第126話

(――さて。確かめておきたいことはあと一つ)


 風呂に入って身を清め、さっぱりしたところでエルデュミオはスカーレットの部屋の扉を叩く。


「スカーレット、僕だ。少し話がしたい」


 声を掛ければ、すぐに扉は開かれる。


「どうした?」

「中で話す」

「分かった」


 中に入って扉を閉める。同時に、簡易ではあるが防聴の呪紋もかけた。


「慎重だな。厄介事か?」

「他人に聞かれたら説明が面倒な話がしたいだけだ。……スカーレット、人間というものは、一体何だ?」

「それはまた何とも、捕らえにくい質問だな。人間のどこが疑問だ」

「行いを肯定するつもりはないが、ルーヴェンたちの言い分にも一理はあると思っている」


 予想通りと言うべきか、エルデュミオがルーヴェンを肯定する言葉を発した途端、スカーレットの目が鋭くなる。


「この世界であらゆる生命を形作ったのは、神聖樹でありローグティアだ。そこに神の意思は介在していないのかもしれない。だがなぜ、人が今のような精神性を持っているのか。無意味に同族で殺し合うのは人だけだ」


 もし人が、人の定めた法以上に、本能的に他者を傷付けることを避ける生き物であったなら。世界はもっと生き易かったのではないか。

 その点においては、エルデュミオもルーヴェンに同意できなくはない。


「アゲートはルーヴェンの理想を否定した。神の目線で人の世を俯瞰して見たとき、今の人の在り様はなるべくしてなっているものだというのか? だというのなら、なぜそのように悪辣な性質で生み出された。意味は何だ」

「ああ、それは簡単だ。人の役割が破壊者だからだ。世界の繁栄の導き手は、他の動植物に委ねられている」

「……やはり、そうなのか」


 それ以外に説明はつかない。しかし落胆は誤魔化せなかった。

 破壊するために存在している生物に、世で生きる価値はあるのか。とても人には聞かせられない話だ。

 気落ちするのでも開き直るのでも、どちらも厄介事を招く。


「今のお前たちには実感が湧かないかもしれないが、この世界の重量の九十パーセントは植物だ。人間や魔物を始めとして、その他の物質はまとめて十パーセント弱でしかない」

「いや……。言われてみれば、それは分かる」


 人の住む地は探さねば見付からないが、植物はどこででも見かけて果てがない。


「そして行き過ぎた繁栄は、世界をその重さで殺す」

「!」

「当たり前だが、世界とて許容値はある。己に乗る重さに耐えきれなくなれば壊れてしまうのだ。この世界ではたまたまお前たち『人間』が破壊者として誕生したが、どの世界にも似たような性質を持つ存在が必ず生じる。でなければ世界そのものが死ぬからだ」

「……成程」


 もしルーヴェンが望む通りの世界になったら、その世界の寿命は限りなく短くなるのかもしれない。

 死期を調節して重量の総数を管理し続ければ別だが、安寧を目指しているだけのルーヴェンがその辺りを考慮に入れてるとは考え難い。

 アゲートが否定したのはそのためだ。


「無意味に殺し合うことができるのも、破壊者であるがゆえだ。生産性のない存在なので増え過ぎては邪魔だし、今度はそいつらが星を荒らして壊すかもしれない。そうならないよう、あらかじめ数を減らすための性質が組み込まれているというわけだ」

「何ともぞっとしない話だな」


 防聴の呪紋をかけておいて良かったと、心底思った。


「人間は奪うための種だが、奪い尽くすことを求められてもいない。生物としての役割が果たせないと分かれば絶滅させられもする。世界の自浄作用で足りなければ、神自らが手を下すこともある。気を付けることだ」

「要は加減をして、世界が望む範囲を模索しながら役目を果たせということか。遠大な話だ」


 僅か八十年弱の寿命しか持たない人間には、難しい命題だと言わざるを得ない。


「破壊者であるがゆえに、人間は他者への共感性が他の生物よりはるかに低く創られている。その状態で自らを律して世界のための役割に準じろというのは、確かに難しい。しかし出来なければ滅ぶ。それだけのことでもある。だが案ずるな、無駄ではない。お前たちで得た知見は次の生物に活かされるだろう」

「簡単に言ってくれる」


 人ではないスカーレットからすれば、正しく他人事だ。先程彼自身が口にしていたように、人を救うことは神の目的にはない。当然、神に属する神人も同じ。

 それでも、警告はしてくれる。神のものである世界を護るために。


「安心しろ、エルデュミオ。お前は正しい」

「は?」

「人は確かに、他者に優しくなくなることができる。冷徹になれる。自分本位になれる。己で己を殺す道を歩ませるために」

「……」


 否定できない。憂鬱そうな表情になったエルデュミオに、スカーレットは優しく微笑する。


「だが別に、滅びる前提で生まれる生物もいない。生物は成長するものだ。それこそ、神の意図を超えて」


 神が完全に制御できるのならば、確かに滅ぶ星など存在しない。ルーヴェンのような人間が生まれることもないだろうし、生まれてもすぐにどうとでも出来るということになる。


「過去に学べ。己を振り返れ。成すべき正しきを己に問いて世界と向き合え。種を救う術は、成長した未来にしかありはしない」

「っ……!」


 ルーヴェンは全てを研鑽を捨てて、始めからやり直そうとしている。

 人ではない者として生きるなら、それもいいだろう。それこそ繁栄を求められ、だからこそ奪われる植物などだ。

 もっとも、それはルーヴェンの望みではあるまい。人を模倣した生物として生きるのなら、自らを律し、世界と共に歩むしかない。

 そしてその加減は、積み重ねた過去に学び知る以外の手段がない。


「何も卑下することはない。世界はお前たち人間を望んで育んでいる。役目を果たせばそれでいい」

「……覚えておくよ」


 破壊者であっても異物ではない。それもまた、世界のための役目だから。


「参考になった。邪魔をしたな」

「別に構わないとも。私の務めの一部と言える」

「それもそうか」


 スカーレットがエルデュミオに協力しているのは手段だ。目的を考えれば道理である。


「ルーヴェンの主張に、一理もないのは理解しただろう?」

「……そうだな。お前が語った理を、ルーヴェンが知っているとは思えない。あいつが共生と繁栄だけを目指して人間や世界を創りかえれば、その寿命は長くないんだろう」


 そして星の死を、神は望んでいない。


「しかし――ふふ。お前が聖王か。フラマティアの神人が作った構造を利用してやるというのも中々愉快だ。大陸の支配者となるには、むしろ一番手っ取り早かったか」

「そうならざるを得なかっただけだ。しかし、一番都合がいいのは否定しない」

「では、これからどうする?」

「まずはラトガイタ王室に警告を。だが国を縛ったところで、ルーヴェンは止まらないだろう」


 それでも個人に戻す価値はある。どこまで人間を止めているかはもう分からないが、一人で出来ることは多くない。


「警告は囮だ。聖神教会に外交をさせつつ、僕たちはラトガイタへ踏み込んでルーヴェンたちを確保する」

「了解した。――そうか、ようやくか」


 歓喜の笑みを浮かべて、スカーレットは窓枠に寄りかかりつつ外を眺めた。その視線の先は東。ラトガイタ王国だ。


「神に仇なす愚か者へ、制裁を……!」

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