第八章 無が降り積もりし景色の先

第127話

 エルデュミオの聖王就任はつつがなく可決された。聖席十人の意思が一致していたため、聖神教会内での反発もない。

 では利権と関わりのないツェリ・アデラの住民たちの反応はどうかと言えば、おおむね好意的だ。

 ツェリ・アデラを創世の種から護るためにエルデュミオが奔走していたことを、多くの人間が目撃していたからに他ならない。

 噂レベルの悪評など、己が実際に目にしたものの前ではさしたる意味を持たないものである。


「前聖王があまりにその席に相応しくなく、エルデュミオ様が時代に選ばれた聖人のように見えたのでしょうね」

「そう見えるようにやったからな」


 穏やかに笑って言ったクロードに、エルデュミオは尊大に言い放つ。あまり外では見せられない姿だ。

 分かっているから、エルデュミオも外では相応に振る舞うが。

 聖席を除されたクロードを、エルデュミオは聖王補佐官という名目で呼び戻した。スカーレットは副補佐官として、クロードの下に付く形だ。

 とはいえそれが形だけなのはクロードもスカーレットも分かっているので、互いのやり取りは外部の者に対する丁重さでできている。


「しかし悪いが、僕ではお前を聖席に戻すことはできない。過干渉に過ぎて嫌がられるだろう」


 クロードが抜けた第五聖席は、もうしっかり埋まっている。


「構いません。どうせ聖席の誰かが聖王に就くので、空いた席をいただきます」


 微笑んだまま、クロードは言い切った。


「自信があるならいい。ラトガイタへ送る使者の選定は終わったか?」

「はい、滞りなく。それと聖王就任の儀式の準備も」

「ルティアで似たようなことをしたばかりだが、仕方ないな」

「勿論です。しきたりですから」


 力説するクロードには悪いが、エルデュミオが儀式への参加を考えている一番の理由は聖神教会のしきたりのためではない。

 一時的に聖神教会の力を使えればそれで充分なエルデュミオが、形式にのっとって時間を消費することを選んだのは、セルヴィード信仰を促すためだ。


「エルデュミオ様の裁判のために来訪された方々も、引き続きツェリ・アデラに留まって就任式に出席されるとのことです。今すぐにでも是非に面会をと希望される方も多い。幸先の良いことですね」


 聖王となったエルデュミオが各国の貴人から頼られるのは、聖神教会としても歓迎なのだ。クロードも見て分かるぐらいに機嫌がいい。


「ま、僕の価値を高めてくれるのはありがたいけどな」


 ある程度、強引に事を進めるためには民や各国からの支持は必須だ。


「ときに、前聖王の様子はどうだ」

「肩の荷が下りたのでしょう。いっそほっとしている様子でさえありますよ」

「大人しくしてくれているなら問題ない」


 前聖王ジルヴェルトの罪は、真実を綴るべき資料の原本に嘘を記述したこと。マナの減衰に対して正しい処置を意図的に行わなかったこと。この二点だ。

 理由を含めて大失態だが、罪としては重くない。ジルヴェルトも諦めて、エルデュミオ側の言い分を認めている。

 あとは神職からも離れ、故郷に帰るだけだ。聖席を罷免されていたクロード同様、特に心配はない。醜聞の末の失脚なので肩身は狭いだろうが、それは自業自得というものだ。


「今日の報告は以上です。丁度来客もあるようですし、私はこの辺りで失礼します。――また後程お伺いします」

「ああ」


 一礼して聖印を切ったクロードに、エルデュミオも同様に返す。

 まだ慣れていない挨拶だが、数日後には自然に行えるようになっている必要がある。普段からの練習は大切だ。

 クロードと入れ替わりに入ってきたのは、リーゼだった。


「どうした?」


 リーゼは聖神教会に所属していない。本神殿で過ごしてはいるが、客分扱いだ。少し居心地が悪そうでもある。


「初めて見たときは違和感しかなかったですけど、なんかもう、馴染んできましたね。その神官服姿」

「基本、僕は何を着ても似合うからな」

「はいはい」


 軽く肩を竦めて、リーゼはエルデュミオの自賛を流す。


「でも本当にいいんです? わたしも神官になった方がよくないですか?」

「問題ない。神殿の外の相手の方が印象が良いこともある。聖神教会の唱える平等にも、一役買ってくれるだろう」

「ですか」


 聖王と、信徒でもない平民の結婚だ。中々の話題性と言える。


「それで? 何か用があったんじゃないのか」


 用がなければ来るなとまで言う気はないが、必要はない。そして私用であれば、仕事を終えてからでも充分なはずだった。


「わたしがというか、神官の皆さんからですね。そろそろ休憩どうですかと」


 言いながらリーゼがずいと差し出してきたのは、銀のトレイに盛り付けられた焼き菓子類だ。

 聖神教会からすれば部外者であるリーゼに頼んでくるあたり、エルデュミオと神官たちの距離感が浮き彫りになる。当然であるが、まだ大分遠い。


「やれやれ。そんなに根を詰めているように見えるのか。まあいい。折角だから休憩にしよう」


 どちらかと言えば、後々の話題作りのために。

 机の上に広げていた書類を纏めて横に置き、スペースを作る。


「リーゼ、お前も座れ。一人で食べていても味気ない」

「ではありがたく」


 適当に椅子を持って来て机の側に置き、エルデュミオと同じトレイを囲む。


「変わったものですねえ。まさかディー様と並んで、同じものを食べようとは」

「ついでだ。その呼び方も変えて構わないぞ」

「はい?」

「伴侶になるのだから対等だ。好きなように呼べ」

「え」


 クッキーを掴んだまま静止して、リーゼはたっぷり十数秒考えてから。


「ではそうしますね、ディー」


 わりとためらいなく、愛称で呼び捨てた。ごく自然に。


「お前、実は内心僕のことを呼び捨てていただろう」


 そうとしか思えない自然さだ。


「仕方ないですね。敬意を持てる人柄でもなかったので」

「おい」


 再び動き出したリーゼはクッキーをかじりつつ、あっさりと認める。


「でも大変な思いをしている人だなあとは思ったので。力になりたいとも思いましたし。不服ですか?」

「……別にいい」


 その気持ちを育てたリーゼは、エルデュミオを側で支えることを望んでくれたのだ。それを考えれば文句をつけるべき部分ではない。貴族としては複雑だが。

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