんですか?」


「構わんと言っている」


この部屋唯一の椅子にはレーネに座って貰った。レーネは最後まで椅子をアクセルに譲って自分は床に座ろうとしていたが、アクセルがそっけない態度で床に座り込んで動かない為折れて椅子に座った。

アクセルにそんなつもりはないとは思うが、こういう強引な気遣いもレーネみたいに遠慮しがちなタイプには有効だなと密かに思った。


「それで、ディセラ姉ちゃんの用事って?」


本題に入る。俺だけならともかく、フェイ達も呼んだということは何かがあるのだろう。

ディセラは俺の右手を両手で掴み、言った。


「お願い!明日、ボクの依頼を手伝ってほしいの!班とクラスのみんなにもお願いしたんだけど、みんなちょうど用事を作っちゃったみたいで……」


そしてレーネたちにも頭を下げた。いつもはピンと立ってる事の多い尻尾が珍しく隠れている所を見るに、罪悪感を感じているようだけど……


「ちなみに、どんな依頼?」


「……キラービー退治」


ディセラは耳を伏せながら自信なさげに言った。嘘……って訳じゃなさそうだけど、何かあるな?俺は疑いの目でディセラを見つめる。


「本当だよ?……ちょっと数が多いだけで……」


「数が多い?キラービーの大量発生にしては、少し時期が早い気がするけど」


俺が問い詰める度に、ディセラの耳から元気がなくなっていく。流石に詰め過ぎたかと思ったが、ディセラは意を決したように口を開いた。

その衝撃の事実に俺は驚く事になる。


「実は……キラービーの巣に入ってまるごと退治する依頼なんだよね……」


「ダンジョン踏破の依頼!?」


魔獣の巣はダンジョンと呼ばれ、それを駆除するのは冒険者ギルドが発行する依頼の中でも上位の危険度を誇る。冒険者であれば手伝うことは出来るが、四ツ星以上の信頼度ランクがないと受けれない仕事だ。

学校にいる間にもギルドからの依頼を受けて信頼度を上げることは出来るが、信頼度は戦闘力、判断力、知識量、実績数の四点での総合評価だ。どれも厳しい評価基準があるが、特に実績数は学生である俺たちには稼ぎにくい。実際、戦闘力は最強クラスであろう勇者でも冒険者としての信頼度は四ツ星の一段下、下から4番目の五ツ星だ。


つまり、ディセラは冒険者としては勇者よりも格上ということになる。

俺が驚きのあまりに言葉を失っていると、物怖じしていると勘違いしたのかディセラは慌てて弁明した。


「で、でも危険はないよ!ボクがみんなを守るから!」


ダンジョン踏破の依頼とは言え、キラービーは比較的弱い魔獣だ。ディセラの言う通り危険は少ないだろう。だが全くない訳では無い。俺はレーネ達に目をやった。


「私はオーグ君に任せるよ」


「異論はない」


「特訓に丁度いいわ」


しかしそれは杞憂だった。三人共、冒険者になるためにここにいるのだ。危険など承知の上なのだろう。


「分かった。ディセラ姉ちゃん、明日はよろしく」


「うん!」


話がまとまった頃には夕方を示す天使の刻が傾いていたので、寮が施錠されてしまう淫魔の刻にならないうちにディセラ達にはそれぞれの部屋へと帰って貰った。


その夜、俺は緊張と期待を胸に眠りについた。













「クラウン、その後はどうだ」


「いや?ダンジョンにイくらしいけど、トクにカわッたコトはないよ♪」


暗闇の中で、2つの影が佇んでいる。大きい影の問いに対して、小さい影は両手を上げて答えた。そして問い返す。


「そもそもさ♪あんなただのニンゲン、ほッといても良いんじゃないの■それより、アレのマワりにイるヤツらのホウがキケンじゃない●」


「言葉に気を付けろ。あの方を愚弄するつもりか?」


暗闇が、2つの影の緊張によって強張る。大きい影は爪を、小さい影は枝のように細い剣を構え、――どちらともなくすぐに下ろした。爪を袖に、剣を胸に、それぞれ収める。


「ワかッてるさ▲ただ、ボクはシンパイしてただけさ?これからニンゲンを滅ぼすのに、あんなデクノボウにキをトられててダイジョウブなのかなッて▼」


「……兎に角、貴様は与えられた仕事をこなせば良いのだ。人間など、いざとなれば吾輩一人で事足りる。分かっているだろう、これは全て」


「そうだね■スベては」


「「魔王様のタメに」▲」

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