20. そして前世を『思い出す』

──201X年 10月23日 15時。


「ふんふふっふふーん」


 健気に鼻歌を歌いながら衣類が入ったトランクケースを横に、私は電車に揺られていた。

 何でかって言ったら、今日は待ちに待った豊胸手術当日の日だから! そう! 何も無い私! さようなら!

 って言っても、手術が成功すればって話だけどね。

 まぁー、事前の身体検査諸々ではなんの問題も無いって言われたし、別に今回の手術で一気に巨乳化って訳でも無いから、気楽に行こう! それに私からすればちょっとの量増しでも十二分に満足できるしネ! 

 私の家の最寄駅から一時間揺られ、そこからバスに乗り換えさらに一時間、次に徒歩で三十分かけて山道を登り、合計二時間半という、普段の通勤時間の倍以上の時間を割いて、私はサロンが勧めてくれた美容外科の元へと足を運んだ。

 たどり着いた先にあった山の中腹程にある建物は病院と言っても木造二階建ての簡素な物で、一見はただの少しばかり大きな山荘だった。

 木製の扉を開くと、その外見からうって変わったしっかりとした院内が迎えてくれた。

 少なからずとも待合席があって、受付があって。そしてふと、その受付に立っていた白衣の女医と目が合うと、彼女は礼儀良く頭を下げた。


檜前ひのまえ様、ようこそおいで下さいました」

「どうも」

「手術の準備は既に整っております、どうぞこちらに」


 私は受付の女医に付いて行く。


「コチラで荷物を置き、この服にお着換え下さい。着替え終われば、また受付に来てください。衣服と荷物に関しては後ほど病室へと運ばせて頂きます」


 女医に言われた通り、私は更衣室へと入り荷物を置き、女医に渡された服に着替え始める。


「ちょっと緊張してきたなぁ……」


 と、姿鏡に映る自分の姿に言った。

 にしても、こうして見れば身長は159cmと小さいし、胸はこれっぽちも無いし、本当に身体面においての自分の取柄なんて物はとことん無いんだなと思う。

 顔は人ぞれぞれだから兎も角、髪もサラサラだし艶があるし、その点と社会人四年目にして未だに処女だという事ぐらいが、女性としての取柄だった。

 まぁ、今日から胸、デカくなるんだけどね。


「よし」


 着替えが終わり、言われるがままに受付の前へと向かった。

 そして身体検査の後、遂にその時がやって来たと言わんばかりに、私は台の上へと寝転がった。


「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いしますね」


 メスを取るのは例のサロンの会長であり、この院の院長でもある人物で、勿論腕利きの良い人と評判がある女性医師だった。マスクやら帽子で実際の顔を見る事は出来ないが、以前写真で見た様子では、羨ましい程の美人だった思い出がある。

「それじゃあ檜前さん、始めて行きますよー」と、彼女は傍にいる三人の助手達の手も借りながら、私の体に機器を取り付けて行く。

 点滴の針が私の前腕に刺さる頃には、その準備段階の全てが完了していた。


「これから麻酔を入れて全身麻酔かけますんで、眠くなっちゃったら容赦無く寝ちゃってくださいね」

「えっと、それって目が覚めた頃には……」

「ええ、手術も終わってますよ」

「……なるほど、ちょっと深呼吸しても?」

「どうぞ」


 いやいやいや、ちょっと待って怖い、目が覚めたら胸の量が増えてるって怖い。なによりその寝てるのか意識飛んでる良く分かんない間にこの身体をどさぐりまわされるのがイッッッッッッチバン怖い!

 と、傍で何度も深呼吸をする私の様子を心電図を見ながら見ていた院長は、クスリと笑った。


「フフッ、心拍数が上がってますね、緊張してるんですか?」

「え、ええ、こういう……全身麻酔とかは初めてなんで……」

「アハハハ、前も言いましたけど落ち着いてください」

「は……はい」

「それとも、ちょっとした軽い話でもして落ち着きます?」

「はい……」


 院長は私の横たわる台の傍に椅子を置いて座った。


「檜前さんは、どういったご職業を?」

「えっと、書店経営の経営管理等をしてます」

「書店ですか……このデジタル時代に紙の本の売買は中々厳しかったりするんじゃないんですか?」

「ハハハ、よく言われます。でも、本が小さい頃が好きで、ずっと読んでて、それで……」

「なるほど、好きな事を仕事にしたいと?」

「そんな感じです……あと、やっぱり紙の本の素晴らしさを伝えたいなってもあります」

「物の素晴らしさを伝える……良い心がけですね。私も同じような理由でこの仕事についていますから、その気持ちがとても分かります」

「ならよかったです……! この気持ちが同じ人がいると嬉しいので」


 そうして気が付けば心も落ち着きを取り戻し、院長も隣にある心電図を見て判断したのか再び立ち上がり、私の顔を見た。


「そろそろやりましょっか?」

「ハイ」

「それじゃあ、麻酔をお願い」


 院長は横にいた助手達に頼むと、一人の助手は酸素マスクを私の口に当て、もう一人は点滴に麻酔を注入して行き、最後の一人は院長に代わって心電図を確認する。


「ゆっくりと息をしてくださいね」

「ハイ」


 マスクを口に当てる助手に言われた通りにそうしていると、段々と眠気を感じて来た。

『ああ、遂に始まるんだ』と、私は瞼を閉じ、朧気になって行く意識に自分を沈めて行く──、


「──って!」


 その朧ぐ意識の中、微かに院長の声が聞こえた。

『待って』……って、一体何を──、


「──!」

 

 その瞬間、バツンッ。と、破裂音の様な物が聞こえると同時に、静電気に似た衝撃が私を襲ってきた。


「──ッ! ─────ッ!」


 痛い。


 痛い痛い。


 痛い痛い痛い。




 痛い痛い痛い痛い痛い痛い。





 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──!



 最初に感じた静電気に当たった様な痛みは段々と強さを増し、痛みに変化した。

 瞼を閉じていというのに目に映る光景はチカチカと点滅を繰り返し、体全身が酷く痙攣して焼けるように痛む事以外は、何が起きているのか全く分からない。

 そのままやり過ごせば何とかなると思っていれば、次の瞬間には何よりも耐えがたい『熱さに近い痛み』が全身を覆って来る。


 熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い! イヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ! ヤだ──!


 全身に伴う激痛が最高潮に達した時『その考え』が自然と頭に浮かび、私はそれを拒まんと必死に心の中で足掻いた。


 死んじゃう! そんなのヤダ! 私! まだやりたい事一杯残ってるのに! まだ手術だった途中の筈なのに──!



『死にたくない』



 それがこの瀬戸際に思う事だった。


 あああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ───、────、──────、──────────、──────────────────────────────────────────────────────────────────・・・・・・。


 感じ取れる苦痛が消え失せた頃には、まるでミンチ機に掛けられた肉の様な、ぐちゃぐちゃで、何とかしてひとまとまりになろうとする思考と感覚しか残っていなかった。



 そう。


 これが思い出した前世の私の記憶。


 思い出したプレタ・グライナーの前世の記憶。


檜前ひのまえ由衣菜ゆいな”という、一人の女性の最後の記憶だ。

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