聖剣

試験場を覆い尽くす程の莫大な冷気が迫り来る。

そんな中、オレは昔の事を思い出していた。


王都から遠くはなれた、地図にも名前が描かれないくらい小さな村の、なんの変哲もない民家。

木製のテーブルと3人分の椅子と食器に、温かい料理。

暖炉を横目に、向かい合って座るオレと両親。

父は暖炉の明かりに照らされながら、歯を見せて誇らしげに笑う。

母は父の隣で同じく微笑む。父の影に隠れ、その表情は薄暗かった。


6歳で村を出たオレは、家族との記憶がほとんどない。

覚えているのは今見ている光景と、父がよく言っていた言葉だけ。


「お前は神の子だ」


オレは神の子だ。幼い頃から環境に恵まれ、圧倒的な力と信頼を持っている。

凡人が一生で得ることの出来る幸福を遥かに超える豊かな人生を迎えるはずだ。


この試合で負けても、恐らくオレは戦士組に居続けるだろう。

多少評判は下がるかもしれないが、これから挙げるであろう多くの栄光に比べれば大した影響はない。


なら、負けてもいっか。

この状況を打破する事はできるが、冒険者学校などという人生の休憩地点とも言える場所であまり手札を切りたくない。

不敗である必要はない。魔王を倒し、王国を守るのがオレの存在理由だ。


「お前は神の子だ」


父の言葉が繰り返される。またあの記憶だ。

隣でうつむく母を見た時、ちくりと胸に針が刺さったような痛みが走った。

母との思い出は何一つ記憶にないはずなのに。影で見えない表情と、その影を作り出す父の言葉を聞くたびに胸が痛む。


負けられない。負けてはいけない。

オレは神の子だ。人と同じであってはいけない。人と同じ幸せを感じてはいけない。

誰よりも強く、誰よりも孤独で、誰よりも無情でいなくてはいけない。

理由は分からないが、脳裏に焼き付いた父の言葉と母の表情がそう思わせる。

恐らく一度でも負けてしまえば、この記憶も感情も薄れてしまうだろう。


それだけは絶対に許せなかった。




「聖剣キリスティア、この現象を破壊しろ」




勇者がそれを呟いた瞬間、青銀の剣から放たれた眩耀に飲み込まれるように

先程まで霧に包まれていたはずの試験場で倒れたままの俺は、何が起きているのかを理解できなかった。

首だけを動かして周りを見渡すと、いつの間にか現れたマリアとボルドによって無力化されたレーネの姿が見えた。霧が晴れて観客席から見えるようになったためか特に暴力などは振られていないようだが、レーネはほっそりとした両手で顔を覆い隠すようにしている。


「いい勝負だったけど、悪いね。僕の勝ちだ」


倒れた俺の側に来た勇者がそう言うと、静かだった観客席が歓声に包まれた。

勇者はそれに片手を挙げて返していたが、その顔は笑っていなかった。


「……し、勝者!ダンテッ!!」


頭上から、動揺を隠しきれていない筋肉の声が響いた。

俺たちは負けた。何が起こったのかもわからずに。








「...って、そんな事認められるか!なんだあのインチキ!」


校舎内の医務室で俺の不満は爆発した。

結局試合は夜まで続き、他のけが人はもう寮に戻っているためこの部屋にいるのは俺たち4人だけだ。男部屋と女部屋で分かれてるため、この部屋には俺とアクセルの二人だけ...


「うるさいわよ!耳壊れちゃうかと思ったじゃない!」


「うわぁ!?フェイ!?なんでここに!?」


突然聞こえた声に驚いて目を向けると、ベッドの横に設置された長方形のサイドテーブルに飾られた人形のように、フェイがぺたりと座り込んでいた。よく見ると裸足で、すぐそばに彼女のものであろう小さなブーツがかかとを揃えて紙の上に置かれている。

ていうかここ男部屋だぞ。


「決まってるじゃない。あの時何があったのか聞きに来たの」


「医務室に運ばれる時にも言ったけど、本当に分からないんだ」


俺が身体を起こして枕に座るような体勢になると、フェイは羽を伸ばして距離を取るように飛んだ。わからないと言うと、フェイは不満そうな顔をする。


「それじゃあ、今から聞きに行くわよ」


「聞くって、誰に?」


剣が光って魔法を消すなんて現象、今までの人生で聞いたこともない。

突拍子もないその発言に疑問を呈すると、フェイは何を当然の事を聞いてるの?という風な顔で答えた。


「今から勇者の所に行って、直接聞くのよ」


「えーっと?聞き間違いかな?今から勇者の所に行くって聞こえたんだけど……」


「……?あの現象を起こした張本人に聞くのが一番確実じゃない」


どうやら冗談でもなんでもなく、本気で勇者に会いに行くつもりらしい。

確かに寮の部屋には名札が着いていて、名前さえ知っていれば部屋を見つけることは出来るが……

そんな事を考えている間にフェイはもう既にブーツを履き終え、医務室から出ていってしまった。完全に置き去りにされてしまった俺は急いでベッドから飛び起き、フェイの後を追いかけた。

校舎を出た所で追いつき並んで寮に向かう途中、俺は隣でパタパタと飛んでいる妖精に質問した。


「自分をいじめてた相手が怖くないの?」


いじめっ子に対して自ら会いに行く被害者は珍しい。

しかも権力があり、人間以外なら命を奪うことも厭わない連中だ。亜人ならいじめられていなくても近付かないだろう。

でもまぁ、この強気な妖精の事だ。怖いものなんてないのかもしれない。


「人間は皆怖い」


フェイは俺の予想に反したその言葉を、重苦しい息を吐き出すように言った。

隣に目をやると、医務室にいた時よりも近い距離で飛んでいるように見えた。

その表情はいつもの強気な雰囲気からは想像が出来ないほどに弱々しい。


「もし今」


急にこちらを向いて話すものだから、驚いて少し距離を取ってしまった。

するとフェイは先程よりも近くに来ると、俺の手を指さした。


「もし今、あんたのその手で掴まれたら、あたしはもう逃げられない。めいっぱい力を込められたら潰れちゃうし、もう一つの手を使えば簡単に首の骨を折られる。……捕まったら終わり。だから怖い」


そう言うと、フェイはまた距離を取った。俺の手がぎりぎり届かない距離に。外は暗く、彼女がどんな表情なのかは分からない。

確かにそうだ。フェイはいつも強気でそんな素振りを見せなかったから気付かなかったが、彼女から見た人間はさぞかし恐ろしいだろう。常に身の危険を感じるはずだ。


「それなら……」


「でも、どうしても知りたいの。あれだけの濃い霧を一瞬で晴らして、あたしの最大の精霊魔法を打ち消した魔法の正体を」


フェイは小さな手を胸に当て、力強く言った。

妖精族は魔界に住む種族で王国で見かける事は滅多にない。そもそも身体が小さく、戦う事には長けていない種族なのだ。なのになぜ冒険者を目指しているのか、初めて会ったときから気になっていた。


「そっか、それなら協力するよ。……ところで、フェイはなんで冒険者になろうと思ったの?」


聞いてからすぐに少し後悔する。同じパーティーになったとは言えフェイとは会ったばかりだし、出会い方が出会い方だ。愛玩動物扱いの件もあり、俺のことを嫌っていてもおかしくない。これで言いたくない理由だったら取り返しが付かなくなるかも……。


「自由になりたいの」


俺の予想に反して、フェイはやけにあっさりと答えた。

どういう感情なのか声からは分からなかったが、表情は希望を持って輝いているように見えた。


「この羽で自由に空を飛んで、世界中を旅したい。でも、そのためには強くないとでしょ?だから人間から学ぶ事にしたのよ」


暗い想像をしていたのが申し訳ないくらい前向きな理由は、どこか俺と似たようなものを感じる。

話しているうちに目的の部屋についた。他の部屋と同じドアに、ダンテと書かれた名札が掛けてある。勇者だからと言って特別扱いされているわけではないようだ。

ん。とフェイに顎で指示され、ノックするために片手を挙げて軽く拳を作る。


「あとでオーグのも教えなさいよね、あたしだけ話したんじゃ不公平だし」


「わかったよ。じゃあ、行くよ」


謎の緊張感。もし勇者がフェイに何かをしようとしたら、俺が絶対に守ると自分に言い聞かせながらドアを叩いた。

沈黙の時間が流れ、冷や汗が伝う。試合中のあの猫被り具合からしてありえないだろうが、万が一ドアを開けた瞬間に斬り掛かってくるような狂人だった場合を想像してしまい、背中の剣に手が伸びる。

集中し耳を済ませ、部屋の主の足音を見つけた。足音は軽いステップを踏みながら、トテトテとこちらに近付いて来る……。


「はーい」


ドアが開いた瞬間、俺は剣を抜き取り素早くフェイの前に立った。

部屋の主と目が合う。


「……えーっと、どちら様ですか?ダンテはまだ帰ってきていませんけど……」


半分ほど開けたドアを片手で抑えて半身乗り出す姿勢で立っているのは、純白のワンピースを着た青白い髪の小さな少女だった。


そして俺は、ドアを開けた少女に突然刃を向けるような狂人だった。

違うんだ!これは君を守るために!と弁解の表情でフェイを見つめる。


「ばかオーグ。」


フェイは呆れたように呟くと、剣を抜いて固まっている俺を横目に少女と話し始めた……。








「つまり、ダンテちゃんからフェイさんを守る為に気を張りすぎちゃったんですね」


「はい……申し訳ないです……」


フェイの説得でなんとか誤解を解いて貰い、俺たちは勇者不在の勇者の部屋で机を囲んで座っていた。机の上には来客用のお菓子が並んでおり、手元にはりんごジュースの入ったゴブレットが置かれている。全部目の前の少女が準備してくれたものだ。まるでこの部屋の主かのように振る舞っている。


「良いんですよ。もともとはダンテちゃんが意地悪したのがいけないんですから。帰ってきたらお説教です!」


「ハハハ……」


ここに来るまでの緊張感が嘘のような空間だった。

改めて部屋を見渡す。基本的な構造は俺の部屋と同じだが、全体的にきらびやかな印象を受ける。この世界では高価な金属製の食器や光沢のある家具が多い。ベッドは一つだ。

一通り見てから少女を見つめる。勇者であるダンテをちゃん付けで呼ぶこの少女は何者なのだろうか。

幼い顔つきに柔らかい声。青白い髪を腰まで伸ばし、椅子に座ると地面に足が付かなくなる程の幼い身体。言葉を選ばずに言うのであれば、THE・ロリ。前世であれば勇者は今ごろ豚箱行きだ。


「あなた、人間じゃないよね、何者なの?」


俺がくだらない事を考えていると、スプーンに入ったりんごジュースを飲んでいたフェイが単刀直入に聞いた。

この妖精は出会った時からそうだが、他人に対して遠慮がない。


「人間じゃない?」


「よく見て、少し透けてる」


先に弁明するが、俺は決してロリコンではない。ロリコンではないが、いきなり透けてるなどと言われたらドギマギしてしまうのは仕方のない事だ。

心の中で言い訳をしてから再度少女を見つめる。よく見ると、確かに若干透けて背中の後ろの背もたれが見える。心なしか、ぼんやりと薄い光を纏っているようにも見える。

少女は恥ずかしそうに自分の身体を抱き、言った。


「……あんまり見られると恥ずかしい、です」


「ご、ごめん!そんなつもりじゃ……」


警察の皆様、今すぐ俺を豚箱に連れて行って下さい。

隣からフェイの冷ややかな視線を感じながら、俺は罪悪感の海に飲まれそうになる。

そんな俺たちの様子を見て、薄明かりの少女はくすりと笑った。


「私はキリスティア。あそこに立てかけてある剣に宿った魂です」


そう言ってエンドテーブルに立てかけられた剣を指さした。華美な装飾が施されたその剣は、まごうことなき勇者の剣だ。


「思い出した……あの時勇者は君の名前を呼んでいた」


「それじゃあ、あなたが私達の魔法を打ち消したの?」


フェイの質問に、キリスティアは少し眉を下げた。


「ごめんなさい。ダンテちゃんに呼ばれて力を使った事以外は覚えていません。剣に憑依している時は目も見えないし音も聞こえないんです」


それもそうだ。剣には目も耳もないのだから。


「でも、魔法を防いだのではなくというのであれば私の力で間違いないです。私は魔力を破壊する事が出来ますから」


魔力を破壊する。俺は魔法を使えないしそもそも魔力を感じたことがないのでわからないが、隣に座るフェイにとっては驚愕の内容だったらしい。テーブルから勢いよく飛び立ち、いつもよりも羽をバタつかせながらキリスティアに迫った。


「ま、まま、魔力を破壊!?そ、それはどういう魔法なの?よければ教えてくれないかしら、対価が必要ならオーグを差し出すわ」


フェイはキリスティアの目と鼻の先まで近付き、前屈みでまくし立てる。それに対してキリスティアは困った様子で、しかしはっきりと告げた。


「これは魔法ではなく、私自身が持つ力です。私以外には使えません」


「あなた自身の力?」


その答えにフェイの興奮は収まり、魔法以外の力への興味に変わっているようだ。

キリスティアは人差し指を下唇の下に当てて考える素振りをすると、そのまま指を立てて説明した。


「例えば、刻印魔法ルーンは「魔力を見る目」を持つ地精族ドワーフにしか作れませんし、操血魔法サングインを扱えるのは王血を起源とする真祖の吸血鬼ヴァンパイアだけ。それと同じです。それに……」


なるほど、種族における固有の能力ってことか。操血魔法なんて初めて聞いたし、刻印魔法は見たこともないが。

說明を途中で止めたキリスティアは少し迷うような素振りをしたが、意を決したように話しはじめた。


「それに、妖精は……」


しかし、それはある人物の登場で中断される事になる。

壁掛け時計には淫魔の刻が示されていて、これは前世で言うところの深夜を表している。寮はこの時間になると施錠されるため、生徒たちのほとんどは自分の部屋に戻る事になる。


「……おい、なんでお前らがここにいるんだ?」


それは勇者も例外ではない。部屋に戻ってきたダンテは、いつもは真っ直ぐに伸びている黒髪が乱れていた。

それを見て瞬時に反応したのはキリスティアだった。


「またフレイヤのとこですか!フレイヤはダンテちゃんの言う事ならなんでも聞くでしょうけど、それを良いことにハードなプレイを強要したらだめですよ!」


空気が凍る。この場にいないはずのレーネの魔法が直撃したかのように。

友達の家に遊びに行った時、友達が母親から説教されているのを横でゲームをしながら聴いている時の心境だ。謎に姿勢を正してしまう。

隣にいるフェイも同じ心境なのか、テーブルではなく俺の肩で正座している。

キリスティアはそんな俺たちはお構いなしに説教を続ける。


「それと!あんまり他の人に意地悪しちゃだめって言ってるじゃないですか!大体ダンテちゃんは……」


「……頼む、帰ってくれ。その菓子は全部やるから、頼む」


勇者は顔を伏せながら、弱々しくドアを指差し言った。その様子は普段とはあまりにもかけ離れていて、勇者が14歳の少年である事を思い出させる。

俺は何も言わずに頷き、そのまま速やかに部屋を出た。




パタリ、とやけに軽い音が響く。開けるときは重厚感があったそのドアも、あの光景を見たあとだとなんてことはない、他の部屋と同じドアだ。

俺たちが勇者の部屋を出てすぐ、フェイは焦った様子で呟いた。


「ちょっと待って。あたし、部屋に帰れなくない?」


そう言われて初めて、事の重大さに気付く。

今は淫魔の刻。寮は窓も含めて外側から完全に施錠され、朝を表す金竜の刻まで寮を出ることは出来ない。

そして男子寮と女子寮は隣同士だが、繋がっていない別の建物である。

一階には人が一人寝れるくらいのソファが置いてある共有スペースがあるし、施錠される前に寮内にいないといけないとか、異性の寮で泊まってはいけないなどの規則は特にないのだが、男子寮に女子、それも妖精が一人で寝泊まりするのは危険極まりない。

俺は逸る気持ちを抑えながら、努めて冷静に提案した。


「俺の部屋で良かったら、貸すよ」

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