第73話

 長旅であったエルデュミオ側の体調を考慮され、翌日に予定されていた国王夫妻との面会と会談のための食事会が繰り上げになった他は、実に順調に事は進んだ。

 この旅でも案内役として付いてきたエリザがエルデュミオたちを連れて行ったのは、鉱山でも耕作地でもなく、温泉地帯。


「婚約者候補の姫君と仲を深める名目で来ているとなると、やや邪推を招く名所ですね」

「まったくだ。しかしウィシーズ側の意図も分かるから仕方ない」


 自国の経済主柱である鉱山や農作を、他国の人間に見せたくなかったのだろう。土地に根付いたローグティアがあってこその資源ではあるが、抵抗感があるのは理解できる。

 一方でこの温泉資源は、すべてが観光用。見られて困る物ははるかに少ない。あわよくば宣伝も狙っているはずだ。


「まあ、ウィシーズの中では有名な観光地だ。接待に選ぶ場所としても悪くない」

「温泉、いいですよねえ。わたしも好きです」


 エルデュミオとスカーレットと並んで馬を歩かせているリーゼが、そんなことを言う。フュンフは最後尾に付いたまま、雑談には入ってこない。

 昨日、経過報告に現れたフュンフに今後の予定を伝えさせたところ、こうなった。


 別れて行動する直前までぐったりしていたリーゼだ。体調が万全なはずがない。まして、進むほどにマナは魔力に寄って行く。

 説明されるまでもなく、エルデュミオにはそれがはっきり感じ取れた。おそらくリーゼも肌で感じているだろう。


 不調の気配を感じたら、リーゼの周囲だけでもマナに干渉しようと思っていたが、今のところ実行の必要はない。


「――本当に大丈夫なのか」

「全体的にちょっと鈍くなってる気はするですが、大丈夫ですよ」

「大人しく宿で待っていてもよかっただろうに」

「それじゃあ、一緒に来た意味がないです」

「魔力慣れの訓練だと思えば、無駄という程でもない」


 土壇場で不調を押しながら立ち回るよりも、事前に備えていた方がいいに決まっている。


「訓練だったら、少しずつ負荷を増やしてゆくとよいですね。つまり、今です」

「まったく……」


 口が減らない。


「それに、他国ですから。より気を付けた方がいいです」


 マナの強奪を止めることも、勿論リーゼの目的の中に入っているはずだ。だというのに、彼女はそれを口にしなかった。

 エルデュミオが仕掛けられたリザーブプールを破壊、機能停止させることを、リーゼはすでに疑っていないのだ。実力の面でも、性格の面でも。


 だから優先順位としては二番目以降になるだろう内容を口にした。

 リーゼが同行しているのは、エルデュミオを護るため。それだけだ。

 他者からの報復を受けそうな何かをやったとき、あるいはやりそうになったときに、止めるために。


「言っておくが、現状、先方もかなり無礼だぞ」

「エリザ姫のことです? でもエリザ姫の言動には侮蔑的なものはないですよ。平民であるわたしに対しても」


 エリザのリーゼへの態度は、エルデュミオに対するものと同じだった。彼女は相当、身分というものに頓着していない。


「つまりそれが、僕に対して無礼だ。他国の大貴族である僕と、平民を同等に扱っているんだからな」

「……やっぱり、どう考えてもエルデュミオ様の方が失礼ですし、心配です」

「……うるさいな」


 それが好まれない態度であるということは、エルデュミオも理解している。エリザに対しても、呆れはしても怒りが湧いたりはしなかった。


(これは、ルティアたちからの悪影響だ)


 実際のところ、建前以上にはエルデュミオも然程気にしなくなりつつある、ということだ。

 それが分かっているのか、エリザも清々しいほど吹っ切った応対をしてくる。


「わたしは気にしませんけど。――大丈夫です?」


 エルデュミオの態度の軟化は、それはそれでリーゼにとって心配なものであるらしい。

 精神に抱えている弱い部分を見せたから、彼女が懸念を持つのは仕方がない。


「問題ない」

(――今のところは)


 刷り込まれた教育と、自身が下すべき判断に然程の齟齬がないおかげである。


(何事も起こらなければいい。だが)


 フラングロネーアでも感じた迷いと、恐れ。


 教えを守らざるを得ないような事態が発生したら、おそらくエルデュミオはそちらを選ぶ。

 恐怖ゆえではない。利益を見て、小を捨てて大を守り、国を発展させていく。それが貴族として正しい行いだからだ。


 だがきっと、心は悲鳴を上げるだろうと予想が付いた。


(父上や母上、代々の一族が己の子どもたちに与えてきた常識は、おそらくそのためだ)


 切り捨てなくてはならないものが生まれたとき、判断を下した己を壊さないために。

 普通の人間であれば、誰かを傷付けたときには罪悪感を覚えるものだ。


(『普通』のままで支配者になるのは、苦しい)


 大を救うために小を切り捨てるときが、必ず来る。


(理想を言えば、その呵責に耐えられてこそ地位に相応しい者だ。だが、人間には適性がある。強く向き合える傑物ばかりではない)


 そして向き合って耐えられたとしても、心が傷付くのは変わらない。


「――さ、着いたわよー。とりあえず、宿で休憩しましょ」


 リーゼと会話しつつ、物思いに耽りつつをしているうちに、拠点となる宿に到着していた。

 先導するエリザが振り向いて声を上げるのに合わせて、エルデュミオも改めて意識を向ける。


「ローグティアはここから近いのか?」

「勿論よ。そのための案内だし。正面に山が見えるでしょう? あの山の中腹に生えてるの。源泉の近くね」

「ほう」


 ローグティアの近くにある源泉から引かれた泉質なら、効能が保証されているのは間違いない。期待ができる。

 と言っても、今のウィシーズは魔力寄りのマナなので、好んで入る者は限られるだろうが。


「ただしご要望の通り、あの山の周辺は魔物が多いわ。刺激しなければそんなに襲っては来ないんだけど」


 ウィシーズの人間は、すでに魔力に慣れている。魔物から見ても、敵対者ではなくなりつつある、ということか。


「魔物はともかく、……山登りか」

「確かにそれなら、今日はもう休憩ですね」

「でしょ。今更一日二日じゃ変わらないって」

(だといいんだがな)


 エリザにしてみれば、今に始まったことではない、僅かずつの悪化だ。しかしエルデュミオからすれば、ここ十数日で状況は大きく変化している。

 だがそう言ったところで、まず休憩からであるのに変わりはない。

 明日ローグティアの元に辿り着いたら、慣れない魔力を行使するつもりでいる。体調は万全にしておきたい。


(温泉もまあ、悪くない)


 フラングロネーアでは味わえない贅沢なので。

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