第96話

 正道を貫くために、自分が護られること。それに臣民の生活を脅かすだけの価値があるか、やはりエルデュミオには自信が持てなかった。


(ならば正しさを勝たせ、僕を護ったことに意味と価値を付けなくてはならない。その責任が僕には――エルデュミオ・イルケーアという貴族にはある)


 深く呼吸をして、覚悟を決めた。


「分かりました。ではルティアには、僕の名誉を護るように要請します。即位式典で帰るところですから、僕が伺った方が効率もいいですね」

「ああ。公爵領の臣民のため、心して伝える様に」

「はい」


 もしルティアが聖神教会の意向を突っ撥ねることを選ばなければ、今度は公爵領の臣民がいきなりストラフォード国民でなくなってしまうのだ。

 大事である。むしろ国力が低下するだけで、悪いことしかない。


「ああ、それと……。ご存知かもしれませんが、聖神教会の元第五聖席であったクロード殿が、共にツェリ・アデラを脱出しています。彼に信用のおける護衛を用意したいのですが」

「分かった。そちらも私の方で手配しよう。他には?」

「そう、ですね……」


 早急に必要な件は片付いた。あとヴァノンに聞いておきたいことと言えば――


「父上はルーヴェンの出生について、何か耳にしたことはありませんか? 荒唐無稽な噂話などです」

「ルーヴェン殿下か。ふむ。ただの噂だったが――そう、妃に迎えられたものの、メルディアーネ妃も第一王妃ミュリエーラ様と同じく、子を授からぬ期間が少々長く続いた」


 王の妹であるエルデュミオの母が、嫁ぎ先でとっくにエルデュミオを生んでいたのに、である。


「彼女はツェリ・アデラの本神殿に参じ、フラマティア神に熱心に祈ったと言う。途端に殿下が宿ったので、神のご加護はさぞ厚いだろうという話が上ったことがある。くだらない噂として、すぐに封じられた話だが」

「……やはり」


 噂を流した誰かは、きっと本気で言っていたわけではない。誰もがまさかと失笑する、正にくだらない噂話だ。

 だが過敏に反応した者もいたはずだ。真実を知っている当人ならば尚のこと。


(ルーヴェンは先王の子どもではない。実父はおそらく、聖王だ)


 前回の人生の中で、ルーヴェンはそれを知ってしまったのではないか。

 ルチルヴィエラへとフェリシスを送り、ルティアと引き離した後。前回は脅しでしかなかった襲撃が今回本気であったのは、血族ではないと知ったことも起因しているのではないだろうか、と推察する。


(メルディアーネ妃が身ごもった途端、ミュリエーラ妃も間もなくルティアを宿した。そういう偶然がないとは言えない。だが、もしかしたらルティアも……)


 考えて、途中で止めた。

 それは明らかにする必要のないことだ。ストラフォードという国にとって。


「殿下の話で奇妙なことがもう一つ。出産に立ち会った幾人かが、王宮を去ってセイン家に仕えるようになった。他家のことだ、当時詳しく調べた者も多くなかっただろうが、その後職を辞して消息を絶った者もいるとか」


 王妃の出産に立ち会えるような立場の者が、伯爵家の使用人に落ちるのも珍しい話だ。

 おそらくそのときに誤魔化したのだろう。主に、瞳の色を。


「もし事実であれば、色々とやりやすくはなるな。ふむ。セイン夫妻を召還して、話を聞いてみるか」

「残念ですが、不可能です。セイン夫妻はヘルムートによって殺害されましたから」

「ならば使用人でもよい。証言に気を遣われる証人は、最早いないようだ」


 こともなげに言ったヴァノンに、エルデュミオも察する。事実かどうかはともかくとして、ストラフォードではそういうことにすると決めたのだ。

 過去に噂があったことも、真実味を増させるだろう。

 ルーヴェンが王族でなくなれば、やりやすくなるのは間違いない。だが気がかりもあった。


「ルティアにまで波及しないでしょうか」


 先程エルデュミオが考えたように、だ。


「否定して、一蹴すればよい」

「……はい」


 公的には、ヴァノンの言う対応で片付くだろう。


(しかし、ルティアがどう思うかは別だ)


 おそらく強く衝撃を受ける。悪意のある誰かから傷付けるために吹き込まれる前に、可能性をルティアにも伝えておくべきだ。そうして、悪意を向けられたときの覚悟を促しておく。


「急ぎ、王都へ戻ることにします」

「それがいいだろう。だが、今日ぐらいは休んでおけ」

「はい」


 今後急ぐのならば尚のこと、準備を整えて出発した方がいい。何しろここまでは用意も何もかもを置き去りにしての逃亡だ。


「では一日、甘えさせていただきます。お忙しいところに失礼しました」

「構わん。子どものための時間を取れないほど、私の職場は人材が少なくない」


 広大な領地を預かる公爵であるヴァノンだが、事実その机の上はすっきりしたものだ。

 エルデュミオは一礼して、部屋を出る。そして待っていた皆へと告げた。


「今日はトルトーワ宮殿で休んで、明日出発だ。フラングロネーアに戻るぞ」

「ルティアの戴冠式、どうにか観られそうですね」


 友人の晴れの日を祝えることを、リーゼは自然に喜んだ。ただしそこに含みを感じたのは、エルデュミオの気のせいではあるまい。

 ルティアへの感情とは別に、リーゼの笑顔には棘があった。主に、エルデュミオに向かって。


「観られるだろうな。間に合わないと僕も困るし」

「……もう、本当に。いい加減にするですよ、貴方は」


 気付かぬ振りでしらを切ったエルデュミオに、唇を尖らせリーゼは不満を訴えてくる。

 防聴が甘いわけではないはずだが、見直す必要はあるかもしれない。




 翌日クロードを送り出し、エルデュミオたちもフラングロネーアへの帰路に付いた。急ぎではあるが普通の範囲は出ない速さの行程で、一向に安堵の空気が流れたのは無理もないだろう。


「おおぉ……。ちゃんと直ってるですね……!」

「正門だからな。きちんとしない訳にはいかないだろ」


 久し振りに見えたフラングロネーアの外門は、元の威容を取り戻していた。新しい設備が増えた分だけ、いっそ頑健さは高まったと言える。

 地竜によって完膚なきまでに崩壊した後なので、作りやすくはあっただろう。


「リーゼ、シャルミーナ。お前たちは僕の私邸に泊まれ。ここから先は不用意に一人で行動しない方がいい」

「ですね」

「分かりました。お世話になります、エルデュミオ様」


 まずは全員でエルデュミオの屋敷に向かい、アゲートとリーゼ、シャルミーナは待機。フラングロネーアに戻ってきたことで、フュンフは任務を完了したとして別れた。


 エルデュミオ自身は長旅の埃を落とし、身形を整える。その間にルティアへと使者を出しておく。

 その後でスカーレットを伴い、入城した。


(すぐに会えればいいんだが)


 エルデュミオの優先順位は低くないはずだが、直前で出した使者でどれだけの都合がつくかは分からない。

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