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「もう…こんな時間か…。」


台所で手を洗う國将が、時計を見やる。

釣られて善が見上げれば、時計は22時を過ぎていた。





「あ…帰るんです、か…?」


普段なら、バイトまでの時間潰しと称してもっと遅くまでいることだってあったのに。しかも今日は週末だったから…。


早々と帰る素振りを見せた國将に、善は残念とも不安ともとれるような表情を向けてくる。






「んな顔すんなって。」


分かり易い善の態度には、後ろ髪引かれた國将だったけれど…。帰る意志を覆す様子は見られない。


何故なら…





「本当はまだ居座りてぇけどよ…」


くしゃりと善の髪を撫で、耳元に顔を近付ける。






「これ以上お前の傍にいると、本気で泣かせちまいそうだから…さ?」


「…あっ……」


曖昧な囁きには、隠そうとしない下心があって。

疎い善もさすがに察してしまい、ぼっと顔を上気させる。






「だから、さ…今日は帰るな?」


「う、んっ…」


寂しくはあるけれど。

さっきされた以上の事なんて、善には想像出来なかったし…。耐えられそうにもなかったから。


少年はしゅんとしながらも、頬を染めこくんと頷いた。







「じゃあな、またくっから…」


去り際、玄関で腕を引かれて。




(その内、続きしようぜ?)


…と、意地悪く捨て台詞を置いて去って行った、彼の大きな背中を見つめる。






(國将、さん…)


それは暗闇に、彼の姿が溶けて消えるまで続き。

少年は先程の熱を思い出しながら、まだ火照る唇を指でなぞった。


暫くそうして、立ち尽くしていると…







「善じゃない、何してるの?」


「あっ…姉さん…今日は帰れなかったんじゃ…」


反対の道から、清子の声がして。

善は思わず肩を揺らし振り返る。





「あ!もしかして國将君来てるの!」


途端に顔を輝かせた姉に、今帰った所だと告げたら。あからさまにガッカリされてしまった。


その姿に善は、思い詰めたよう表情を曇らせる。






「とりあえず中に入りましょ。」


風邪引くわよと促され、家の中へと戻る。





「姉さんは、さ…」


前を行く姉に、善は声を掛けて。




「姉さんは…國将さんの事が、」


好きなんだよね?と…自ら質問しておきながら、更に表情を暗くする。

それには全く気付かない清子は。

冷蔵庫からビールを取り出すと、ぐいと一気に飲み干してから答えた。





「あったり前でしょう!善だって彼の事気に入ってるみたいだしさ、もし私が國将君と結婚したら───…」


義理の兄弟になれるわね、と。

無邪気な顔で告げてくる姉。善は堪らず罪悪感に駆られ、その胸を鷲掴んだ。





「善はお兄さん欲しいって、ずっと言ってたし。國将君なら大歓迎でしょう?」


「え、あ…うん…」


咄嗟に頷いたけれど。

本心は違うんだと、胸の奥底がズキリと痛んだ。


更には…





「私、國将君に猛アタックするから…」


応援してねって、大好きな姉が言うから…




「うん…」


善は泣きそうになるのを必死で堪え、不自然にも笑って見せるのだった。

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