第一章 メラニー・スチュワート②
それから数日後。魔法学校にある研究
「……できた!」
最後のページを書き終えると、インクが付いた手で
床にはそうやって書いた羊皮紙が広がっていて、足の
「ふぅ。すっかり
本当は
立ち上がって、ぐーと
机の上には開かれたままの書物や調合で使ったガラス器具、
ここは魔法学校の校内にある研究棟のメラニーに
叔父であるダリウス教授に
元々、魔法学校にはダリウスの助手として呼ばれたはずだったのだが、その仕事は簡単なもので最初の数日で仕事のほとんどが終わってしまい、メラニーが
そんな叔父の計らいに感謝し、メラニーは好意に甘えて
とは言うものの、魔力のないメラニーにとって魔法学校での過ごし方は限られていた。当然、実技系の授業には参加できないし、大勢の生徒に交じって座学を受けるのも人見知りのメラニーにとって苦痛に等しい。そもそも正式な生徒でないのに、勝手に授業に参加するのはいかがなものか。その辺りはダリウスも特に何も言わなかったが、生徒に交じって何かするのは
そうなると、できることは与えられた研究室で自分の研究を行うくらいのものだ。
そこで、ダリウスから魔術に使われる薬品作りや魔法道具の作製などの簡単な調合の基礎を教わると、研究室にて一人で調合をするようになった。
ある程度の物が作れるようになると、今度は以前から作ってみたいと思っていた古文書に
幸いなことに研究に使う材料や調合道具などは、国中の魔術師の卵が集まる学校なだけあって
しかし、さすがは
そして昨日、ついに完成したのだ。
薬瓶の中で
調合から研究論文の
「そうだわ。叔父様に見せに行きましょう。私が自分一人の力で作ったって言ったら、どんな反応してくれるかしら」
メラニーは
灰色の
「じゃあ、メルル。行ってくるわね。お留守番よろしくね」
眠ったままのメルルに声をかけ、薬品の入った瓶を
「……日差しが
数日ぶりに浴びる太陽の光に目を細め、メラニーはヨロヨロと校内を進んだ。
魔法学校はその名の通り、魔力を持った生徒たちが魔法を学ぶための国の重要な教育機関である。
校舎は自然豊かな森の中にあり、その森には
生徒の多くは貴族の令息令嬢であるが、魔力を持った平民も数は少ないながら
基本的に必要単位を取ればいいので早ければ二、三年で卒業できるが、この国は魔術が使える者は何かと重宝されるため、将来を
そのため、この学校には数多くの生徒がおり、いつもならどこにいても
大勢の人間が集まった場所が苦手なメラニーにとってちょうど良かった。そうでなければ、早々に
そう考えた直後、
「──っ!」
建物の中にもかかわらずローブのフードを被り、壁に引っ付いた少女を見て、生徒たちは
「……行ったかしら?」
生徒たちが通り過ぎるのを
「……うう。
なんだか引き籠って研究していたせいで、自分の人見知りは
「早く、
メラニーは論文を抱え直すと歩みを速めた。しかし、フードを目深に被っているものだから、視界は
よって、廊下の曲がり角からやってきた人物とぶつかってしまうのは避けられないことだった。
「きゃっ!」
メラニーは突然現れた大きな
運の悪いことに着ていたローブの
後ろに
「──えっ?」
目鼻立ちの整った
男の長い
「
髪の長い男は低い声でメラニーに
「……あ、ありがとうございます」
メラニーは男に支えられながら真っ
その男はとても背が高く、
長いストレートの黒髪の男は美丈夫で、
白を基調とした上下の服に、縁に金色の刺繍の入った白いローブを羽織った姿は、世間知らずのメラニーですら知っている宮廷魔術師の制服だ。
(宮廷魔術師がどうしてこんなところに?)
しばらく
「…………す、すみませんっ!」
と、床に目をやって気づく。
転びかけた拍子に落とした論文が廊下一面に散乱しているではないか。
「きゃあ! 論文が!」
メラニーは悲鳴を上げてしゃがみ込み、急いで論文をかき集めた。
「すみません、すみませんっ!」
「……」
論文は男の進行方向をふさいでおり、メラニーは謝りながら、床に散らばった羊皮紙を拾っていく。
「あああ、風が……」
窓から入って来た風が論文を飛ばそうとするのを急いで
(もしかして!?)
窓が全開になっていることに気づくと、メラニーは慌てて窓辺へ
「あ、あんなところにまで……」
窓から顔を出して下を
「ど、どうしましょう……。取りに行かなきゃ」
「待て」
「えっ?」
急いで
男は外へと顔を向けると、左手を上げ、窓の外に向かって長い指を伸ばす。男がその指をパチンっと鳴らすと、男の目線の先──窓の外に複数のつむじ風が発生した。
「え?」
(今、
(複数の風を一度にコントロールするなんて、初めて見たわ)
こんな精密な技法は熟練の魔術師でもそうそうできるものではない。しかも、彼は
(宮廷魔術師の使う魔法って、こんなにもすごいものなの?)
すっかり感心している間に、男は外に飛んでいた羊皮紙を集め終わっていた。
「ほら」
集まった羊皮紙の束を差し出され、メラニーはハッと意識を取り戻し、慌てて論文を受け取った。
「あ、ありがとうございます。それと……さ、さっきはぶつかってすみませんでした。前をよく見ていなくて……。あ、あの、拾ってくださいまして、本当に、あ、ありがとうございました」
お礼を言い、チラリと顔を上げると男の
(ひぃっ!)
慌てて顔を隠そうとして、ローブのフードを引き下げようとしたが、いつの間にかフードが
「──本当にご
メラニーは論文の束を腕にしっかりと
● ● ●
「おいっ!」
男は逃げるように立ち去る少女を呼び止めたのだが、彼女はその声に気づかなかったようでそのまま行ってしまった。
「──チッ」
メラニーに逃げられた男は、再び窓の外に目を向けると、木に引っかかったままの羊皮紙を
やはり自分の目つきが怖いせいか、と男は考える。
友人からもお前は
男は気を取り直して、窓の外へ視線を
どうやら、さっきの風魔法の
もう一度指を鳴らすと、今度は先程より強い風が吹き、木に引っかかっていた羊皮紙もちゃんと男の手に戻ってきた。
「論文だと言っていたな。……やれやれ。どこの生徒だ?」
名前が書かれていないかと思って、手元の論文に視線を
「………………はっ?」
数行文章を流し読みした男の口から思わず声が
チラリと見るつもりだったのに、男は目を見開いて何度もその論文を読み直した。
「なんだこれは……」
男の名前は、クイン・ブランシェット。
歴代最年少で
そんな魔術のことなら
一見、あまりに
(──一体、誰がこんな研究を?)
普通に考えれば、先程の少女が書いたものと考えられる。
しかし失礼だが、あんな
(──とにかく、さっきの少女を
そう考えたクインは
● ● ●
教授の部屋が並ぶ教育
メラニーの
ダリウス・スチュワートは多くの著名な魔術師を
そんな彼が今、姪が作ってきた薬品を前に
テーブルの上にあるのは、ドロリとした
メラニーの説明によると回復薬らしいが、普通回復薬といえば薬草の色がついた
一体どのように作ったのかとメラニーに問えば、彼女は作り方を
「……あ、あの。どうですか?」
論文に最後まで目を通した後、ダリウスが
ダリウスは顔をゆっくり上げると、テーブルの向かいのソファに座る姪に
「メラニー。これ、君が一人で作ったのかい?」
「はい、そうです……。あの、どこか変でしたか?」
「ああ、全部かな」
自信なさそうに訊ねるメラニーに、思わず本音が出てしまった。
「え?」と驚く姪にダリウスは取り
「ああ、いや、……うん。そうだね。まず論文だけど、書き方が
「す、すみません」
「いや、いいよ。初めてにしては上出来だ。
「えっ!? ページが抜けている? あ、さっき落としたときかな。……ごめんなさい、叔父様。すぐに取ってきます」
「いや、待ちなさい。それよりも、メラニー。ちょっと話そうか」
「え? あっ、はい」
抜けているページを捜しに戻ろうと
生まれたときから彼女のことを知っているが、スチュワート家に生まれながら大した
スチュワート家というのは魔術師の家系として位が高く、国内でも強大な力を持った家である。その重圧はダリウスもよく知っている。そんな家に生まれながら魔力を持たないというのはどれだけ苦痛なことか。幸い、そんなメラニーを彼女の家族は
そんな姪を
その時も座学だけで言えば非常に物覚えが良く、頭のいい子だと思っていた。これで魔力さえ人並みにあれば、
しかし、そう思っていたダリウスでさえも、彼女の本当の実力に今の今まで気づいていなかったのであった。
(
ダリウスは難しい顔をして、じっとメラニーを見つめた。
「叔父様?」
「ああ、すまない。少し考え事をしていてね。……さて、何から聞いた方がいいかな。そうだな。まず、この毒薬……じゃない。えっと回復薬? なんだけど、これはどこから発想したものなんだい? 君が一から考えたものではないよね?」
「はい。家の書庫室から持ってきた古文書に記載されているレシピです」
「古文書だって!?」
「え、あ、はい。古代魔術の製法が
「……ちょっと、待ってくれ、メラニー。今、解読したと言ったか? それは、その……古代文字を解読したってことか?」
「そう……ですけれど……。あ、あの、何か問題でしたか?」
問題どころの話ではない。
姪の口から語られる衝撃的な事実の数々に頭がついていかないダリウスは
「……なんということだ。つまり、君は古代語が読めるということか?」
「はい。読めますけれど……」
それが何か? とでも言うように、メラニーはあっさりとその事実を認めた。
「一体、誰に教わった?」
「え? いえ、特に誰かに教わったというわけではなくて、えっと、自分で」
「自分で!? どうやって!」
「え? ……あ、あの、本を読んでいるうちに何となく」
「何となく?」
「えっと、えっと。上手く説明できないのですけれど、この単語は薬草を意味しているなとか、この文章は作り方が書かれているんだなとか、そういう風にわかってきて、だんだんと読めるようになりました」
「……」
なんてことのないように彼女は答えるが、これは
古代語は数百年前の言語であり、
現代において、古代語を読み解ける人間は非常に数が少ない。それ
古代魔術に使われた古代語はそれほどまでに古い失われた言語だった。
(──それをこの子は独学で解読したというのか? ……よく書庫に籠っていることは知っていたが、まさかこんな才能があったとは……。このことをこの子の両親は知っているのか? いや、知っていたら言っているはずだ)
そこまで考えて、ダリウスは重大なことに気づき、目の前の異様な液体を凝視した。
「ということは、つまり、これは……」
「古代魔術のレシピを参考に作ってみた回復薬です。レシピに書かれていた材料の中には、現代にはもう存在しない物もあって、全部が同じとはいきませんでしたけど、似た作用をもつ薬草などを使って調合してみました。一応、効力も
メラニーの説明に
古代語が解読できるというだけでも恐ろしい才能なのに、メラニーは
確かに、ドロドロと
古代魔術は現代魔術よりも
(それを魔法学校にも通っていないメラニーが……しかも独学で錬成に成功したとは……)
もちろん彼女が言うように昔と同じ道具や材料が全て
「……
「──いや、なんでもない」
ダリウスが再び
(──なんということだ。魔力が
これはスチュワート家、いや、この国にとって、大きな損失になるかもしれないところだった。
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