持てる者、持たざる者

「それでは最終戦!妖精組、オーギュスト!」


頭上から、筋肉の声が聞こえる。


「戦士組、ダンテ!!!!!」


「いけー!ダンテ!」


「勇者!勇者!」


そしてどうやら観客にとって、この戦いは遊戯のようなものらしい。

誰一人として勇者の勝利を疑わない。


だからこそ、勝機がある。


『オーグ、まだ敵の姿は見えないわ』


虹色の声に従い、真っ直ぐ進む。

隣ではレーネが既にフィブルブレイドを詠唱している。

基本は変わらない。フェイが敵を見つけ、アクセルが狩る。

そして厄介な奴を俺とレーネが担当する。


だが今回は少し違う。

キャシーとの戦いで分かった俺たちの弱点を見直した。


『フェイ、勇者を見つけたらすぐに黒いベールを被った女の子を探してアクセルを向かわせてくれ。すぐ近くにいるはずだから』


フェイの探知報告を全員に送って貰うようにして、なおかつこちらからフェイに語りかける事が出来るようにして貰った。

使役する精霊が増える分、魔力消費は激しいらしいのでどこかで温存する必要はあるが、戦いにおいて情報は重要だ。


一度意識を戦場に戻し、フェイからの連絡が来るまでまっすぐ前に歩く。

初戦同様、勇者は一人でいるはずだ。そして万が一の怪我や搦め手に対して即座に対応できるように近くにフレイヤとマリア、その護衛にボルドが待機といった所だろう。

装備である程度予測はつくが、どれほどの能力を持っているのかがわからないのが不安だ。

そんなことを考えながら進み続け、試験場の中央付近に差し迫ったその時。


『オーグ、勇者よ』


『それじゃあ、ここからは皆で頑張ろう』


短いやり取りの後、今まで虹色の声を伝達していた精霊たちが耳元を離れる気配を感じる。試験場の中央を見据えた俺は隠れるでもなく歩き続け、開けた場所に姿を表した。


「……僕に正面から立ち向かって来る人は初めてかもしれないな」


一人で現れた俺を見て、勇者は白々しく驚いてみせた。


「そこまで腕に自身があるって訳じゃないんだけどね」


軽口を言いながらも剣を構える俺を前に、勇者は剣を抜く事もなく自然体でそこに立っていた。


「剣は抜かないの?」


この質問は強がりだ。質問せずとも、ただ相対しただけで分かっている。分かってしまう。

俺は、コイツより弱い。圧倒的に。

それでも俺の中にある悔しさが、俺を情けなくも強がらせた。


「必要ないからね」


勇者はそんな俺の内面をも見透かしているかのように、肩をすくめて目を閉じた。

そうかよ、それじゃあ全力で行くぞ。

瞼が閉じられるその瞬間、俺は全力で地を蹴り叫んだ。


「レーネさん!!!!」


当然、という表現が正しいのは悔しいが、回避された俺の剣は勇者には当たらず空を切った。

しかし、いくら勇者であろうと回避には隙が生じる。


「フィブルブレイド!!」


俺の剣を回避した先で、冷気の刃フィブルブレイドが勇者に伸びる。

触れずとも霜に凍らせる恐るべき冷気の刃が勇者に届くその瞬間――。


耳鳴りのような鋭い金属音が鳴り響き、辺り一面を霜で覆い隠した。













「おい、あの大技撃たせてるじゃねぇか……全くダンテのやつ、他人の試合は見て勉強しろってあれほど……」


「今はこっちに集中してくださいよぉ~。ダンテ様なら大丈夫ですってぇ。それより、私が少しでも傷付いたら大変ですよ~」


試験場の端で生い茂る木々のその上で、鬱金色に鈍く輝く重装鎧を纏った大男と純白の修道服に身を包んだ少女はそこから見える中央の光景に目をやっていた。


(余所見……だが)


彼らよりも高い木の上からその明らかな隙を見つけた狼は、腰の刀に手を添え尻尾を逆立て、空いた一瞬の隙に踏み込むべきか逡巡する。


(あの男、先程からわざと隙を作っているように見える)


アクセルはかなり長い間、攻撃の機会を掴めずにいた。

重装鎧の男を突破出来さえすれば、残った女など手を出す必要も無い。

しかし、一度も姿を見られていないにも関わらず、目の前にいる重装鎧の男がこちらの大体の位置を把握しているという嫌な確信があった。


(……俺の仕事は此等を勇者に近付けさせない事。もう一人も少し離れた場所で待機している。手筈通り、あちらに合流するか)


物音を立てないよう、木から木へと飛び移る。

あの男にはすぐ気付かれるだろうが、三人の動きは妖精が監視している。動きがあれば知らせが来るだろう。

オーギュストがいるであろう広場に向かって木々を飛び越えながら向かう。


(それより……勇者はどうなった?まさか、本当にあの二人で下したのか?)


アクセルは疑念を抱いていた。

例え他の三人を遠ざけたとして、あの平凡そうな男と魔法の一撃だけで倒せる相手なのだろうか?

同じ妖精組に勝ってはいるものの、最終戦まで意識を失っていたほどの接戦だったということは、詳しい話を聞かなくてもわかる。


中央に近付くにつれ木々が少なくなっていく。広場に出る頃には飛び移る木がなくなり、アクセルは地に足を付けた。


(……なんだ、これは)


踏んだ地面は霜で凍っており、足首とまでは行かないがかなりの高さがある。

広場はすぐ目の前が見えなくなるほどの白い霧が立ち込め、先程まで居た場所とは全く別世界に迷い込んでしまったかのようだった。


『……妖精、これはどういう状況だ』


『あたしにもわからない。……でも、これがレーネの全力って事なのかな』


妖精も驚いているようで、どこか他人事のような感想を述べるのみ。


『作戦は続行でいいんだな』


『ええ。オーグの姿は見えないけど、お仲間に動きが無いってことはまだ終わってないわ』


班員が動かないということは、勇者はまだ倒れていないということだ。油断できない。もしかしたら、あの男と女は既に倒れているのかもしれないのだから。

アクセルは己の嗅覚を頼りに、霞香りの中から微かに漏れる知人の臭いを辿って歩く。


微かな臭いが確かに感じられるようになった時、それは聞こえた。

鋭く短い鈴音の様な高音が、不定の間隔でなり続けている。

固い鏡同士を打ち付けているようなそれは近付く程に大きくなり、その激しさを訴えかけてくる。


(これは……剣戟か?)


アクセル自身も剣士であるからこそ分かる、剣と剣がぶつかり合う音。

気付くのに少し遅れたのは、その音が鋼と鋼の音ではなかったから。

片方は鋼だ。打ち合った際に硬さを示すように響く音は、刀を持つ前から知っている、聞き慣れた音。だがもう一つの音は分からない。抽象化した鏡の様な、何処か神秘的なその高音は初めて聞く音だ。

顔を出した好奇心に従って足を早める。


しかし、直後に目に飛び込んできた光景が、アクセルを現実へと引き戻した。


「ぐおぁぁぁぁぁぁ!」


「さっきまでの余裕はどこ行ったんだよ」


普段のあっけらかんとした表情が嘘の様な形相で、金髪碧眼の凡人が剣を振るう。

見事な剣だ。丁寧に磨かれた刀身は力強く弧を描き、黒髪黒眼の超人に迫る。


「友達をいじめるのをやめろっていうのは分かるけどさぁ」


剣戟の音が鳴る。

勇者が異彩の剣を振るう。華美な装飾が施された鞘とは打って変わって青白く澄んだ刀身に、鍛錬を積んだであろう剣筋がまるで児戯であるかのように弄ばれる。剣は宙を舞い、凡愚の背後に突き刺さる。


「お前、弱すぎだろ」


それは、持てる者と持たざる者の圧倒的な差だった。

ダンテはおもむろに足を上げたと思うと、まるでゴミを扱うかのように満身創痍のオーギュストを蹴り飛ばした。


「予想外に強い魔法だったけど、この霧は目隠しに丁度良いな」


人と剣の二つの重さが霜を蹂躙する音だけが響いた。

オーギュストのあまりの惨状に無意識に隠密を解いてしまったアクセルに、勇者が気付いた。


「次は犬か……オレは虫と獣が大嫌いなんだ。いっそ帝国みたいに奴隷制度を設ければ良いのにな」


勇者はオーギュストを見る目とは違う、空虚な目で一瞥すると緩く剣を構えた。

アクセルは元々勇者というものに興味がなかった。王国とは程遠い故郷にも噂は届いていたが、普通の人間より強い人間程度の認識だった。

だが己の人生に力が必要になり王国の領土に足を踏み入れた時、その認識は変わった。

街を歩けば嫌でも聞こえる勇者の噂はどれも善行だった。

「人里に降りてきた獣を4歳で討伐した」

「6歳で村を襲っていた山賊団を滅ぼした」

「10歳で領民に多額の税を強いていた領主を改心させた」

他にも数え切れないほどの噂を聞いて、勇者の認識は目標に変わった。

人生の終着点に至る足掛かりとして、最強の善人である勇者を超えて最強になる。それが王国での目標だった。


(……所詮、人間)


「勇者らしくない台詞だ」


アクセルはなるべく自然に見えるように平常心を心掛けて、普段は苦手で避けている会話を試みた。

交流が苦手なアクセルがこれをしているのには理由がある。


(まだ試合は終わっていない。人間が一人倒れただけだ)


精霊魔法はまだ繋がっているため、こちらの状況をあの妖精に伝える事が出来る。

霧によって妖精の目は使えず魔法使いの女は姿が見えない。

絶望的な状況下で、それでもまだアクセルは諦めてはいなかった。


「『人類が誇る最強の善人』ではなかったのか?」


「大変だぜ、他人の理想で居続けるのって。お前には分かんねぇだろうけどな」


勇者はわざとらしく肩を竦めてそう言うと、今まで戦う気がないのかと思うほどに緩く構えていた剣をしっかりと握り直した。


「つーかもう夕方だし、犬に構ってフレイヤとの時間を縮めるのも癪だ。さっさと終わらせよう」


気怠げな声とは似ても似つかない、素早く正確な光の斬撃が襲いかかる。

アクセルは腰に差した素朴な刀に素早く手を伸ばし黒鞘から白銀の刃を解き放つと足、腕、肩とわざと急所を避けて傷を付けようと伸びる剣先の軌道を逸らすように防御した。


「へぇ、犬の癖にやるね。技術だけならさっきの雑魚よりは上かもよ」


力の向きを逸らしたと言うのに、勇者の攻撃は止まらない。

寸止めなど関係ないとでも言うかのように、急所を外した斬撃を繰り返してくる。


(躱せ)


攻撃することを意識から外し、剣先に集中する。薙ぎを逸らし、突きを躱し、決して剣を受けないように立ち回る。


(精霊魔法が繋がっているということは、あの妖精にはまだ何か考えがあるはずだ)


仲間だの、協力だのという馴れ合いを嫌うアクセルにとって、この思考は認め難いものだった。だがそんな事をなりふり構って居られないくらい、勇者の攻撃は激しさを増していく。速度は既にアクセルを凌駕し、逸らしきれずに掠った箇所から血が垂れる。

物理的な力の差は歴然で、一度でも刀で受けてしまえば体制を崩してしまうだろう。

極限の集注の中、勇者の動きにゆらぎがあることに気付いた。

隙とも呼べない程の僅かなゆらぎ。それはアクセルが集中を保つために手放していた攻撃の意識を刺激した。


(防御だけをしていればしばらくは時間を稼げる。だが……)


一瞬の思考の最中にも、ゆらぎは一定の間隔で姿を表す。心なしかそれは先程よりも長く存在しているようで、誘われるように攻撃の意識が高まっていく。


(そもそも、なぜ俺は他人に縋る事ばかり考えていた?妖精に秘策がなければ、このまま躱し続けても勝ち目はない)


――それなら、と。

アクセルは集中を切り替え、いつの間にか常に見えるほどになった隙に刀を振った。

その斬撃は孤を描き、隙を作っていた勇者の剣を叩き落とすに足る一撃だった。


「はい、残念」


だが次の瞬間、アクセルの視界には夜の暗闇だけが写っていた。

勇者の持つ青銀の剣を狙った一撃は、どこからか飛んできた火の玉によってその威力を相殺され、体制を立て直す前に勇者の蹴りが顎に入り、狼の身体を宙に打ち上げた。


「所詮は獣だな。少しエサを用意すればすぐに食いつく」


勇者はアクセルを見下ろしながら愉快そうに笑うと、すぐ横の木の陰から現れた赤髪の女と話し始めた。


「ありがとう、マリア、フレイヤ。マリアの精霊魔法で位置を特定して、フレイヤの火球で援護射撃。霧で視界が悪いのに良く頑張ったね」


「ま、まぁ、これくらい出来ないとあなたの隣に居られないもの……ってマリア!?余計なこと言わないで!」


二人はまるで倒れているオーグやアクセルが見えていないかのように呑気な会話を繰り広げている。

アクセルは立ち上がろうと力を込めるが、脳が揺れるせいでそれは叶わない。


(ここまでか……)


遠のく意識に身を委ね、瞼を閉じようとしたその時。


「……アクセル、おいアクセル。動けるか?」


近くで倒れていたオーギュストが、倒れた体制のまま声を潜めて声をかけた。

顔を向けると、アクセルと同じかそれ以上に酷い怪我を負ったオーギュストが、こちらも顔だけをアクセルに向けている。

その瞳には叛逆の炎が猛っていた。


(この状況で、まだ勝ちを諦めてないとでも言うのか……)


「……動けん」


だが、残念な事にアクセルの身体は動かない。脳震盪に加え、少しずつ流していた血のせいで貧血を引き起こしている。

それはオーギュストも同じだった。


「精霊魔法はまだ生きてるか?」


「生きている。……作戦があるのか?」


アクセルは今にも切れそうな意識の糸を必死に繋ぎ止め、オーギュストの言葉を待つ。


「いや、ない」


しかし、その期待は砕け散った。意識の糸が切れかかる。

それでも尚、オーギュストの目から炎は消えない。


「多分、レーネは何も考えずに姿を消さないし、フェイはなんの意味も無く精霊魔法を繋げたままにはしない。何か理由があるはずだ」


「なぜ」


まるでそうであることを確信しているかのようなオーギュストの言葉に、アクセルは声を上げる。


(なぜ、信頼できる。なぜ、他人に縋れる)


しかし言葉をつぐんでしまう。

オーギュストは優しく語りかけるように言った。


「チームだから」


オーギュストはどこか大人びた、説教めいた様子で続ける。


「誰しもが自分の考えを持って行動してる。アクセルが攻撃に転じたのだって、自分で考えて出した結論だろ?同じだ。俺も、フェイとレーネが


それは、どこか自分を責めているような。


「特に俺は弱いから、信じるしか、縋るしかないんだ。フェイは連絡が出来ない程集中する何かがあって、レーネは姿を見せずに俺たちが作る隙を待ってるって」


だから、と。

オーギュストは言った。瞳に炎を宿しながら。


「叫べ。お前はフェイに、俺はレーネに。這ってでも勇者に近づいて、声で正確な場所を伝えるんだ。そうすれば、レーネが俺たちごと吹き飛ばしてくれるかもしれないぜ」


冗談めかして締めたオーギュストは、しかし表情は本気だった。

作戦とも言えないやけくその特攻。そもそもあの二人が何かをしているかどうかすらわからない。


(それでもチーム、考えている事を考える。か)


「わかった」


アクセルにとってオーギュストのその言葉は、不思議と腑に落ちるものだった。


(問題はどうやって勇者に近付くかだが……)


思考を始めたその時、未だに溶けずに積もっている霜を踏みしめる音が聞こえてきた。それはこちらに近付いてきて、足元で止まった。


「雑魚二人で内緒話も良いけどさ、残りの雑魚二人の居場所を教えてくれよ」


それは幸運にもこの作戦の対象だった。

勇者はアクセルの右腕を踏みつけ青銀の剣を鞘から抜くと、脇下にあてがった。


「早くしろよ。薄汚い獣の腕を切り落としたって、勇者である俺は罰せられねぇよ?」


そう言うやいなや、刃を少しずつ沈めてくる。黒装束が血で滲む。


(今だ)


勇者の意識が完全にアクセルに固定され、距離も近い。

アクセルは精霊を通して叫んだ。


『フェイ・フレイ!!!勇者は俺のすぐ側にいる。やるなら今だ!!!』


物理的には無音の時間が流れる。

刃は既に切り込みを作る程には沈み、神経に直接触れる痛みが走る。

歯軋りをしながら痛みを堪え、ひたすらに信じる。


(頼む。頼む。頼む)


「時間かかりそうだし、とりあえず一本飛ばしとくか」


しびれを切らした勇者がアクセルの腕を切断しようと、剣に力を込めた。

迫る銀刃と自身の剣士としての死を想像し、アクセルは目をつむった。


だが、いつまでたっても痛みはやってこなかった。

目を開くと驚いたような表情をした勇者が、先ほどと一切変わらない状態で固まっていた。


「……なんだ?身体が動かねぇ……マリアッ!!なんとかしろッ!!」


さっきまでとは違う、余裕のない声で叫ぶ勇者。

その叫びに被せるように、それよりも大きな声でオーギュストが叫んだ。


「レーネッ!!今だッ!!!!」


まるで狼の遠吠えのような叫びだった。

その声は霧を震わせ、一瞬の静寂を生み出した。


「待っていました」


静寂の後、その静寂の中ですら細く静かな声が響いた。

深い霧のカーテンの中を掻き分け現れたのは、身に纏う簡素なローブと不釣り合いの美女。身体的特徴はよくいる人間のそれなのに、顔のパーツ一つ一つが精巧に作られた蝋人形のように美しく人間離れしていた。

彼女が現れると同時に辺りの温度が更に低くなるのを感じる。

既に凍っているはずの霜が、ぴきぴきと音を立てて更に凍った。


ニヴルリーヴァ霧闇をもたらす者


夜の静寂と霜獄を作り出す、氷の様に冷たい声が静かに響いた。

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