第32話 失恋

 幼馴染の言葉を信じたくなくて、芽久美は土砂降りの中をひたすら走った。

(そんな…、そんな!!)

 水溜りで隠れていた段差に躓き、豪快に転んでしまった。それでも痛みも恥ずかしさも、何も感じなかった。

(ずっと、頑張ればいつかは振り向いてくれるって思ってたのに…!)

 まだ他に好きなひとが居る方がマシだった。

(男が好きだなんて、どう足掻いたって私じゃ無理じゃない!!)

 周囲に人が居ることも構わず泣いた。人目を気にせず泣くなんて、幼児以来だった。

「えぐっ…、ひっく…。うぅ…っ。」

 もはや頬を伝っているのが涙なのか雨なのか分からなかった。


 どれほど泣いただろう。体の熱が奪われて寒さを感じ始めた頃、誰かが慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえた。

「どうしたんだよ!?」

 顔を上げると、同じクラスの坂本くんが立っていた。

「坂本くん…。私…、私…。」

「と、とにかく立って。びしょ濡れじゃないか。」

 芽久美を抱き起こすと、バッグからタオルを取り出して彼女の頭に被せた。

「傘はどうしたの?今朝から雨だったよね?」

「学校に…置いてきた。」

「なんで!?」

「…一刻も早く離れたかったから。」

「……。」

 誰から、なんて野暮な質問はせず、坂本くんは黙って芽久美の頭を拭いた。

「俺んちすぐ近くだから、ひとまず上がって乾かそう。」


 坂本くんの家はほんとにすぐ近くで、3分程歩くと辿り着いた。芽久美をリビングに案内すると、彼は急いでバスタオルと着替えを持ってきてくれた。

「良かったらこれに着替えて。そのままだと風邪引くよ。」

「…ありがとう。」

「あっ、俺別の部屋行くから!着替えたら声かけて。」

 そう言うと、坂本くんはまた慌てた様子で奥の部屋に引っ込んでいった。

「……。」

 ブカブカのトレーナーに袖を通すと、柔軟剤のいい香りがした。

「坂本くん。」

「なにー?」

「着替えたよ。」

 戻ってきた坂本くんは、制服から私服に着替えていた。

「着替え、貸してくれてありがとう。」

「どういたしまして。…雨が弱まるまで居なよ、親帰ってくるの遅いし。」

「…うん。」

「飲み物はコーヒーと紅茶、どっちが良い?それかミロ。」

「ふふ。」

「えっ、俺なんか変なこと言った?」

「選択肢の中にミロが入ってたのがちょっと面白かった。」

「あぁ…。」

 坂本くんは照れくさそうに頭を掻いた。

「せっかくだし、ミロもらおうかな。」

「わかった。旨いよね、ミロ。」

「うん。ミロ、好き。」


 坂本くんが入れてくれたミロのお陰で、芽久美の体は熱を取り戻した。

「ありがとう、助けてくれて。」

「どういたしまして。…少しは楽になった?」

「うん、お陰様で。」

「膝擦り剥いてたよね?見せて。」

 言われるままジャージをを手繰り上げると、膝には血が滲んでいた。

「ごめん、ズボンに血が付いちゃった…。」

「そんなのいいよ。消毒するね?」

 坂本くんはいつの間にか用意していたオキシドールで、膝の傷口を洗った。

「いっ。」

「ごめん、痛かった?」

「…大丈夫。」

 膝の痛みなど、芽久美にとってはどうでも良かった。しかし傷口を見ていると、また明楽の言葉が頭によぎり涙が溢れた。

「……。」

 彼は涙には触れず、擦り剥いた膝に大きな絆創膏を貼ってくれた。

「坂本くんは、優しいね。」

「どうして?」

「無理に聞き出そうとしないから。」

「…傷を抉るようなことはしたくないから。」

 坂本くんは芽久美の手を握った。

 芽久美は、明楽以外の人に手を握られるのは始めてだった。

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