第1章・8
南の大通りの端には、常に露店が立ち並ぶ。
焼いた肉の匂いが、わたしの鼻を擽る。こうして彼らの街を歩く機会は今までなかったから、とっても刺激的な匂いに思えた。
城から見て左の通りには織物の店が多く、右には食べ物の店が続く。
南の街の店は、手織物主体の商業の街だ。
何故、織物が有名になったかといえば、それもまた呪符のためだという。呪符もまた織物であり、美しい呪符を作り出すがための技術の研鑽が、名物を生んだ。
多くの職人がここにもいる。
けれど、その職人にもまた兵役は平等にある。
大事な稼ぎ手が不在になることで、魔法使いへの反感を強める者も少なくない。
彼らもホヅディルさんの支持者であるというわけだ。
そろそろ南門が近い。都市の東西南北には、大型の馬車が余裕ですれ違うほどの門が一ヶ所ずつ設置されている。それ以外は分厚い石の塀に囲まれており、一定距離ごとに監視の魔法使いが立つ。
門自体には大きな防御策はなく、常に開け放った状態になっている。
ただ緊急の場合だけ、防御魔法が発動するらしい。
それがどういうものかは、誰も知らないけれど。
門を抜けた先、すぐ真横に捨て置かれたように置いてある資材には「ヘイロン開発・技術商社資材 ホヅディル」という簡単な張り紙が張られているだけだった。
「よく盗られませんね?」
「あ? なんだ、喧嘩売ってるのか?」
またしてもユールが突っかかってくる。
工業地帯というかリヒロの多い区画は、治安が悪いという認識だったのだけれど。
「ユール!」
「だってよ!」
「お前が何も知らないように、ソイツも俺らのことを何も知らねえんだ。工業地帯で俺らの荷物に手を出した方が損をするってこともな」
『……』
わたしも、ユールもどちらも押し黙った。
種類は違うが、恐怖を感じたのは言うまでもない。
すぐに巨人たちが持ってきた仕事道具の荷解きが始まる。だが、荷物を持って出たはずの彼らの姿はない。ゼンダルさんたちはどこに向かったのだろう。
みんなで一斉に工事するものだと思っていたが。
「ここが駅の予定地だ」と言いながら、ホヅディルさんが
「ここですか?」
城を出れば、どこまでも平原が広がっている。
遠くにぼんやりと小さな農業を営む集落も見えるが、それしかないとも言える。
そして、その奥には森が。
周りよりも濃い緑が、ざわざわと揺れていた。
あそこまでは、われわれの足でずっと歩き続けて丸1日以上――もちろんそんなことはできないので休みながらになるが――かかってしまう。今から歩けば、半分ほど行ったところで夜闇に包まれるだろう。
わたしたちは、むやみに夜に平地を歩いたりはしない。
夕闇に紛れて、野生動物やエルフがわたしたちに危害を加えると噂されているから。実際危険な魔法生物に攻撃されて負傷した事案に、魔法使いが対応したという話はある。
でも、わたしが不思議なのは「エルフ」という話だ。
政府に努めるわたしにも、エルフに攻撃された話は聞いたことがないのだけれど……あくまで噂の話だってことだろうか。
「あまりに壁に近すぎませんか?」
南門を出て、東に歩いて数十歩。
壁と門を出てすぐ、そこに「ヘイロン蒸気機関車基地」と書かれた小屋がある。
頑丈そうな煉瓦作りの小屋は、都市の塀に寄り添うように建っていた。壁と塀の間には、本当にギリギリ人が入れるくらいの隙間がある。
「これはな」とホヅディルさんは言う。「最終的には、壁に穴を打ち明けて、この駅と繋げるんだよ。門から出ずに、そのまま蒸気機関車へと乗ることができる」
「積んできた資材も、直接街の中に運べるということですね」
「そういうことだ」
今はまだ小屋だけど。
「で、そのあなた方の言う蒸気機関車というのは?」
「小屋の中だ。雨風に晒して置いても問題はないほどに頑丈に作られてはいるが、それでもアレは簡単には作れないからな」
「え? 簡単に作れないんですか?」
「ああ、社長が特別な資材を使ったとかで――」
そこでユールが手を叩いて、割り込んでくる。
「ちょっと親父。簡単にそんなこと言ってんじゃあねえよ」
「あ、そうだったな」
「いや、まだ話が……ユール――」
ギロリと、彼女の目がこっちを睨む。
「ユールさん……」
「アンタは、監督に来てるんだろ。つまりは監視だ。オレたちが何か企んでないかってな」
「そういうわけじゃないですよ」
「だが、アンタは報告するだろ? 蒸気機関は、『こうやって作るんですぅ』『これならわたしたちにも作れますよぉ』って」
「そんな変な話し方してません」
「ケンカするなら、二人とも返すぞ!」
ホヅディルさんの一喝。
わたしは固まり、彼女は黙り込んだ。
「まあ、報告をどの程度するのかは知らないし、そういう仕事だってのは分かってる。だとしても、こちらは一切の手抜きはしない。それが俺たちの誇りだからな」
「た、たしかに報告の命は受けています」
わたしはまだ抜けない彼への恐怖心を振り払い、どうにか話を続ける。
「ですが、それは義務的な注意であって、そこまでの重大な仕事ではないのです」
「ウソウソ」
ユールは、バカにするように呟いた。
すぐさまホヅディルさんに、頭をひっぱたかれていたけれど。
「監視の任務は、とにかく沼までの道が開通するまで、どこまでも着いてくのが仕事ですから、毎日の報告までは命じられていないんですよ」
「ああ、通信の札がないのか」と彼はすぐに言い当てた。
「そうです。わたしに通信用として渡せるだけの余裕も、もうないんです」
でも――と三枚の札を取り出す。
「護身用の札は、いただきました。誰にでも使えるやつを」
◆
「これだけは、渡しておくわね」
「え?」
おばあちゃんから渡されたのは、3種の呪符だった。
彼女の執務室を出る前に、呼び止められ、手にそれを握らされた。国内の備蓄が足りない今、わたしが3枚も使ってしまうことはとても心苦しくもあったが、おばあちゃんはわたしに持って行けと握らせた。
くるりと巻いた呪符は、開けばすぐに、誰にでも使えるものだ。
それは赤・青・緑の紐で止められた三つの巻物。
自分から書くことはできない札でも、これならばわたしでも魔法を使うことができる。
「赤い紐は、火球の札。相手に巨大の火の弾をぶつける」
「かなり強い奴だけど、いいのこれ?」
「外では、よく
龍という言葉に、頬は固まったように動かなくなったが、彼女はすぐに次の呪符を手に取った。とりあえず、こっそりと頬をもむ。
「蒼い紐は、水壁の札。自分の前に巨大な水の壁を張れるの。そして、その壁は相手の方へと流れ出す。波の呪文でもあるの」
「これも強そうなやつだね」
「そして、緑は旋風の札。周りにつむじ風を起こす」
「わたしの周りだけ?」
「そんなに小さいと全員を吹き飛ばすでしょう。中に6人は入れるくらいの円と思えばいいわ。ただし風は強力、中からでもふれると危ないからね」
「そんなに凄いの?」
「エルフの鋭い矢からでも守ってくれるわ」
「ありがとう、おばあちゃん」
わたしは全身でお礼をいい、彼女の部屋を後にしたのだ。
◆
で、今に至る。
札は、わたしの鞄の中に入っている。
「なあ、呪符ってどんなのだ?」
そう言ったのは、ユールだった。
「え? みたことないんですか?」
「ああ、うちは基本機械で頑張ってるからな」
今の世の中、札を見たことがない人がいるなんて。
つまり、すべてが技術で済んでいるということ?
信じられないけれど、彼らの技術は本当にそこまで来ているのだ。
わたしはカバンの中から札を取り出して、彼女に渡した。赤い紐のついた札を開封しようとしたので、周りのものが全力で静止した。
彼女は「なんだよ」とぼやいていたが、本当に危なかった。
彼女の開こうとした火球の札は、大型動物ですら一瞬で食べごろの焼き肉になる代物。
「オレ、札の中身が見たかったのに」
「あれは、本当に危ないので……。なんなら、わたしが書いて見せますから」
「え! いいの!」
「呪符の絵、みたいなものですけど」
彼女は子どものような笑顔で、喜び叫ぶ。
その場の地面に、枝で文字を書いて行く。
ユールはキラキラとした目で覗き込んでいたが、横のホヅディルさんは心配そうだ。
「札で魔力は増幅されなくても、それはそれで魔法が出たりするんじゃないのか?」
「いえ、大丈夫ですよ。わたしには――」
と言いかけて、口が重くなる。
しまった。
いつもの癖だ。悪癖。
自分を卑下する、悪癖。
肩身の狭い城の中で、わたしが他人にできる防御魔法。
もちろん、そんなわたしを見て、おばあちゃんはやさしく微笑むし、母は汚い虫でも見るような目になる。何も救われない。誰も救われない。
何も、変えられない。
「ん? どうした?」
純粋な目で、ユールは言う。
「あ――いや」
「?」
ああ、これは。
「えっとですね」
わたしの口が重くなる。
心の中の、一番痛い部分。それを口にしそうになる。
口にしなければいけなくなるのか。
そんなわたしの頭に、ずしんと手が置かれた。
ホヅディルさんの、手だった。
「さてと、そんなことよりまずは機関車だ。小屋を見に行くぞ」
「はい」
助けられてしまった。
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