第1章・10

「誰にも、高いも低いもないさ」


 ホヅディルさんは言った。

 後ろで、さっき片づけた荷物を広げている。

 昼にお茶を淹れていた薬缶に、水筒から水をいれる。


「とりあえずユール、そんなに元気なら薪拾ってこいよ。話をするならお茶がいるさ」

「お、おう。行ってくる」


 小屋周りに小枝は落ちているから、彼女はそこまで駆けて行った。


「アイツには、悪気はないからな」

「わかってます。わたしも、ちょっと口が滑っただけですから」

「まあ、あれだ。俺が少しは社会を変えてやるつもりだ」

「ですね、気長に待ってますよ」


 いや、気長というほどでもないだろう。

 この一本の道は、魔法の社会において、大きな一歩になるはずなのだから。

 そのうちにユールは、両腕いっぱいに小枝を抱えて持ってきた。

 焚火には十分すぎるくらいに。


「火は、どうするんです? 呪符はないですよね?」

「ちょっと待てよ」


 とわたしの言葉に怪訝けげんに反応する。


「……。魔法使いの一族は、そんなに一般知識に疎いのか?」

「だって、火なんて魔法使いが出すしかないのでは?」


 そう言うと二人は顔を見合わせた。

 そんなにひどい答えなのだろうか?

 火は魔法使いが起こす物だと聞いている。

 かがり火のような火を出すには、呪符の魔力増大が必要になるが、種火のような物であれば地面に魔法陣を書き記すだけでも発動ができるという。

 わたしには、できないけど。


「じゃあ、蒸気機関はどうして可能なんだ?」

「大きなポットってさっきは言ってましたよね……え? 魔法を使ってないんですか?」

「そこからかよ」

 

 ホヅディルさんは一度額に手を当て、立ち上がる。

 ズボンのポケットから取り出したのは、小さな金属の塊だった。

 細かなドラゴンの細工がされている。


「これは火起こし機だ。うちの社長が、エルフの里にあったものを内部に組み込んで簡単に火を付けられる仕組みになっている。じゃあ、火っていうのはなんだか分かるか?」


 そう言いながら、彼は燃えやすそうな木の皮を手に取ってそれに火をつける。

 すぐに種火を細い枝へと移していく。


「これが何か?」

「だから、これはなんだってことだよ。火とはなんだ?」

「火は――火では?」


 首をひねるわたしと一緒に、ユールも首をひねる。

 明らかに分かっていない様子だ。


「火はな、熱と光の塊なんだ」

「熱と光の塊……塊って? だって形がないじゃないですか?」

「触れないほどの熱の塊。どこよりも強い光の塊。それが薬缶を温め、お湯を作る」


 薬缶を火にかけていく。

 徐々に中のお湯は熱せられ、注ぎ口から白い息を吐く。


「これが蒸気の力だ」


 近くの木の葉を注ぎ口へと近づける。

 噴き出した湯気で葉は揺れ、彼が手を離すと同時にフッと木の葉は飛んだ。


「蒸気機関で扱う力っていうのは、これをもっと強くしたものだ。もっと頑丈な鉄の装置に水を入れ、大きな火の力で水を沸かし、それを小さな口から吐き出させる。その力は、今みたいに木の葉をふわりと飛ばすだけじゃない」

「――」


 何か言っていることは理解できるけれど、想像はできない。

 今の力が、昼に見た大きな鉄の塊を動かすことができるなんて、まったく想像ができない。自分の頭が追い付いていないのだけが、分かった。

 いや、でも、少なくとも魔法よりは分かる。

 わたしが受けた感覚的な魔法の授業よりは、格段に分かる。あれは元々魔法力の無い者には理解できない授業なのだけれど。だからこそ、理論として確かにそこに存在する科学というものを、わたしは理解するし、すごいものだと認識する。

 ないものを「ある」ようにする魔法より、あるから「ある」のだと教えてくれる科学というものを、わたしは信頼することができる。

 この人は、すごい人なのだと理解する。

 羨望のまなざしを向ける中で、横から寝息が聞こえた。


「ん?」


 わたしの横で、ユールはこくりこくりと眠っていた。

 たき火がちょうどよく、体を温めてくれるから。

 揺れる体。胸元から大きな石の付いたペンダントが零れ落ちた。

 紅蓮色の綺麗な宝石。それに火が映り込んで、石の中でメラメラと燃える。

 

 あれ?

 どこかで見たような――

 なんだったっけか?

 記憶が繋がろうかという瞬間、「おい」という野太い声が顔の真横で響いた。




「うおっと」


 椅子から転げ落ちかけた。


「何をするんです?」とわたしが言うと、ドワーフが揃って岩場に座り込んでいた。

 わたしたちよりも小さな体躯は、座り込むとまるで庭石のように丸くなったようだった。


「我々も少しは休憩させてもらうさ」

「なんか、食いもんとかはねえのか」

「俺らの分の飯を、明日から準備しといてくれ」

「街には、多くのうまいもんがあるって聞いたぞ」


 口々に、彼らは勝手なことを言い出す。

 それは延々と止むことがない。


「てめえら、勝手なこと言ってねえで仕事しろ。こっちは、無駄な予算のでねえ国家事業なんだ。飯もてめえらで持って来い」


 ホヅディルさんが声を荒げると、ドワーフたちは小さく舌打ちした後で、腰に付けた巾着から何かをぼりぼりと食べ始めた。ガリガリ、ぼりぼりという大きな咀嚼音。平野の静けさをつんざくような、騒がしい食べ物だった。


「何なんです、それ?」


 わたしは興味本位で聞いた。

 それに答えたのは、わたしの近くに座ったドワーフだった。


「ああ?」

「別に、食べたいわけではなくて――でも、何を食べているのかなって」

「そういうことかよ。待て。もう一度言う、やらねえぞ、見せるだけだ」

「はい。大丈夫、食べませんから」


 彼は、袋から一つ摘まんで手を差しだした。

 わたしが手のひらで、それを受け取る。ズシンとした重みが伝わる。

 それは紛れもなく、石だった。

 ドワーフは、石を食べる。

 それは魔法使いの中で、たびたび噂になってきたことであるが……本当だったとは。


「え? ホントに石を食べてるんですか?」

「石? そんなわけないだろ」


 というか、返せ。

 そう言って、わたしの手からそれをひったくり口に入れた。


「ドワーフが石を食うという噂はあるが、これは石じゃないんだ」


 ホヅディルは、近くのドワーフからそれをひったくる。


「これは彼らのパンだ。俺らの顎では噛み切れないほど固く重い。それを『石を食っている』と勘違いしただけなんだ。この硬いパンは、保存が利き腹に溜まる。彼らにとってはいいことしかない」


 持ってみた者からすれば、ホヅディルの発言の方が嘘だと思える。

 あれは、石そのものだったけれど。


「彼らは、料理も上手なんだぜ。手先は器用だしよ」

「あれだよな」とユール。「エディルもゼンダルも細かい部品作ったりするのが本当にうまいよな」

「そういうことだ。まだ信じられないか?」

「というか――」


 わたしは今日のことを思いかえす。


「――信じられないことばかりですよ」


 世の中には、信じられないことが多い。そして信じられないことを、信じられないものを見て、自分が見てきたソレがどれほど狭い世界のものかを思い知る。世界は広くて、どこまでも広がっている。

 空には、満点の星が輝いていた。

 圧倒的な数の世界の中で、わたしたちが知れるのは、たった一握りの土にも満たない量なのかも。


「それでも、知れることはある。途方もなくある」

「そうそう」


 ホヅディルさんの言葉に、寝言で相槌を打ったユール。

 その結末は、今まで見知った通りだった。

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