第3章・7

 龍の胸が燃え、またこちらに向けて火を放つ。

 盾がまたビリビリと揺れた。

 それでも、もうわたしに恐怖はなかった。

 疲労感も、どこかへと消えた。

 ただ一つ、何かが出来るということだけが、わたしの中にはあった。


『――』


 声が聞こえた気がした。

 声は、わたしの頭の中に一つの言葉を思い浮かばせる。

 それはまた自分の国の言葉とは違う、聞いたことのない言語だった。でも、自分の中で一つの確信があった。これがユールの助けになると。


「ユール、今からいう言葉を言ってみて」

「なにか、思い出したのか?」

「いいから」

「それであってるのかよ?」

「大丈夫だから、こう叫んで」


 ユールは、渋々と言った顔で龍に腕を伸ばす。


 

 わたしは、魔法の呪文を呟いた。


 

『GERMINAT IGNIS SAGITTA』


 

 それをユールが、ほぼ同時に繰り返した。

 頭の中で、彼女と繋がっている気がする。腕が動き、手を天にかざす。

 それは、わたしの腕ではなく、ユールの腕だった。自分が魔法を使ったかのような感覚になる。感覚まで、わたしたちは一緒になっていた。

 手が熱く燃え、そこから龍に向かって真っ直ぐに、焔の矢が放たれた。


「ユール、ポド。盾が消えていない!」

『大丈夫です』


 わたしも、彼女もガブリエットの言葉に一緒に答えていた。

 なんで、呪文を知っていたのは分からない。

 どうして、そう答えたのかも分からない。

 けれど、なぜだか自信はあった。

 炎の矢が、透明な盾を何事もなかったかのように通り過ぎる。敵の攻撃は防ぎ止め、こちらの魔法は透過する。そんな便利な術の存在は、今の今まで記録されていたことはない。

 後ろで見ていたガブリエットさんも「まさか」という驚きの声を上げた。

 

 火炎は、見事に龍の胸に命中した。

 龍の胸は、火を吐く前のように真っ赤に燃えた。

 そして、すぐに胸を大きく膨らませた。怪物の中の、火を吐くために貯め込まれた体液が恐ろしいほどの早さで気体に変わっていく。そのガスに、固い皮膚も耐え切れず、一瞬にして体の中から龍は炎に包まれたのだった。

 本当に、あっという間の出来事だった。

 



「正直、ダメかと思っていた」


 客車の中で、ガブリエットさんは深い息を吐き、客車の屋根に倒れ込んだ。

 腕や顔は、よく見ると皺ができている。体中の水分を限界まで、使ったようだ。

 指輪がつけられていた右手の人差し指は、火傷になったように赤く爛れている。


「君らの御蔭だ。ありがとう」

「いえ、ガブリエットさんが守ってくれていなかったら、ここまでできていません」

「あの魔法は見事だった。私も精進というものしないと」


 そして、彼女はユールに向き直り、さらに深々と頭を下げた。

 その様子に、彼女は疲れた顔を一気にこわばらせる。エルフの主が、することではない。


「すまなかった、お前のことを見くびっていた」

「ああ、そんなものだろうよ。数百年眠っていたヤツが、そうそう信頼できるものじゃないさ。俺なら信用しない」

「そうだな。にしても、主は本当にファーヒルか? そんな奴ではなかったが」

「少しは記憶があるような気もするが、まったく覚えてない様にも感じる。結局のところ、どうなっているのか分からない」


 汽車は、ゴトゴトと街に向かって走っていた。

 速度を落として、安全に進んでいる。


「昔、フェホルズという生物がいた」

「どういうことです?」


 わたしは、急な話に聞き返した。

 だが、ガブリエットさんはそれに答えるのではなく、こう続けた。


「それは朱い鳥で、死にそうになると灰となって崩れ落ち、再度燃えた火の中より復活するのだという。それを同じ力が、火の魔石にはあったのではないだろうかと思ってな」

「それだと、俺死んでるな」

「その方がいいのではないのか? それでお前は新しく生まれ変わったと思えば――お前は、ファーヒルではなくユールとして生きれるってことだろう」


 ユールは、少しだけ笑って、また疲れた顔に戻った。

 そうしている間にも汽車は進み、ゆっくりと速度を落とし始めた。

 もう電車は街の外れにまで、差しかかっている。


 街の外れに、母が立っているのが見えた。龍のために最前線までやって来たのか――この国の代表が、それではよくないだろうに。


「おかあさん、何やってるの?! 大統領代理がこんなとこまで出てきちゃダメ」

「なんですか、その言い方は。娘の、娘の帰りくらい待たない母がいますか?」


 母が私を想ってくれていたとは、今でも思わない。

 それだけのことを、わたしが思えないほど、わたしという人間は不出来で、悲しいから。

 それでも、こんな一時の母の愛の切れ端でも、じんわりと心に染み込んでくるものがある。心の中の温かいものが、目の淵に溜まるまでそんなに時間はかからなかった。


 隣のユールが、わたしの頭に手を置いた。

 ユールを、ガブリエットを、家族を、みんなを、

 守れたことを感謝しようと思う。

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