10.『戦湯』は女の夢

 戦湯いくさゆとは! 

 遥か昔、異界の使者マリン・マリンが異界からこの世に持ち込んだ技術と風習である!

 つまり我々の世界で言う所の日本風呂を模した物である!


「わぁー!」

「す……凄いな……」


 シルクとイルマは部屋の扉を開けた途端に広がる光景に、自然と歓喜の声を上げた。

 どう見てもフカフカのベッドが人数分に、甘すぎず丁度良い香りのする花々が部屋の所々に花瓶に入れ置かれ、なによりもいかにも高そうな魔力結晶のシャングリアが部屋中を照らしていた。

 綺麗な物に綺麗な寝床と、女心をくすぐられながらシルクとイルマは部屋へと入って行く。


「こらこら、そんなあわてなさんな……ここで一晩も暮らせるんじゃぞ……」


 その後を満面の笑みで追うのは、この宿場を急遽手配したプレタである。

 勿論、その笑みの裏には様々な感情や企みが隠れているのだが、戦湯付きの部屋が初めてで、戦湯自体も初めてである彼女自身も、ひとまずはその華々しい空気に飲まれている状況であった。


「ほ、本当にいいのか? プレタ?」と、目を輝かせるイルマ。

「んー、いいよ」

「私もご一緒しちゃって良かったんですか?」と、入室早々、三つ並んだベッドの真ん中に寝転がるシルク。

「んー、いいよ!」

「「ヤッター!」」と、喜ぶ二人を見るプレタの笑顔の裏に隠れている心が、ニヤリと笑みを浮かべた。


『絶対に一緒に戦湯に入ってやる!』という頑固たる意志。

 プレタは『女同士だからできる裸の付き合い』という物に、冒険を始めた当初から憧れを抱いていた。

『しかもそうとなれば自分より体格や体系の良い二人と一緒にである! この機を逃して何が冒険者か!』と、プレタは入室前からその二人よりも心を躍らせていた訳だった。


「じゃあ、早速……ね?」

「おお、アレですか! お目当てのアレですか!」

「一回覗いとこう!」

「オーッ!」


 プレタとシルクは二人して胸を高鳴らせ、すぐ傍にある部屋の風呂場へと続く扉を開いた。


「って、脱衣所かいッ!」

「脱衣所でしたね! でも綺麗です!」


 の、前に、風呂場の直前の部屋にあたる脱衣所兼洗面所に気持ちを焦らされる。


「じ……じゃあ、そこにあるのが……」

「ええ、この摺りガラスの扉の先……きっと……!」

「「ゴクリ……」」と、息を飲みながら二人はその摺りガラスが張られた扉を開けた。


「わああああああ!」


 目に映った光景に部屋に入った時以上に目を輝かせるシルク。


「す! すごい! 本当に……戦湯付きの部屋だ……!」


 風呂場だと言うのにシルクは服を付けたままその場へと足を踏み込み、その湯船の中にたっぷりと入った湯へと手を入れ込んだ。


「あぅ……もうこのままでもいいかも……プレタさんもどうですか?」

「ハハハハハ、ソウダネー」


 手を入れただけで満足げなシルクに対し、プレタは背を向けた。


「あれ? どうしたんですか?」

「イヤ、チョットトイレイッテクルー」

「あ! ついでに便座の綺麗さも見ててもらって良いですか! 私、小さい頃から綺麗な便座じゃないとできないので!」

「ワカッタヨー」


 プレタは言い捨てながら脱衣所から抜け、その隣にあったトイレへと駆け込み、鍵を閉め──、


「(なんでだああああああッ!)」


 堪りに溜まった心の悲痛を小さな声で叫び、頭を抱え込んだ。


「(思った以上に小さかったあああああ!)」


 そう──、プレタの想像以上に湯船が小さかったのである。


「(なんで! あれじゃ一人ずつ入るのが普通の大きさじゃん! 裸の付き合い出来ないじゃん!)」


 というのも、プレタ達がその日に泊まった部屋は、確かに三人部屋ではあるのだが、その実、プレタ達三人が最も楽しみとしていた戦湯の湯船の大きさに関しては、お一人様用だったのである!


「大丈夫かプレタ! 何か叫び声が聞こえたぞ!」

「あ、大丈夫、ちょっと吐いてるだけ! ヴォ”ェ”ッ”!”」

「そ、そうか……」

「うん! オ”ゥ”ロ”ロ”ロ”ロ”ロ”ロ”ロ”ッ”!”」

「て、手を借りたいなら呼ぶんだぞ……」

「だ、大丈夫! あ、所でさ、イルマ!」

「ど、どうしたんだ?」

「おっきい戦湯ってどんなの?」

「大きい戦湯……あまり聞いた事は無いが、そもそも戦湯とは一人で入浴し、精神と共に体中に滞る魔力を整理するものだろ? なぜ大きい必要が──」

「ア”ェ”オ”ゥ”ァ”ロ”ロ”ロ”ロ”ロ”ロ”ロ”ッ”!”」

「プレタ!?」

「大丈夫、ちょと胃がビクついただけだから」


 最後の一つは心にショックを受けて出た本物の嘔吐の音だとイルマは気付く筈も無かった。

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