第2章・6
「私の名は、ガブリエット。遥か彼方より生きる、古のハイ・エルフの最後の生き残りだ。そうだな、もう三〇〇〇年ほど生きている、おそらく」
「おそらく?」
「もう、自分の年なんて数えるのも面倒になったからね」
そのくらいとしか言えないさ、と彼(?)は椅子の上で笑った。
「ところで、あなたは男? それとも女?」
「あー、残念ながら、わたしたち――ハイ・エルフには性別という概念がない。どちらかといえば、草木に近い者なのさ……おしべもあれば、めしべもある」
「えっと……それは」
「冗談じゃなく、ね?」
あまり笑えない冗談だった。ここに二人きりで押しこめられている身にもなってほしい。
後ろは石の扉。出ようと思っても簡単に出られるわけもない。それに手も使わずに扉を開け閉めできるものを出しぬけるとも思えない。
「大丈夫だよ、もうそっちの気もない」
「いえ、ホントそういうことじゃなくてですね。そろそろ、さまざまな答えを教えてほしいのですが――わたしが何故ここに連れて来られたのかという回答も含めて」
「ああ、そうだった」
ガブリエットさんは、手をかざした。
その手には、美しい青い宝石のはまった指輪をしている。
彼が手を動かすたびに、青い光の残滓が残った。
「その服は、魔法使いの正装だな?」
「ええ、こういうときには着るように教えられてきました」
「まあ、それは普通のことだろうな。だが、ほら、虫が付いている」
「虫?」
ほら。
わたしの正装の胸には、一本角の馬の紋章が刻まれている。その刺繍の中から、ガサゴソと虫が這い出てくる――「ヒッ」――と思ったのだが、それをよくよく見てみれば、ただの文字だ。
これはおばあちゃんの呪文。
盗聴の魔法。
まさかスパイとしての役割が、こんなふざけたものだったとは。
「こんなの、聞いてないっ!」
「そうだろうな、言っていたのなら、お前は着て来なかったろう?」
「……」
わたしは、おばあちゃんのことが分からなくなってきた。
まるで、足元がそのまま崩れ去るような、今まで縋ってきた頼りの綱が炎に包まれるような、そんな感覚がある。
「この虫は、こうするぞ」
ガブリエットさんの手は、宙で何かをすり潰すかのように握り込まれる。
と、同時に文字の虫が空中でぎゅっと圧縮されていく。
ギシギシと文字が捻りつぶされ、キーと悲鳴のようなものを残して消え去った。
「これでも、祖母が信じられるか?」
「いえ――いや、でも……」
「……」
「……正直、分からなくなりました」
わたしは、かなり酷い顔をしていたと思う。
それを悟ってかは分からない。でも、彼は手を一つ打ち、こう言った。
「ならば、一つ大事な話をしようか、ヒトの子よ」
「ヒト?」
彼は頷いた。
わたしは呼びなれない言葉を、ただ頭の中で噛みしめる。
「君らの文明の名前だ。魔法使いとリヒロなどという言葉で区分けされる前の種族の名前だ。そもそもヤツが作った世界の決まりだ、誰が守る必要などある!」
初めてガブリエットさんの中に感情を見た。
それは、切実な怒りだった。
「今でも、これは夢に見る」
そう言って、彼は立ち上がり、机の引き出しの中から手斧を取り出した。
エルフの手には似つかわしくない、ドワーフが遠距離用の武器として用いるものだ。かなりの錆びつき具合が、かなり昔のものであることを示している。
「これは?」
「『血塗られた一久碼』の話は、聞いたことがあるか?」
「ええ、悲しい事件の末に、わたしたちは森と山の間の一久碼を手に入れることができたと言われてますよね」
「死んだ王オルブルームは我が孫にあたる。が、その事件で彼の命を奪ったのがこれだ」
ドワーフの手斧を、天に掲げる。
孫の命を奪ったドワーフを、許さないという意思の表れだろうか。
だが、それもどうも違うようだ。
「どうもお前は、魔法を使えないようだが……本当か?」
「……本当ですが」
痛いとこを突かれ、少しイライラとした口調で返す。
という心も読まれているのだろうが。
「だが、勉強はしているな? これが読めるか」
「どれです?」
ガブリエットさんは、手斧の柄を見せる。
斧の握りに、刻まれていた文字を見てハッとした。見覚えしかない文字の列、風の呪文が刻まれている。刻まれているといっても、まだ現在、物質自体に直接魔法をかけるのは不可能。
そこにあったのは、魔法の呪符を使い、金属が溶けた跡。
呪符による焼き印のようなものだろう。
明らかに魔法を用いた形跡だった。しかし、ドワーフたちが魔法を使うことはない――この争いにドワーフたちは関与してなかったのだ。
「ドワーフとエルフが争う中で、得をしたのは誰だろうか。血を流さずに、漁夫の利を得たものは――そう考えたとき、この文字を書けるものは一人しかいなかった」
「そう、これはおばあちゃんの文字」
「やはり、そうか」
完全に、理解した。
完全に、納得した。
ポンおばあちゃんは、大統領は――無為にエルフの王を殺めた。魔法で手斧を操って。
「無為にではない、ポド。命が奪われる時、それの大小を限らず、理由がある」
「オルブルーム王が殺された理由もあると?」
「ある。おそらくは彼の従軍した先の戦争の中に理由がある、はずだ」
「どうして、そう言えるんです。他にも理由となりそうなことは、たくさん……」
「彼女と我が孫だけが、先の戦争に参戦し、生き残った。そのときに、何かを知ってしまったのではと思うのだ。何か、ヒトを裏切る秘密を」
ヒトを裏切る。
魔法使いの代表がヒトを裏切ってきたとすれば、あまりの大逆。
彼女は、何をしようとしている?
何を――
「先の戦争で、エルフたちもまたかなりの数を減らした。一方的に攻められた。それほどに敵の力は圧倒的だったのだ。敵のオークを率いていたのは、魔法を使うものたち。あれによく我々は互角の戦いができたものだ」
「それは、おばあちゃんが、頑張ったからだと」
「いや、それがそもそも間違いなのではという話をしていたはずだが?」
「そうでしたね」
「おそらくは私も知らない所で、それは起きたのだ。今の五分五分な平和を手にするための、重要な裏切りが」
それがなかったとは、わたしには言えない。
ありえないことと盲信することも、わたしにはできない。
彼には、もう心を読んでもらえば分かるだろう。
もうわたしは、おばあちゃんと袂を分かつ。
真実を、知るために。
「うむ」
「で、あなた方は、何をしたいの?」
「彼女の城から戦力を削ぎ、治世を終わらせる。それだけだよ」
嫌がることなら何でもする、とまるで子どものように言い放った。理由はバカらしいとも思ったが、その言葉には心を読む能力などないわたしにも感じる熱量があった。
「では、王と会ってみろ。それとどうやら荷物を頼まれたんだろう? アイツからの荷物だろう?」
「アイツ? ユールのこと知っているの?」
ガブリエットさんは、名前を聞いて「おや?」という声を上げた。
聞きなれない名前だとでも言うように、何度も何度も首を傾げる。
「そんな名前ではなかったと思ったが?」
もしかして、まだなのかと小さく呟いた。
「?」と疑問を覚える言葉ではあったが、心を読んで答えてくれることはなかった。
ふと思った。
「ところで、どうしてこんなところに住んでいるんです?」
「孫が殺されてより、私も殺されるのではと隠れ住んできた――」
でも、盗聴の魔法が付いているわたしをここに呼び寄せたのに?
「が、もう終わりだ。私も外に出て戦おう」
彼が手を振るうと、石の扉が爆音を立てて吹き飛んだ。
そんな豪快な出方をしなくても良かったと思うのだが。
「いや、景気づけさ」
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