第1章・9
小屋の扉がギギギと重い音を立てて開いた。
少し開いた扉の中は、真っ暗。中には窓も何もない小屋だから当然だけれど。
湿った土の匂い。地面の上にそのまま壁と屋根を組んでいるようだ。
扉を開け放ち、やっと中の物が見えた。
赤い円柱状の胴体が見えた。
光沢のある赤が、後ろの昼の光を受けて、ギラリと目に眩しい。
「これが、機関車――」
背丈はわたしが三人分。くらいだと思う。
恐ろしく、大きい。とっても大きい。
横幅はわたし二人が両手を広げて立っても足りないだろうし、長さに至っては両手をひろげたわたし六人ほどにもなる。中身がほとんど金属でできているとして、いったいどれだけの重さになるのだろう。そもそもこれは走れるのか?
両脇には、大きく頑丈そうな鉄の車輪が片側に五本ずつあって、巨体を支えている。
さらに、上には太い煙突が二本、一列に並んで立っていた。
「煙突?」
「蒸気機関っていうんだ」
「蒸気機関……っていうのは?」
「水を沸騰させるときの湯気の勢いを力に変えるというものだが――簡単に言えば、でかい
あそこから湯気を吹きだし、これは走るのか。
「この前の部分が機関車、そこに二人が乗って操縦する。操縦といっても、速度調節と停止装置、車輪の逆回転くらいしかできないが」
ホヅディルさんが話しながら、わたしたちを小屋の奥へと案内する。
「次に燃料を積んだ車両が来る。燃料には、よく暖房や燃料に使う、石炭を使うことになっている」
「往復できるくらいに詰めるんですか?」とわたし。
「十二分に積んで行く。まだそこまでの長い距離を走ったことがないからな」
「大丈夫なんですよね?」
わたしの言葉に、彼は答えなかった。
「さらに後ろに、人が乗り込む車両を一台。その後ろに荷台を二両つける」
全部で五台。
なかなか長い列になりそうだった。
「じゃあ、発進しましょう!」
早急にという任務のもと、命令には従わないといけない。
決して、決して、この蒸気機関車というのに乗りたいという気持ちが溢れ出た結果ではない。そういうことではない。心がワクワクしているわけではない。
「いや、無理」
ホヅディルさんの言葉に職人全員が頷いた。
「ええっ!? なんでです? このまま走るんじゃ?」
「いや、ここまで運んだ全員が知ってんだが、コイツは普通の道で走れるもんじゃない」
「普通の道っていうのは?」
「普通の、何もない、平らな道のことだ」
彼は足で地面をバンバンと踏み鳴らす。
「社長が考案した設計図を発見するまで、知らなかったんだが、この特殊な形の車輪が普通の道では走れないようなっていてな」
よく見れば、車輪は内側縁の方が大きく出っ張っていた。
浅い鍋から持ち手を取り外したような奇妙な形。
現に今もその車輪を二本の金属の棒に支えられ、ここに格納されている。
「二本の四角い鉄の棒で出っ張りを挟み込んで、大きすぎる力をコントロールする必要があるわけだ。そうでなければ、まともに目的地にたどり着くこともできない怪物さ」
「つまり、これから鉄の棒を並べるってことですか?」
「そうだ。ここから、森まで道を作る」
「鉄の道ですか」
わたしがさらりと呟いた言葉を、ユールが拾い上げた。
「鉄の道か。いいな」
彼女は笑いながら、手に取った大きなハンマーをクルクルと回す。
気が付けば、みんなが手に道具を持っていた。
「さあ、さっさと始めるぞ。言ったとおり、全員で先に道を作って行くぞ。それでいいな?」
『おう』
全員がホヅディルさんの言葉に従って、動き始める。
わたしは呆気にとられながら、作業が進むのを見ていた。
◇
すぐに彼らは作業に取り掛かった。
彼らは駅舎から真っ直ぐに森の方へと土を盛っていく。
土はただ盛るだけではなく、重そうな丸太を使った木槌で、固く、固く、踏み固める。
機関車がその上を通っても大丈夫なように、土で道を作り始めていた。
すでに運びこまれていた土に加えて、盛り土の両側を大きく削って、わたしの背と同じくらいの土の道を作って行く。会社の九人でやったとしても、作業は一日やそこらで終わるものではない。
日は、どんどんと沈んでいく。
何度か休憩をはさみながら、彼らはずっと作業を続けていた。
遠く西の彼方に赤く燃える日が半分ほど沈んだ頃、やっと彼らは使っていた道具を片づけ始めた。土を固めるための道具は、大きいが、真っ暗な中ではさすがに探すのは無理になるだろうから。
道は、城からほんの少ししか進んでいない。
それもただの土の道が出来ただけ、これではいつまでかかるのか。
「想定よりも進んではいるな、上々だ」
「ですが」とわたしは言う。「結局いつまでかかるんでしょう。この工事は」
「なるべく早くは仕上げるさ」
「問題は時間なんですよ」
そういうと彼は、社員の一人に声をかけ、地図を持ってこさせた。
ここから沼までのルートが入った正確な縮尺の地図だった。また西方の小さな村や国の境界となる、大亀裂の砦も描かれている。
「この都市は、西方を森と山で塞がれている。だからこそ、俺らの祖先は、ここに都市を作ったんだろうけどな。西からの敵の襲撃を危惧して」
山と森は、ある意味自然の要害として都市を守ってきた。
「だが、山に掘られた洞窟を抜ければ、砦の門前街――ニングリルへと行けるわけだ。そこから亀裂の側を通りながら、森を南へ回り込めば、遠回りではあるが沼へと向かえる。これが西から向かう沼へのルートだな」
「でも、それはとても遠いのでは? 道は危険ですけど、東からの方がまだ近いですよ」
「ジャルジュルとゼンダルは、西から沼に向かい、南から同じように線路を作っている」
「だから、なんで西なんです?」
彼は地図の東の崖を指さす。
そこはせり出した森の影響で、人間が南側へ行くにはどうしても通らなければいけない危険地帯だ。すでに何人もの旅人が海に落ち、帰らぬ人となっている。
「この崖は、ジャルジュルの体躯で通るには危険すぎる。そして、ゼンダルを向かわせれば、よい交渉が出来る」
「交渉……」
「ほら、音がするだろう?」
気づけば、大きな足音が聞こえる。
数百、いや、数千にもなろうかという大軍の足音。
振り返れば、北からドワーフの大軍が迫ってくるのが見えた。
「おおー!」
ユールが驚いて立ちあがった。
ほとんど働きっぱなしだった彼女の体の、いったいどこにそんな力があるのだろう。何もしていないわたしですらフラフラで、予期せぬ一団の来訪に心底恐怖を覚えていた。
雄叫びを上げながらやってきたドワーフは、資材を盗みに来た蛮族の様だった。
敵襲――わたしは貰った札を、さっき鞄にしまった札を必死に探す。
でも、それは杞憂に終わった。
「来た来た!」
ユールの驚きは喜びに変わり、社員全員が歓声を上げた。
「えっと……」何も知らぬは、わたしばかりか。「どういうことです?」
「さすがに、九人でこの工事は無理だ」とホヅディルさん。「ので、応援をな」
「つまり、彼らを呼びたかったと?」
「ドワーフたちはかなり体力があるし、人間の出すはした金に興味はない。技術的な進歩と仕事を追い求める、ハングリーな一族だ。だから、こんな夜の仕事でも、引き受けてくれるのさ」
「はあ……」
お金は要らなくて、技術は学びたい。
どの民族も困っているものなのだなと思う。
ドワーフたちは、ホヅディルさんの簡単な指示を聞くと、自分たちが持ってきたシャベルやつるはしや槌で、土の道を作り始めた。彼らの動きは、初めはとても鈍く、不安しかなかった。
だが、すぐに仕事に慣れ、効率を求め始めた。
人の三倍の量の土を一度に運び、太い腕で重い槌を倍の速さで振るう。
面白いように道が出来ていく。
早回しのような目の前の光景にいつの間にか見入ってしまった。
ふと肩が叩かれる。
「みんな帰っちまったぜ?」
ユールの声に、わたしはようやく自分の周りを見回した。
いつの間にか、ホヅディルさんとユールが残っているだけで、他の社員たちは街へと引き上げてしまったらしい。
「アンタは、帰らなくていいのか?」
「いいんじゃないですかね?」
「どうしてだよ?」
ユールは、痛いところを付いてくる。
この任務が下ったとき、内心では喜んでいる自分もいた。
あの家に帰る必要がないから。上級官僚の父や母、伯母やいとこたちと顔を合わせずに済む。魔法使いの従姉妹たちの蔑むような目に晒されずに済む。だったら、こんなリヒロたちと一緒にいた方がいいと思わなかったわけではない。
そんな風に自分を蔑んで、
彼らを下に見て、
自分を保つことしかできない、
弱くて最低な『わたし』。
「わたしが最低の人間だからかな」
「え?」
彼女の口がパクパクと動いた。
わたしの言葉は、想像もしてなかったようだ。
たぶん、魔法使いはすべて偉くて、その地位を威張っているのだと思っているんだろう。
魔法使いは偉いものだと、わたしは思う。
だが、その高低の尺度は、外の人間にはやはり大雑把なものでしかなくて、全員が全員偉くて、立派で、威張っているなんてそんなことはなくて――わたしのようなものもいるのだ。
ドワーフのことを、誤解していたわたしの言えたことじゃないのだけれど。
そう。国ひとつも同じか。
国と国の裕福さの差異が、そのまま中の人間の裕福さの違いに成るわけではないのに。
ましてや豊かな国にも、家やその日の食べ物もない人間もいる。貧しい国にも金持ちはいるのだ。
豊かな国の貧乏人たるわたしは、彼女に羨まれることは何もない。
ほんとうに何もない。
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