カオス

パチパチと音を立てて燃える石造りのかまどの横で、俺は無心で野菜を切っていた。


「身体を綺麗にするから出ていって」


俺の部屋に入るなりフェイに部屋から締め出されてしまった俺は、キリスティアと話している間にすっかり忘れてしまっていた晩飯を作る為、共有スペースに置かれた寮内唯一のキッチンを使っていた。


「俺の部屋なのに……」


備え付けのナイフは切れ味が悪く、一人前の野菜を切るだけでも体力を使う。

戸棚に置いてある食材も少ない。ニンジン、タマネギ、ニンニク、セロリ、トマトなどの香味野菜と、ローリエなどほんの少しのハーブだけだ。

ニンジンやタマネギ、なんて呼んでいるが、この世界の食材はりんごを除いて前世のそれとは全く違う。味や食感が前世で知っているものに近い野菜が他にないため、脳内で知っている名前に訳している。


ニンジンとタマネギを皮を剥いてみじん切りにし、硬い芯の部分と皮、半分に切ったニンニク、トマトを少量の水が入った鍋に放り込む。材料は少ないが、一人分の野菜出汁ブイヨン・ド・レギュームを取るには十分だ。もう一つの鍋にバターを敷いてそれぞれ火にかけると、すぐにバター特有の濃厚な香りが立ち込めた。バターが焦げないようすぐにニンジンとタマネギを投入し、バターと絡めるように炒める。


「やっぱり火が強いな、ガス台が恋しい……」


もう慣れたものだが、直火での調理はかなり難しい。火力の調整が出来ないので目を離すとすぐに焦げ付いてしまう。布で手を守りながら鍋を火から外したり、木べらで撹拌したりで温度を調節しながら火を入れていく。ある程度水分が飛んだら塩を加え、蓋をして更に火を通す。


「おっと、危ない」


ぶくぶくと沸騰している野菜出汁の鍋を火から外し、ローリエ、タイム、パセリ、セロリを麻糸で束ねたブーケガルニを投入する。出汁を取る時は温度が重要だ。高すぎても低すぎても、美味しい出汁は取れない。再度火にかけ、アク抜きをしながら味見をする。


「よし、良い感じだな。あとは……」


もう一つの鍋の蓋を取り、野菜出汁を流し込む。じっくり煮詰めてニンジンとタマネギがドロドロに溶けたら、用意していた木のボウルに素早く盛り付ける。パセリで緑を添えたら、完成だ。


「ニンジン(仮)とタマネギ(仮)のポタージュってとこか。……こんなのメニューに書けないな」


そう独り言ち、フェイの分を木製スプーンに注いで部屋に戻った。








部屋に戻ると、テーブルの上に座ったフェイが不機嫌そうに振り向いた。


「ちょっと、遅かったじゃない。って何?それ……いい匂い」


「ポタージュだよ。野菜とバターしか入ってないけど、食べれる?」


小さい鼻をすんすんと鳴らし俺の手に持ったブツの匂いを嗅いだ瞬間、その表情は和らぐ。だが同時に食欲も刺激されたようで、フェイのお腹からきゅるると小さな音が鳴った。フェイはお腹を抑えて俯く。炎の様に真っ赤な髪からはみ出た白い耳がみるみるうちに同じ色に染まっていく。


「……食べよっか!」


俺はなるべく素早く、朗らかに、テーブルの上に皿とスプーンを並べた。

なんとなく、これ以上沈黙するのはまずいと本能が訴えかけていたのだ。


「頂きまーす!」


「……頂きます」


フェイはまだ真っ赤な顔を上げ、スプーンに手を伸ばした。

見られていたら食べにくいと思った俺は彼女からボウルに注がれた黄緑色のスープに目線を移し、口に運ぶ。温度管理が良かったのだろう、少ない材料でいい出汁が取れてる。我ながらなかなかの出来だ……。

味に満足し顔を上げると、可愛らしい座り方をしている彼女と目が合った。彼女はスプーンに両手を添えたまま、口を付けること無くこちらを見つめていた。


「持てない」


フェイはそれだけ呟いて、また無言で俺を見つめ続ける。

どうやら、りんご果汁だけで作ったジュースとは違い、野菜をドロドロに溶かしたポタージュだと重くて持てないようだ。

これは食べさせて、という事だろうか?心の中でフェイの瞳に問うも、返ってくるのは無言の圧力のみ。桃色が差した頬は先程の名残か、それとも今の心境を表しているのか、俺には読み取れなかった。


俺は恐る恐るスプーンを持ち上げ、フェイの口元に近付けた。間違ってこぼしでもしたら大変だ。ただでさえ小さい顔の、更に小さい口に向かって腕を伸ばす。

フェイは両手でスプーンの底を支えるように持ち、自らの口に運んだ。ピンク色の唇に触れている感触がスプーン越しに伝わる。スプーンを傾けて、一口分のスープを流し込む。ドロドロの液体に一瞬驚いたような反応をしたが、しっかりと味わってくれている。


「……んくっ」


喉を鳴らすフェイを見ていると、なんだか背徳的な事をしている気分になってくる。罪悪感が凄いのでフェイから目をそらして、スープを全て飲み終わるまで待った。


「凄く美味しかった。本当に料理が上手いのね」


「ありがとう。お口に合って良かったよ」


フェイは満足してくれたようだ。やっぱり、家族や友人の笑顔を引き出した瞬間が一番料理をやってて良かったと感じる。

羽を手入れしたり、剣の手入れをしたり、お互いに自分の時間を過ごしていると、ふとフェイが何かを思い出したかのようにあっと声を上げた。


「そういえば、あんたが冒険者になりたい理由をまだ聞いてなかったわ」


「あぁ、たしかに。……まぁ、語るほどの事でもないんだけど」


剣の手入れをしながら、俺は俺の夢を語った。結局途中から熱くなってしまったが、フェイは最後まで聞いてくれた。


「……ってなわけで、俺は世界中を見て回りたいんだ!」


「ふぅん。じゃああたしと同じだ」


頬杖を付きながら、フェイはそんな事を口にした。

フェイの目標は自由、突き詰めて考えれば確かに同じと言えなくもないか。


「それじゃあ俺たち、偶然とはいえ同じ班で良かったな」


「そうね、あんたは他の人間と違って意地悪しないし……ふぁぁ」


「そろそろ寝るか」


「……うん」


そういえば今はもう深夜だった。フェイのあくびで我に返る。

テーブルの上にフェイが眠るための枕を置き、俺は蝋燭の火を消してベッドに潜り込んだ。目を閉じて呼吸を繰り返し、先程の会話で滾った冒険熱を冷ました途端気付いてしまった。

今俺は同級生の女の子に料理を振る舞い、更には同じ部屋で寝ているのだと言う事を。

それを自覚した瞬間、忘れていた童貞心がもっこりと顔を上げた。冒険熱とは別の熱が身体に籠る。これはまずい。

とりあえずトイレに行くか……


「ねぇ、起きてる?」


身体を起こそうとした瞬間、枕の上で横になっているフェイから声をかけられる。眠そうな声だ。


「う、うん。起きてるよ、どうかしたの?」


俺はなるべく平静を装って返すが、フェイの可愛らしい声に心臓が跳ねる。

フェイは甘ったるく、弱々しく、俺の理性を破壊するかのような囁き声で呟いた。


「私より先に寝てほしいの」


どうして、と俺が聞くより先にフェイは続ける。


「あの、オーグを信用してないわけじゃないの。だけど、人間の前で寝ると思うと、まだ怖くて……だから、お願い」


それを言われて興奮し続けられるほど、俺は殊勝な人間ではなかった。

起こしかけた身体を縛り付けるように毛布を被った。


「わかったよ。おやすみ、フェイ」


「うん、ありがと。おやすみ、オーグ」


同じ声色で呟かれたやり取りに、俺の心臓は跳ねることなく痛んだ。












「ん……ふぁ、もうあさ……」


朝日に照らされて目が覚める。私はぐぐっと羽と身体を伸ばして、オーグの匂いから逃げるように枕から飛び立った。他人の匂いに包まれて眠るのがこんなにも違和感があるなんて。次から寮が閉まる時間には気を付けよう。

壁掛け時計は金竜の刻を示しているけど、半月型の枠の端に淫魔の刻がまだ残っている。ちょっと起きるのが早かったみたい。


「あれ、オーグ?」


ベッドに目をやると、オーグの姿はなかった。まだ寝ていると思ってたのだけど。

それより、金竜の刻ならもう鍵は開いてるはず。起きる人が増える前に男子寮から出よう。


「その前に……オーグがいないなら、身体を綺麗にしよっと」


一度テーブルに降りて、私用に作られた制服を脱ぐ。

故郷から持ってきた服は授業には着ていけないし王国には妖精用の服なんてないから、この制服を大事にしないと。

下着まで全部脱いで、綺麗にテーブルに並べる。


「精霊よ……」


まずは空間に漂う精霊に魔力を通して起動して、次に魔力を通した精霊に命令を与える。今回は服に付いた汚れを取りたいから、精霊の範囲を並べた服に、作用の対象を埃や匂いに、実際の作用を回収に設定して……


「お願い!」


あっという間に不可視の精霊が服に付着した汚れを取りさってくれる。精霊魔法はやっぱり便利ね。

次は身体を綺麗に……

私が精霊を集めようと両手を上げたその時、正面にある扉ががちゃりと音を立てて開いた。扉を開けた部屋の主は私を見て固まっている。私は咄嗟に身体を隠すけど、多分もう手遅れだ。

私が叫びだしそうになる直前で、オーグが口を開いた。


「おはよう、起きてたんだね。お取り込み中悪いんだけど、ちょっと剣だけ取らせてね」


早口でまくし立てるようにそう言うと、オーグは裸の私をスルーして剣を手に取りそそくさと部屋から出ていってしまった。

気を取り直して身体を綺麗にしていると、段々と腹が立ってきた。別に感想を言ってほしかったわけではないのだけど、仮にも異性の裸を見たんだから何か反応しなさいよ!おはようじゃないのよ!


「ま、妖精と人間じゃそんな気分にはならないって事よね。安心したわ」


そう思うことにして、すぐに準備を終わらせた。

窓を開けて外に出ると、男子寮の裏手にある広場で剣を振っているオーグを見つけた。鋭い目つきで狼のように荒々しく剣を振るう様は、普段の頼りない雰囲気からは想像できない。昨日の夜に冒険者の話をした時も思ったけど、オーグには何かがあるんじゃないかって思う。私に意地悪していた時の勇者みたいな、裏の部分が。

それが悪い事じゃなければいいけど。


「どうしよ、このまま部屋に戻ってもいいけど……」


今は金竜の刻になったばかりで、食堂の朝食まで時間がある。どうせ部屋に戻っても暇だし、ちょっとくらい話しかけても邪魔にはならないよね。別に話したいってわけじゃないけど。

そんな事を考えてたら、無意識のうちにオーグの方に飛んでいたみたいで、私に気付いたオーグは剣を収めて手を振っている。


「さっきはごめんね、まさか金竜の刻に起きてるとは思わなくて。意外と早起きなんだね」


「わざとじゃないなら良いのよ。あんたこそ、こんな時間から剣の練習なんてご苦労なことね」


「……まぁ、朝仕込みで4時起き出勤は基本だったからな、ハハ……」


「?」


さっきの事で少しだけ棘のある言い方をしちゃったけど、オーグは特に気にしてないみたい。明後日の方向を向いてボソボソと意味の分からないことを言っている。


「それよりあんた、そんなに激しく動いて傷は大丈夫なの?」


勇者との戦いが終わった時、オーグは身体中が真っ赤になるほど切り刻まれていた。今は包帯を巻いていて傷は見えないけど、あんなに激しく動いたら傷が開いちゃうんじゃ……


「ああ、それなら」


「ちょ、ちょっと、いいわよ見せなくて!」


オーグは腕に巻いていた包帯を取って見せてきた。目を逸らそうと思ったけど、その必要はなかった。

昨日は見ていられないほどの損傷だったのに、今は傷跡一つない。ぽかんとしてる私に、オーグは悔しそうな顔で言った。


「朝見た時は俺もびっくりしたよ。あの傷がたったの半日で完治するほど綺麗に切れるなんて、キリスティアが宿ってる剣も、使い手の勇者も相当凄い」


凄いって、あんたを痛めつけたのに。そう思ったけど私は何も言えなかった。悔しそうな表情の中に、どこか勇者を敬うような雰囲気があったから。

オーグはすっかりやる気が出てきてしまったみたい、剣を構えて練習を始めようとしている。でも、話しているうちにもう朝食の時間になっていた。


「はいはい、やる気になったとこ悪いけど、もう金竜が傾く頃合いよ。早くご飯食べにいきましょ」


「ええっ、もうそんな時間。……聖剣の刻から朝飯は遅刻しちゃうかな?」


「もう、馬鹿言ってないでいくわよ」


「いててて、痛いよフェイ!頬を引っ張るのはやめて!」


子供みたいに駄々をこねるオーグを見ていると、裏に隠れてるものも大したことないんじゃないかって思える。私はそのままオーグの頬を引っ張って食堂に行った。













「よ、お二人さん?」


フェイに引っ張っられて食堂に着いて列に並んでいると、アメリカンな風貌の男が片手を挙げながら声をかけてきた。制服姿で分かりにくいが、キャシーの班にいた軽装鎧の男だ。確か名前は……


「マイケル?」


「そうだよマイケルだよ?覚えててくれたんだね?」


「えーっと、何のようかな?」


マイケルはやけに語尾のイントネーションを上げて話すので、俺も釣られてしまう。


「いやいやとぼけるなって?昨日俺、見ちゃったんだぜ?オーグが部屋にフェイを連れ込んでるのをさ?」


「気安く名前を呼ばないで頂戴」


「これは失敬、フレイさん?……それで、どうなんだよ?お前らデキてんのかよ?」


マイケルはそう言って頬に手を当てながら顔を近づけて耳打ちしてくる。正直、とても鬱陶しい。


「昨日はちょっと色々あって、寮が閉まるまでに用事が終わらなかったんだ。言っとくけど、俺とフェイは断じてそういう関係じゃないからね」


「当然よ。誰がこんなぱっとしないやつと」


フェイさん、ぱっとしないは余計です。

それを聞いたマイケルはもうそれはそれはがっかりしたような顔をした後、俺たちと同じテーブルに座った。

今日の学食は丸いライ麦パンとスクランブルエッグ、瓶入りの牛乳だ。


「……そうなんだ?スキャンダルの香りがしたんだけどな?俺の勘違いだったか、ごめんよ?」


「謝るほどじゃないよ」


マイケルは豪快にパンに齧り付きながら、ややオーバーなくらい申し訳無さそうな顔をして謝った。スクランブルエッグをフォークでかっ込んで食べたり、瓶の蓋を親指で弾くようにして開けたり、所作から脳筋を感じる……


「オーグ」


「ん?ああ、はいはい」


声をかけられてフェイの方を向くと、パンを丁寧にちぎって食べながら隣に置かれている牛乳を指差していた。このタイプだと蓋が開けられないし、飲むこともできないんだろう。俺は代わりに蓋を開けて、スプーンに少しずつ注いだ。


「ありがと」


フェイは普段はつんけんしているが、こういう時はちゃんと素直で可愛げがある。なんだか猫みたいだ。


「……お前ら、本当にデキてないんだよな?本当に?」


「デキてないよ」


「ありえないわ」


「OK」


マイケルはまだ訝しんでいるようだが、俺たちにやましいことなど一切ない。文字通り一夜を共に過ごしたんだ。清廉潔白だ。


「あ!セクハラ魔王の旦那様!見つけたにゃ!」


そんな紳士である俺の頬を指で突き、奇天烈なあだ名で呼ぶ女がいた。

どこからともなく現れた猫耳を付けた少女は、目の前でパンを貪り食っているマイケルと同じ班で班長のキャシーだ。彼女は俺の真隣に座り、パンに齧りついた。お互いの太ももがくっ付く程の、やけに馴れ馴れしい距離だ。


「セクハラって、俺なにかしたっけ?あと旦那様って……?」


素朴な疑問を口にすると、キャシーは軽く握られた拳を俺の太ももに乗せて、俺の顔を下から覗き込むように睨み付けてきた。なんだその体勢、猫かよ。


「キャシーに抱きついて胸に顔をスリスリしたにゃ!あんなに情熱的に抱きしめられたのは初めてだから、オーグはキャシーの旦那様になるにゃ!」


猫だなんてとんでもねェ。コイツは野生のライオンだ。

あまりに突拍子も無い無茶苦茶な言い分に、流石に面食らってしまう。


「オーグ、あんたそんな事してたのね……もしかしてあたしの裸を見たのも……」


「俺も流石にドン引きだよ?まさか入学して二日目で二人の女のコに手をだすなんてね?」


「旦那様!フェイちゃんにも手を出したにゃ!?この浮気者~!」


混沌。カオスだ。もう収集が付けられない。

俺は目を閉じた。


この騒動はマイケルの手によって妖精組中に広がり、俺は「セクハラ二股大魔王」という奇天烈不名誉なあだ名を付けられる事になった。

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