第3章・2
龍の影は、西の空の太陽を、真一文字に切り裂くように飛んでいる。翼を広げたサイズは、ここにいる誰もが思い描いていたよりも大きく、『恐怖』の化身のようだった。黒く濡れたような鱗や、紅く光る眼が見えるところまで近づいて来るのに、そんなに時間はかからなかった。
「汽車を下げろ」
ホヅディルさんが叫んだ。
「それがやられたら、線路を作るどうこうの話じゃなくなる。エルフたちも乗ってくれ、これで下がりつつ応戦したらいい」
「そうだな」
翼を広げた怪物は、もうそこまで来ていた。
わたしたちは汽車に乗り、四人のエルフが馬を率いてそれに連れ添った。ホヅディルは機関室に籠り大急ぎで、燃料を食わせ、汽車の火力を上げていく。それにはユールが付き添った。
わたしは、こうして後ろの荷台でドワーフたちと肩を寄せ合うしか出来ない。
ガブリエットさんが、同じくそこにいた。動き始めると、ぐらぐらと揺れる――手すりもない――荷台で、彼だけがまっすぐに敵を見据えて立っていた。
「ガブリエットさん、危ないですよ」
「龍には、恨みがあってね」
「いえ、そうではなく、揺れますから……」
「先の戦争では、彼らにはだいぶお世話になったからね――おっと」
ガタリと汽車は走り始めた。出発の慣性にあわせて、ガブリエットさんの体もぐらつく。
「なんの、これしき」と彼は立ち続ける。「戦争でやられた同朋を想えば」
彼の指輪が光る。
そして、電車と並走する馬に乗るエルフを見た。
「馬上から弓を射つつ、これと一緒に後退しますよ。それとドワーフたち……」
<シルブ・オキバルド>は、持ってきている?
「<王白銀>を持ってるかだって? バカにしてるのか?」
どうしたら、そこまで聞こえるんだろう――馬上のエルフたちが、ギロリとこっちを見た。
「先代の王より、我らの武器はなるべく王白銀で作れと言われてる」
「なら、それの矢は?」
「ある」
彼らは、荷台の脇にあった袋から武器を取り出す。
「それらをエルフたちに! 他の遠距離武器は?」
「
「それらで――」
とガブリエットさんが言う前に、手投げというにはいささか大きすぎる斧が飛んで行った。それはすんでのところで、龍の体に当たりはしなかったが、それの態勢を崩すには十分だった。
「さっさとやるぞ、野郎ども!」
エディルさんは、荷台に立ち、すでに二本目の斧を構えていた。
それも大ぶりすぎる斧で、薪を割ろうとして丸太まで割れそうなサイズだった。
「ドワーフに遅れをとるな。撃ち落とすぞ」
数人のドワーフが、かなり乱雑に弓を放り投げていく。
それをまるで何年も練習した体捌きであるかのように、坦々と弓を受け取って行く。危うく馬に当たりそうになる矢も、頭の上を通り過ぎる矢も、逃すことなく掴み取って自分の矢立に入れていく。
「ポドは、頭を下げてろよ」とガブリエットさん。
「弓の補給するドワーフは、そのまま盾でポドを守ってやれ。ここからは死闘になる」
低い声で呟いたガブリエットさんの横顔は、引きつっていた。
見据えた目の先で、龍の胸が膨らんでいく。
と、同時に焼け炭に息を吹きかけたときのように、紅く胸が燃える。ウロコの隙間から、その中で火が燃えているのが見えた。
「クッ……」
指輪の嵌めた手を天にかざせば、水の壁が目の前に現れる。
水の壁はどんどん増幅し、この荷台を覆わんばかりの水の塊ができる。
魔力を異常なほどにまで増幅させる指輪とはいえ、広い平野のど真ん中を疾駆する鉄の塊の上に顕現させるのは、どれほどの魔力のコントロールが必要なのだろう。それが魔石という、キセキの代物であったとしても。
さっきまで球体だった水の塊が、盾のように広がって行く。
水の玉が分厚い壁となり、汽車を覆った瞬間、目の前が真っ赤に燃えた。一瞬にして、景色が変わる。汽車が火山の中か、燃えた屋敷の中に突入したかのように、紅蓮の炎に包まれた。
厚い水の壁が、消し飛ぶ寸前で龍は炎の息を止めた。
と、同時に、ガブリエットは再度水の壁を作って行く。
龍もまた首を二度、三度ブルブルと震わせると、大きく息を吸い込み始める。
「本当は、私も攻撃に回りたいが、そんなことはできなさそうだ」
「私、札持ってますよ。水の壁を作るので、その間に――」
懐から二枚の札を取り出す。
だが、ガブリエットはそれを制止する。
「いや、それは本当に困ったときに取っておくべきだ。その間は、うちの射手とドワーフたちに任せてもらおう。翼の飛膜に大穴さえ開ければ、後は火を噴く
「でも――」
現状は、とても厳しい。
ガブリエットさんは、額に汗を浮かべている。
エルフがそこまでの状況に追い込まれるなんて。
龍の胸がまた真っ赤に燃えだした。
「昔、我々はあれを倒したんだ、まだ老いぼれちゃいないさ」
「でも、それをしたのは――炎の魔女だと」
「そうか、アイツから聞いているのか」
それでも、と彼女は指輪をさらに光らせて叫ぶ。
「我々が諦めることはない」
水の壁が、また再び大きさを取り戻す。
騎馬からは矢が飛び、ドワーフたちは大きな獲物を投げつける。
龍の右翼の飛膜に穴が空き、体が大きく傾いた。勝てると少しは、思い込んだのだが。
右に傾いた体を支えるように、首が左にぐにゃりと曲がった。
狙いを逸らしたまま、火は放たれた。
「ぎ――」
叫び声を上げる暇すらなく、二体の騎馬は炭へと変わった。
「――」
言葉をなくす。
一瞬にして、生き物が炭になるなんて。わたしたちの中を絶望の風が吹き抜けた。
「下を向くな、敵は上だぞ!」
ガブリエットの激が飛ぶ。
誰よりも悲しむべきなのに、誰よりも敵を見据えていた。
わたしは、その声が聞こえた。
本当に小さな声だった。
「仇は、とる」
わたしたちは、空をしっかりと見る。
「おい、ポド」とエディルさんが呼ぶ。「いいのか?」
「えっ、何が?」
「このままだと、龍を連れての凱旋になるぞ」
「それって、かなりまずいことだよね?」
「だろうな」
エディルは、ドワーフの一人の方を掴んで指示をした。
「たしか、運転席に連絡用の札が置いてあった。それで二人で運転席まで行って、街に知らせろ」
「わかった」とわたしは、エディルさんに声をかける。「がんばって。じゃなかった、がんばってください」
「いや、気を使わなくていい。俺はただの分家の者だ」
「……」
「ああ、頑張るさ」
頑張ってという陳腐なセリフしか言えない。
言うべき言葉ではないのかもしれない。死なないでと。
わたしたちの後ろから火を纏った死が、今もなお追いかけてくる。
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