道化師

王立冒険者学校、その一室。教室よりも一回りほど小さい円形のこの部屋に、冒険者学校に勤めるすべての教職員が集められていた。教員は勿論、食堂の料理人や清掃員など、この議題に直接関係のない者達も集められている。

議題は、魔王軍が侵攻してきた場合、学生を戦地に送り出すか否か。

円の中央でそれを説明しているのは、この学校の創設者であり校長のガヴレイン。白髪は太陽のように広がり、衰えの見えない屈強な肉体を維持し続けている。その様はまさに、元一ツ星冒険者の貫禄だ。


「……という訳だ。私としては、すぐにでも首を縦に振りたいところだが……その前に諸君らの意見を聞いておこうと思ってな」


説明が終わると、教職員はそれぞれ自らの意見を吐き出し始める。賛成、反対、代替案など様々な見解が生まれたが、大多数は賛成に近い意見を持っていた。


「断固反対だ!ここは冒険者学校だぞ!?王国の都合の良い兵隊ではない!」


「賛成です。そもそも冒険者の本質は人間を守ること。魔王軍の襲来に備えて徴兵というのも冒険者の義務なのでは?」


激しい討論が続く。次々と順番が回り、マーシェル・ハリスにスポットが当たった。『受け流し体質の事なかれ主義』。彼と仕事をしたことのある者であれば誰もがそういう印象を持つだろう。上司の言うことに反発せず、世間的な目線で意見を述べる。王都に住む住人達の意見を代弁するのであれば、マーシェルは賛成派の当たり障りのない事を言うだろう。この場にいるほとんどの教員はそう思っていた。


「……私は反対です」


だが、圧倒的多数が賛成派の会議の中マーシェルが語り始めたのは、誰も気に留めたことのない彼自身の体験談だった。







キラービーの巣の最下層、その最奥部。土塊の扉を開いた先にあったのは、プリズムに輝く部屋と、道化師だった。


「ようこそ★チョウドイいトコロにキてくれたね★」


最初は夢でも見ているのだと思った。あの茶単色の地獄の様な場所が、悪臭も泥のような地面もない水晶の部屋に繋がっているなんて誰が信じられようか?

だが、後ろを振り向くと先程まで俺たちが進んできた泥の道が見える。これは現実だ。だとしたら、まずはこのふざけた格好をした白黒頭の男についての情報を手に入れないと。


「こんにちは、俺はオーギュスト。あなたは一体?それと、ここで何を?」


「アーオ★これはシツレイ、ボクとしたコトがジコショウカイがまだだッた★」


俺が尋ねると、道化師はわざとらしく驚いてみせた。こいつ、格好だけじゃなくて喋り方までふざけてやがる。

道化師は終始わざとらしい仕草でカラフルな服のシワを伸ばしたり帽子の突起を整えたりした後、背筋をピンと伸ばした。左手を胸の前に、右手を背中に回し、目線は俺に合わせたまま頭を少し傾ける。


「ボクのナマエはクロリディウム・スペード。魔王様のチュウジツなおニンギョウさんだよ★」


魔王。その名前を聞いた瞬間、隣にいたレーネから緊張が伝わった。フェイやディセラは特に問題ないようだが、アクセルからも同じ緊張が感じられる。

クロリディウムはお辞儀の姿勢を保ったままケタケタと笑うと、右手で俺を指さして言った。


「おマエにイいものをミせてやるよ★ボクがここにキたリユウもオシえてあげる★」


そう言うやいなや、クロリディウムは背後にある巨大な繭のようなものに手をかけた。そして、まるでマジックでも見せているかのようにその繭を引き剥がした。


「ジャジャーン★」


「なっ……!?」


繭の中から現れたのは、繭と同じ素材で出来た半透明の白無垢に身を包み、水晶のような椅子にぐったりと力なく腰掛ける猫耳を付けた少女……キャシーだった。空いた胸元の中央には血のような朱殷色しゅあんいろに妖しく輝く歪な球体が鼓動を打っている。


魔髄核ダンジョンコアだ……」


「……え?」


ディセラの呟きを俺はしばらく理解できなかった。魔髄核は魔獣の巣を形作るものだ。それがなぜ、キャシーの胸に埋め込まれている?


「ハハハハハ★イいねェ、そのカオ。ナニがなんだかワかんないッてカンじのカオ★まさにカオスだよねェ★」


クロリディウムは俺の顔を指差し、右手で目を隠すようにしてひとしきり笑った後、両手を上に上げて拍手を始めた。


「おめでとう★これからハジまるのはイノチのショー★キラービーのシンジョオウのタンジョウだよ★」


「新女王……?おいテメェ、キャシーに何するつもりだ!?」


我を忘れて怒鳴りつけるも、道化師は拍手をしたまま愉快そうに笑う。そして突然声のトーンを下げて威圧するように言った。


「そのままのイミさ。このおニンギョウさんはイマからキラービーのナエドコになるのさ★あでもそのマエに……」


道化師はまたもやお辞儀をしたと思うと、左手をそのまま胸の中に突き入れた。傷口から黒いドロドロとしたものが滴り落ちては影となって消滅していく。手首まで入ったところで一気に引き抜くと、その手には細長い枝のような剣が握られていた。胸に服ごと貫通して空いた穴はみるみるうちに塞がっていく。

道化師は張り付いたような笑顔のまま、俺に剣を向けた。


「おマエだけはコロすよ。ニンゲン」


その切っ先を向けられた瞬間、今までに味わったことのない殺気が俺の心臓を貫いた。実際には何もされていないはずなのに、俺の身体は殺されてしまったかのように動かない。

クロリディウムは両足を揃えた不気味な体勢から有り得ない速度で俺に近づき、剣を振るった。


「バイバイ★」


「させない!天刃あまば斬り!!」


細い刃が俺の首を跳ねる直前、ディセラが素早い踏み込みからの切り上げ技でクロリディウムの刃を弾いた。その剣戟の音に叩かれ、俺の身体は自由を取り戻す。


「フィブルブレイド!」


俺が素早く体勢を立て直すと同時に、一瞬の判断で詠唱を始めていたレーネが元素魔法を放った。鞭のようにしなる冷気の刃がクロリディウムに伸びる。

道化師の顔から笑顔が消えた。


「魔剣グリモア、その頁を開く。火炎の章【陽炎の顕現】」


詠唱のような文言の直後、クロリディウムの持つ剣が赤く輝き目の前に炎の壁が発生した。急激に熱された冷気の刃はクロリディウムに届くこと無く霧散してしまう。

道化師は作り笑顔のような歪な顔でレーネを見つめている。


「やっぱ、マワりのヤツのホウがキケンだよ魔王様……でも、ニンゲンイガイはコロさないッてメイレイだから……魔王様のメイレイだから……」


クロリディウムはブツブツと何かを呟いているが、その意味は分からない。

それよりも、奴はあの枝のような剣を魔剣と呼んでいた。詠唱の直後の現象と言い、どこか勇者の使う聖剣と似たようなものを感じるが……情報が足りない。

俺は隣にいるレーネに耳打ちした。


「レーネ、あいつの情報がほしい。何か違う属性の魔法を使えるか?」


レーネは無言で頷き、両手を前に出して詠唱を始める。それを確認した俺はディセラにも作戦を伝えた。

レーネが詠唱を始めると両手の先に赤い魔力が現れ、すぐに辺りの温度が上昇する。


「火よ、放たれよ。燃え盛る矢となりて、我が敵を穿て!火の矢ファイアアロー!」


そして詠唱が終わると、魔力は数本の矢の形を取りまっすぐにクロリディウムへと向かっていく。それと同時に俺とディセラはクロリディウムを挟撃する形で踏み出した。先程の炎の壁の範囲外から攻撃する。二人で息を揃え、踏み込んだ。


「「地鳴斬!!」」


「アーオ★」


三位一体の包囲網を前に、クロリディウムは奇怪な声を上げながら。そこには当然レーネが放った炎の矢が迫っており、道化師は避けることも出来ずに全ての矢に貫かれた。傷口が燃え広がり、剣を取り出す時と同じ黒いドロドロとした液体が焼け落ちている。致命傷だ。


「あッちッち★ハヤくショウカしないと★」


眼球は崩れ落ち、右肩は焼け爛れている。常人であれば既に気絶していてもおかしくない程の火傷にも関わらず、クロリディウムは演技じみた仕草を続けている。

道化師は未だ燃え盛る身体を何回かさすった後、剣を自分に向けた。


「魔剣グリモア、その頁を開く。流水の章【無為の清瀧】」


詠唱が終わると剣の切っ先から水が吹き出し、身体を燃やしていた炎を全て消し去った。立ち込める水蒸気の中から現れたクロリディウムの身体からはグツグツと泡を立てる黒い液体が吹き溢れ、火傷を洗い流すかのように修復している。


「ザンネンでした★もうオわりかな★」


「まだだ」


ケタケタと笑うクロリディウムの背後から隠密を解いたアクセルが姿を表した。黒鞘から白銀の刃を抜き放ち、油断でがら空きの背中に無数の切り傷を刻み込む。


「ハハ★それはキヅかなかッた★」


しかし、それもすぐに火傷と共に黒い液体によって洗い流されてしまう。アクセルは舌打ちをして即座に飛び退いた。俺とディセラも距離を取る。

道化師は満面の笑みで剣を構えた。


「じャあコンドはボクのバン★……魔剣グリモア、その頁を開く。流水の章【気液の滴雫しずく】疾風の章【円月の鋭刃】」


青と緑、剣から放たれた2つの光が混ざり合う。光は差し出された道化師の右手に竜巻のようなものを形成し、冷気を纏い徐々にその形を変えていく。やがて膨張が止まったそれは、冷たい風切り音と凄まじい冷気を放っていた。


「こんなカンじだッたかな★」


「あれは……!?」


冷気の刃フィブルブレイド……私の魔法」


えい★と、やけに軽々しい掛け声と共に冷気の刃が迫り来る。その軌道は確実に俺を狙っていた。当たれば即死、だが躱せば辺り一面が凍りつき次の攻撃を躱せないどころか、この距離ではキャシーまで凍ってしまう。

剣で防ぐ?だめだ、剣ごと切られる。キャシーを見捨てるしかないのか?それとも俺が……


「イいカオ★」


「あ……俺死ん」

















「今話した事は全て事実です。私は生徒たちに同じ思いをして欲しくない」


以上です。と、マーシェルは話を終えた。戦場での悲劇、それはこの世界ではありふれた物語だ。だがありふれたものだからこそ、この場にいる者達の共感を得るには十分だった。続く教職員の意見はマーシェルに影響され、議論は学生の徴兵を反対する方針が決まりつつあった。

傍観していたガヴレインが意見をまとめるために立ち上がる。


「『徴兵には協力せず』これが我々、王立冒険者学校の総意という事でよろしいかね」


反対派の何人かは不服そうな反応を示したが、『学校の方針は教職員の多数決で決める』という校長自らが定めたルールに反発しようという者は居なかった。

議論は終わったと思われ、要請を断った事で今後予測されるであろう不評をどうするかなどの話し合いが始まろうとしていた、その時だった。会議室のドアが勢い良く開かれ、一人の生徒が息切れを起こしながら入ってきた。近くにいた教職員の一人が怒鳴りつける。


「何事だ!会議室への生徒の立ち入りは禁止されて……」


「たい……へんだ?キャシー……が、オ……グが、殺され……?」


















「なんだ……これ」


道化師が放った冷気の刃は、寸分違わず俺の心臓を串刺しにするはずだった。

だが俺を貫く直前、に遮られ、冷気は霧のように散った。それに続いて炎も掻き消える。


『……諦めてるんじゃないわよ。バカ』


虹色の声が聞こえる。軽装鎧の胸ポケットの中を見ると、フェイは普段は透明感のある羽を充血しているかのように紅く輝かせ、ぐったりと脱力していた。


「これは……ヨソウガイだ★」


クロリディウムは驚いた表情を見せている。それは今までの演技じみたものとは違う、自然なものだった。


「おマエ、エレメントをツカえたのか★」


俺を指差し、笑顔を取り繕っていく。どうやら先程の炎は俺が引き起こしたものだと思っているらしい。フェイに気付いていないのか?

道化師が剣を構える。


「ま、カンケイないけど★魔剣グリモア、その頁を開く……」


なりふり構ってる場合じゃない!次も奇跡が起きると思うな!

俺はポケットの中で力無く胸に寄りかかっているフェイに一つの作戦を伝えた。


『……分かったわ。絶対成功させなさいよ』


「轟雷の章【神裁の界雷】」


詠唱が終わり、剣から放たれた黄色の魔力が部屋全体を覆う黒い雲のような形に変形する。それは程なくして炸裂し、無差別に降り注ぐ稲妻の雨を撒き散らす。

慌ててキャシーを確認すると、ディセラとレーネが抱き締めるようにして守っている。その傍らでは刀を掲げ避雷針のようにして雷から二人を守るアクセルが、俺を睨みつけていた。


「悪い、そうだよな。チームだもんな……ッ!」


バカ、俺が信じてやれなくてどうする。今俺がやるべきことは唯一つ、『道化師』クロリディウム・スペードを、この場で仕留める事だッ!


「はあぁぁぁぁッ!!!」


俺は剣を握り締め、道化師に向かって駆け出した。

近付く程に稲妻は勢いを増していき、俺の頬や腕を切り裂いては痺れるような痛みを与え続ける。まるで神経を直接触られているような、不快な感覚が俺の身体を蝕む。

だが止まれない。こいつを野放しにする訳にはいかない。キャシーを苗床になんかさせないッ!


「フェイ、やれッ!!!」


『精霊よ!!』


過負荷のスパークに侵され酩酊する神経を振り絞り、俺は叫びながら道化師の懐に飛び込んだ。

虹色の声が響き渡り、視認できない光のようなものが道化師の周りに集まっていく。


「……カラダが、ウゴかない……まさか、ヨウセイがイたとは★」


不気味な体勢で硬直した状態でも、道化師は動じていないようだった。

俺は剣を構え、右足を前に踏み込んだ。


「地鳴斬ッ!!!」


その一撃は空気を揺らし、道化師の上半身と下半身を真っ二つに切り離した。

断面から黒いドロドロとした液体が流れ出るが、再生する気配はない。


三人で攻撃した時、道化師はわざわざ俺たちの斬撃を避けてレーネの魔法に当たりに行くような素振りを見せていた。その後のアクセルの攻撃は避けなかったのに、だ。


「つまり、お前は身体を両断されるような傷はすぐには直せない。終わりだ、クロリディウム」


表情一つ動かさずに、道化師はケタケタと笑う。

その口からは黒い液体が滴り落ち、意識は遠のいているようにも見える。

しかし俺が背を向けキャシーの元に向かおうとした瞬間、道化師は呟いた。


「魔剣グリモア、その頁を開く。流水の章【気液の滴雫】」


「ッ!?」


「火炎の章【不滅の篝火】」


咄嗟に剣を弾き飛ばすが、道化師は詠唱を止めない。手元から離れたはずの剣から赤と青の光が放たれ、大量の水蒸気を生成し始める。


「大地の章【岩鉄の球殻】」


最後の詠唱が終わる。剣から放たれた茶色の光は巨大な岩の球体に変化し、生成され続ける水蒸気を閉じ込めた。

道化師は満足そうに笑い、キャシーを指差す。


「そのおニンギョウさん、ダンジョンコアをセツジョしないと、ここからウゴかしたらシんじゃうよ★オいてイッたらナエドコに★でもこのバクダンはあと3ビョウでこのスごとマきコんでバクハツしちャう★どうする★ねェどうする★ハハハハハ★」


道化師の言う通り、球体は徐々に膨らんでは不安定な音を奏で続けている。


「クソがッ」


俺は咄嗟に剣を構えるが、水蒸気が詰まっている球体を刺激する訳にも行かずに歯噛みする。


「サン★」


ここまでなのか?もうどうにもならないのか?

逃げるにしても3秒では無理だ。


「ニー★」


クソがクソがクソがッ!大体全て爆発させるのであればキャシーを連れてくる理由はなんなんだ!?こいつの目的はなんだったんだよ!?


「ゼロ★」


最後までふざけた事しやがって。3秒ですらなかったってか。

球体は遂にひび割れ、抑圧された水蒸気ばくやくが全てを蹂躙――





――することは無かった。

青銀の剣を持つ少年が、土塊の扉の前で呟いた。


「聖剣キリスティア、この現象を破壊せよ」


青銀の剣から放たれた光が部屋中を包み込む。

球体は崩れ去り、既に溢れているはずの水蒸気は全て無かったかの様に消滅していく。


「雑魚の癖になにしてんだ、お前」


そこにいたのは『人類が誇る最強の善人』勇者ダンテだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る