第74話

 部屋に案内されたあと、エルデュミオはフュンフを残し、スカーレットを連れて浴室へと向かった。源泉かけ流しの露天風呂である。

 信頼していないことがまま伝わるので宿の人間は面白くないだろうが、荷物番として同行者を残すのは普通だ。

 監視なのは間違いないが、その心配の本題は荷物などではない。スカーレットとする話を聞かれたくなかったためだ。


「……ああ、久し振りに体が軽い気がしますね」


 洗体を済ませて湯に浸かったスカーレットは、言葉通り和んだ表情で体を伸ばす。


「まあ、そうなんだろうな。……周囲に不心得者はいないだろうな」

「気配はありません。――何を話しても大丈夫だ」


 エルデュミオの探索でも、何も引っかからなかった。スカーレットの保証も得て、軽くうなずく。


「どうだ、ウィシーズの様子は。リザーブプールの位置などは分からないか?」

「国内に限るなら、大方は把握した。ただ、数も多いし場所も散らばっている。周辺にいる魔物たちの協力を仰ぐのが効率的だ」

「まあ、だろうな」


 一つ一つを自分の手で掘り返そうとは、エルデュミオも思っていない。


「魔物たちに伝えるために、共有しておこう。特にマナが薄くなっている地点を捜せば、ほぼ間違いないと思うが」

「処理し損ねると面倒だ。しかし共有というのは……」

「まあ、こういう感じだ」


 半身を湯船から出したスカーレットの背から、ばさり、と大きな音がした。元からそこにあったかのような自然体で、背中から鳥類の翼が三対六枚生えている。

 正に、神話に伝わる神の使いのような姿だ。

 ただしその色は漆黒。濡れたような輝きを放つ、蠱惑的な羽だ。


「……生えてるのか?」

「一応そうだな。普段は物質化させていないが」


 一度大きく羽ばたき、舞い散った羽の一枚を手に取る。羽を片手に持って手招くスカーレットに、エルデュミオは誘われるまま近付いた。

 手の届く位置まで来ると、とんっ、と指先で押し込むようにして額に羽根を当てられる。エルデュミオの肌を接触すると、羽は肉の内側に溶けて混ざった。


「うわッ」


 たった今物質として目の前にあったものが、自分の中に溶け消えたら気持ちが悪い。思わず仰け反ったエルデュミオに、スカーレットは楽しげに笑う。


「その羽は地上にあるものほど明確な器に入っていない。お前たちが無意識に取り込んでいるマナと似たような性質だから、そう驚くな」

「普通は驚くに決まってるだろ。――っ……?」


 急に立ちくらみのような症状に見舞われて、エルデュミオは目を閉じてやり過ごす。


「……魔力だからか」

「そうだ。大分慣れてきたようだが、まだ負担に感じる程度ではあるらしい」

「当たり前だ」


 ストラフォードで暮らして聖神のマナに慣れた二十一年が、数ヶ月で塗り替えられるはずもない。


「私が持つ情報を、お前に与えて共有した。分かるだろう?」

「ああ」


 スカーレットが探し出したリザーブプールの位置が、すんなりと浮かび上がってくる。


(この情報を魔物に与えて命じれば、ウィシーズ国内は片付くだろう)


 正確に数えようもないが、おそらく魔物の数は人より多い。手には困らない。

 そしてこちらは確実だが、世界各地、どこにでもいる。


「実物も見ておきたいところだ。ここから一番近い地点のやつは、確保だけにしておこう」


 聖神教会に正しい情報を渡すためにも必要だ。


「それがいいだろう。やはり、前回とは動きが違うようであるし」

「違うのか」

「私が降りたのは奇跡が行使された後だから、絶対とは言えないが。前回もこの速さでマナを奪っていたのなら、行動が遅すぎる」

「ではルティアたち同様、過去の研鑽を持ち込んで効率を上げているわけか」

「おそらく」


 そうであるならば、使っているリザーブプールも現行製品より性能が上がった物だろう。土地のバランスを崩す程の性能は、害悪と見なして最早使うべきではない品だが。


(それだけのマナを制御できるのは、やはりルーヴェンも金眼ゆえ、か)


 呪力が高いとか呪紋適性が高いとかの話は聞いたことがないが、隠していただけという線はあり得る。


「ルーヴェンがマナを奪って喰らおうとしているとして。あいつは何のために、そんなことをしているんだろうな」


 神々から敵視され、大陸からマナを奪って人々を脅かし、血族までも殺そうとしてまで。一体、何を求めているのか。


「さあ。考えてやる価値もない」

「お前、本当にルーヴェンが嫌いだな……」


 聞いて分かるほど投げやりになったスカーレットの声に、エルデュミオは呆れる。


(だがもし、ルーヴェンも『前』を覚えているのなら)


 世界を敵にして、血族をも敵にして、本来の自分を失って。――後悔の一つぐらいはしたのではないか、とエルデュミオは思う。何も手にできなかったのならば、余計に。


(僕が多少、罪悪感を覚えていたように)


 過ちと気付いて繰り返すほど、ルーヴェンが愚かだとも思っていない。


(……もっと、話せばよかったのか? 従兄として。けど、僕の立場であまりルーヴェンに近付きすぎるのは好ましくはないし……)


 強大な権力を持つイルケーアだからこそ、周囲からどう見えるかを考える必要がある。


(……いや。違うな。当時の僕は、そもそもそんなことを考えていなかった)


 卑屈そうで無様だ、程度にしか認識していなかったように思う。


(つまり僕も、あいつをそうして追い詰めた一人なんだ)


 不意に、中途半端なやり直しが腹立たしく思えた。それこそ十年前ならば、もっと良いように変えられたかもしれない。


(ルーヴェン。お前は今、何を思って何をしている)


 あまりに遠い関係性からは、答えが導き出せようはずもなかった。

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