複製人間

夏木

俺は俺になりたい。だから本物は死ね


 じいちゃんが死んだ。

 老衰だった。

 目の前にはじいちゃんが眠る棺。じいちゃんには似合わない真っ白なものだ。



 じいちゃんとの思い出はたくさんある。褒められたことも怒られたことも沢山。

 その中でも特に記憶に残っているのは、口癖のように言っていた話。



 ――じいちゃんはな、昔、研究をしていたんだ。人のためになるものだと信じて。でも、その研究を行っていた場所は研究対象によって壊されてしまったんだよ。



 俺は別に研究が好きとかそういうわけではない。でも、何度も何度もその話を言うものだから、気になった。



 でも何の研究だったのかは、結局なにも教えてもらえなかった。じいちゃんはかたくなに言おうとしなかったのだ。


 じいちゃんの子に当たる親父に聞いたことも、ばあちゃんに聞いたこともあるけれど、誰も知らなかった。



 だからじいちゃんが死んだ今、その研究について真相は闇の中である。



「知りたかったな……」



 そんな俺の呟きは、静かに斎場へ溶けて消えた。



 ☆



 葬式を終えてからしばらく経って、いつも通りの生活が戻ってきた頃、俺もいつもどおり高校生らしく学校へ向かった。



「よ、アツシ」

「おはよう、リョウ」



 駆け足で後ろからやってきた友人・アツシに声をかけられ、挨拶を返すと彼は隣に並んで歩きはじめた。



「そう言えばさ。昨日、リョウは駅前の本屋で何買ったん? 声かけようとしたんだけど、すぐ見失ってさ。なんか漫画とか出てたっけ?」


「え? 本屋?」



 アツシの言葉に俺は変な声が出てしまった。だって、昨日俺は本屋になど行っていない。昨日は一日中、家に籠って課題をやっていた。妹も家に居たし、聞いてもらえれば証言してくれるだろう。



「そう、本屋。いなかった?」


「行ってないけど……」


「マジ? じゃあ、見間違いかなぁ」


「そうじゃない? 昨日はずっと課題やってたよ。結構量があったけど、終わった?」


「やべ……ちょっと残ってるんだった……」



 慌て始めたリョウに、苦笑いが出る。今日が締め切りの課題だというのに、彼はかなり気が緩い。そこがいいところでもあり、欠点でもある。



「学校行ったら見せようか?」


「頼む! サンキューな!」



 安堵したリョウと共に、学校に着いてすぐ異変に気付く。


 ――俺の上履きがない。代わりに誰かの靴が入っている。



 いじめかと思った。でも、さすがに高校生、かつ男子だ。


 今までいじめにあった経験もないし、女子みたいな泥沼な関係を持った記憶もない。ましてや高校生で上履きを隠すというようないじめを聞いたことはない。


 それに靴が入っている。


 となれば誰かが間違って俺の下駄箱を開けて、靴をしまい、俺の上履きを使ってしまっているのだろうか。



「どした?」



 いくら待っても動かない俺を心配し、リョウが顔をのぞかせる。そして俺の目線の先にあるべきものがないことに気付いたようだ。



「誰のだ、この靴」


「わかんねぇ……でも、この靴、俺が持っているのと同じ靴だ」


「んだよ、それ。それより、上履きないんじゃ大変だろ? 待ってろ、スリッパ借りてくる」


「ありがとう」



 リョウが職員室まで向かい、来賓用のスリッパを持ってきてくれた。


 俺はその間、まじまじと残っている靴を見ていたのだけれど、この靴、俺が持っている靴とサイズやカラーも同じものだな、なんて考えていた。



 いったい誰がやったのだろうか、とリョウと話ながら教室へ向かう。



 朝。

 多くの生徒が登校する時刻。廊下は多数の生徒でにぎわっているのが常。だけど、今日は違った。


 いや、正確に言えば違うわけではない。


 にぎわってはいた。


 ただし、その理由は違う。



 友人たちと話して盛り上がっているのではなく、何か問題が起きているのを野次馬のように見ているために賑わいが起きている……と言えばいいだろうか。



「なんだ?」


「さぁ……」



 集まっている生徒が見ている先には、俺たちの教室。


 珍しく扉は閉じている。そこにある小さな窓から、中の様子をうかがうことができるために、かわるがわる生徒が覗き見て青ざめた顔で戻って来る。



「来た!? 早く行きなさい!」



 別のクラスの女子が俺たちを見てすぐ、教室へ入るよう背中を押す。


 何もかもわからないまま、青ざめるような場所に押し入れるなんてどういう神経なんだ。


 しぶしぶ、リョウがガラッと教室の扉を開けて入ったとき、冷たい空気が俺たちを包んだ。



「なんだ……っ!?」



 教室中の視線を集めた俺たち。直後にその理由を知る。



「俺……?」



 すでに登校していたクラスメイトたちは、教室の窓際で床に座り身を小さくしていた。

 その前に立ちはだかっていたのは、まぎれもない俺自身。顔も、背丈も俺そのもの。


 もう一人の俺が、恐怖で教室を支配している。



「やっと来たかよ。本体」


「は?」



 男が立ち上がって声を出す。

 顔だけじゃない。何もかもまったく俺と同じ。俺のクローンといっても過言ではない。



 目の前にもう一人の俺がいる。



 それだけしか理解ができなかった。



「なあ、本物」



 じわじわと俺が距離を詰めてくる。



「死んでくれ」



 言葉と共に、視界が反転した。

 けれど痛みはない。



「あっぶね……大丈夫か?」


「ああ……ありがとう」



 俺はリョウによって床に転がされたが、そっくりさんが振り上げたこぶしを避けることができたのだ。



「なんなんだ、あいつは。なんでアツシと同じ顔してんだ? というか、なんで同じなんだ?」



 俺にわかるわけがない。

 リョウの疑問に俺は答えられない。

 代わりにそっくりさんが答えた。



「俺はその男――アツシのコピーだ」


「コピー?」


「ああ、そうだ」



 わかりっこない。

 コピーってどういうことなのか。



「訳がわからない、そんな顔だな。こっちだって知りたいさ。どうしてコピーが生まれたのか、その存在理由を」



 眉間に皺を寄せて、どこか悲しそうだった。

 でも。



「なんの意味があってコピーを作ったのか。それを知る前に、研究所は他のコピーたちに壊された。そして全てを知る人間はたかが老衰で死んでいった。知りたい事をもう知ることができないというのなら、俺は俺になりたい。そのためには、本物であるお前は邪魔だ」



 強く拳を握りつつ、鋭い目が俺に向けられる。



「俺はお前を殺す。そうすれば俺はコピーじゃない、本物になれる」



 理不尽だ。


 俺は何もしていないのに、俺は俺に殺されるなんて。


 一体俺が何をしたっていうんだ。



「俺は何もしていない。殺される理由はないだろ」


「俺がお前のコピーである以上、殺される理由に値するだろう」


「はあ!? 意味わかんねぇよ」



 でも、ふと頭の中にじいちゃんの話が思い起こされた。


 ――研究を行っていた場所は研究対象によって壊されてしまった、と。



 俺のコピーは、その研究対象だったのではないか。

 じいちゃんが行っていたという研究が、コピーを生み出したのではないか。

 それなら、じいちゃんの孫ということが充分に殺される理由に値するのではないか。



「アツシ!」



 よぎった考えを、リョウの呼び声がかき消す。



「ごめん、考え事」


「考えてる暇なんてないって! あいつやば――」


「リョウ!」



 俺のコピーがリョウの脇腹を蹴り上げた。

 その衝撃でリョウは飛ばされる。



「っ……」



 呻き倒れる彼に寄り添えば、コピーがさらに睨んでくる。



「お前っ!」


「どうして本物がコピーである俺に怒りを向ける?」


「当たり前だろ! 友達を蹴った奴を怒るのは」



 コピーはわからないといったような顔をする。それがとても腹立たしい。



「ならば俺を殺すか?」


「は?」


「そうだろう? コピーを殺せば本体お前の怒りはおさまる」


「本気で言ってるのか?」


「強い者が生き残る。そうして人間は争って、奪ってきた。そうだろう?」



 コピーは大真面目だった。

 争う姿勢を見せるかのように、コピーは拳を振り上げる。

 それは俺の顔にそのまま決まった。



 激しい痛みを食いしばって堪える。

 口の中が切れたらしい。血の味がする。



「そんな痛みごときで、倒れるなんて本物は雑魚か」



 俺の声で俺が言ったことのないような言葉を吐く。



「うるさいな! 喧嘩なんてしたことねえんだよ。いちいち俺の声で話すなよ」



 対抗して殴り返してみたが、いとも簡単に躱される。

 コピーの背中を見せてしまったせいで、今度はコピーの足が背中に落とされた。



「ってぇ……」



 床に這いつくばる形になった俺の上に、コピーは腰を下ろした。



「このまま死ね」



 首を絞められる。

 呼吸ができない。

 もがいて手足を動かすも、コピーは動じない。



 このまま死ぬのか。

 涙が出て視界が濁ってきたとき、急に背中の重みが消えて、呼吸ができるようになる。

 せき込みながら顔を上げれば、冷たい目をするコピーがいた。



「ふざけんなよ。おんなじ顔してっけど、アツシを殺させてたまるか」



 コピーを押しのけたのは、リョウだった。



「部外者は黙っていろよ」


「部外者じゃねぇ! 俺はアツシの友達だ!」


「なら部外者だ」


「違う!」



 そんな言い争いを聞きながら、呼吸を正す。

 コピーは怒りをさらに増したようで、目つきが鋭くなる。


 まるでお前も殺してやる、と言っているようだ。


 このままじゃ、俺だけじゃない。リョウもどんどん怪我をしてしまう。それはダメだ。そう思ったとき、俺の体は自然と動いていた。



「お前さ! いい加減にしろよ! コピーだとか本物だとか知らねぇけどさ! 本物を殺したところで、コピーお前が本物になれねぇんだよ」


「……」



 コピーとリョウの間に入って言えば、手を止めじっと俺を見つめてきた。



「お前は本物になりてぇんじゃねぇだろ。本当は、ただ生きたいだけだろ!? 俺のコピーだったとしても、お前はお前だ。俺じゃない」


「そうだ! アツシはアツシで、お前はアツシじゃねぇんだよ」



 リョウが付け足すように言うと、コピーはとても嫌な顔を浮かべる。



「それならっ、俺は何だっていうんだ! 本物になれないコピーは何なんだよ!」



 初めてコピーが声を大にする。

 きっと、生まれてきた意味や、存在理由よりもずっと求めていたものなのだ。



「作られたって言っても、今は生きてる人間だ。俺もお前も、同じ生き物で、同じ人間だ。お前は人間なんだよ!」


「人間……」


「そうだ。俺もお前も。だから、何だってなれる。何だってできる」



 コピーの手は力なく降ろされ、膝から崩れるように座り込む。



「なら、俺は何をすればいいんだ。お前みたいに頼る仲間もいないんだ。どうしろっていうんだよ……」



 膝を抱え、絞り出した声は震えている。

 一人がとれだけ辛いのか、それを全て理解することはできない。けれど、寄り添うことはできる。



「仲間、いるはずなんだろう? その、研究所の」


「……おそらく。何人もいたはずだ。だけど、今、どこにいるかは知らない」


「その人達を探そう」


「無理だ。居場所もわからないのに」


「やってもいないのに決めつけんなよ。俺に考えがある」


「?」



 顔を上げた彼の前にしゃがんで目を合わせれば、真っ赤になった瞳が俺を写した。


 自分が泣き腫らした姿を見ているようで、少し気恥ずかしい。



「じいちゃんが研究所で働いていたっていうんだ。それがどこなのか、何をしていたのか知り合いを探せば手がかりがつかめるかもしれない」


「……できるのか?」


「まずはやってみないことには何とも。でも、可能性はある」



 そう言っても、どこか影を落としたままで、前向きになれていないようだ。

 そこへもうひと押し。



「アツシがやるなら、俺も手伝うからさ。お前の仲間を探そうぜ」



 イシシ、と歯を見せながら言うリョウ。その姿を見てやっと顔が明るくなった。



「よろしく頼む」 


「ああ、もちろん」



 こうして俺は、もう一人の俺と手を取った。


 この一連の出来事を、クラスメイトたちは全て見聞きしていたのだが、俺たちに対して深く何かを言ってくる人はいなかった。まあ、最初から恐怖で教室を支配できてしまうような俺のコピーに口出しするなんてことはできなかったのだろう。


 おかげですんなり、その日は早退できたし、心強いリョウも居てくれる。


 じいちゃんの遺品や知人を辿って、コピーが作られた研究所を探したり、研究員の所在を突き止めて会いに行ったりするわけなんだが……それはまた別の話である。



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