第62話

(そう言えば、練習したとか言ってたな)


 成果を発揮する場がないのは寂しいだろう。ましてルティアの立場ならこれからも淹れられることの方がはるかに多く、自分以外の相手に茶を振る舞う機会は限られる。

 しかも彼女がやるべき時とは、失敗できない相手であることが確実。


「……ま、いいだろ。僕を練習台にするなんて、大した贅沢だぞ」


 本来ならばエルデュミオも『失敗してはいけない相手』に入る身分なのだ。


「ふふ。王の贅沢、ですね」

「王に茶を入れさせるのとどちらが、と言えば答えるまでもないけどな」


 言って互いに苦笑し合う。

 ルティアは侍女に命じてセットを一式持ってこさせると、エルデュミオの前で淀みなくお茶を入れて見せた。

 手付きに危なげはなく、宣言通り、練習を重ねたことを教えてくれる。おそらく日常的に実践も欠かしていない。


「どうぞ、ご賞味ください」

「頂こう」


 だからルティアに勧められても、ためらいなく手を伸ばせた。

 澄んだ色合いも美しい紅茶を口に含み、嚥下して。味と香りを堪能したあと、微笑を浮かべた。


「美味しい。言うだけはあるな」


 勿論、世辞も含まっている。当然だが本職の侍女には遠く及ばない。

 だがルティアにそこまでの技能は必要ないので、充分以上だ。もし歓談の席で身分のある令嬢が手ずからこのお茶を出して来たら、エルデュミオは同じように褒める。

 素直に褒められるぐらいに美味しいのは間違いない。


「ありがとうございいます」


 褒められて気分を害する者は少ない。ルティアも満面の笑みで喜んだ。

 そして自分でも口を付け、ほっと息をつく。


「久し振りに、食べ物の味を思い出した気がします」

「懸命になるのはいいが、程々にしておけよ。旗頭がいなくなって、旗振り役の筆頭までいなくなったが、お前の即位を望んでいない連中はまだいるんだから」

「……はい」


 全力を傾けて仕事に打ち込める状態ではない。常に身辺に気を配れるだけの余裕を持っていなくてはならないのだ。

 神妙な表情となってルティアはうなずく。そこに気落ちした様子が見えたのは、エルデュミオの気のせいではあるまい。

 自分がその席に座ることを望まれていないと主張されれば、落ち込む気持ちが出てくるのは無理もない。しかし、である。


「言っておくが、誰が座っても同じだ」


 万人に歓迎される為政者など、存在しない。


「――はい」


 慰められたことを理解して、ルティアは淡く微笑む。


「いけませんね。つい先日、頼りないと言われたばかりなのに」

「急に変われとも言っていない。まあ、僕もいつどこに婿に行くかも分からないんだし、さっさと官僚の方にも信頼できる人材を確保しておけよ」

「えっ」


 急に驚いた声を上げ、ルティアはカップを持った手を不自然な位置で止めて固まった。

 数回忙しなく瞬きをして、絞り出すように声を発する。


「だ――、だってイルケーアに子どもは貴方だけですよね? 公爵家はどうするのです」

「直系は僕だけだが、血縁は少なくない。血の近い家から養子を取ることは可能だろう。ストラフォードにとってより利益の大きい選択は、貴族の義務だ」


 当然、残った方が良いと判断すればそのままイルケーアを継ぐだけだが。

 しかしエルデュミオが国を離れる可能性は、間違いなくあるのだ。


「……」


 ルティアは絶句し、動揺を露わにした。言葉を探して唇が震える。

 その様子に、エルデュミオの方が罪悪感を覚える程だ。


「別に、大したことじゃないだろ。この十七年、ずっと疎遠だったのだし」

「ええ……。そう、ですよね。ごめんなさい。貴方が国から離れる想像をしていなかったので、少し、驚いたみたいです……」


 ルティア自身、自分の動揺に戸惑っている様子だった。

 無理もない。前回エルデュミオは国から出るどころか、現世から退いたのだ。そしてそれを語ったルティアは平静だった。遠い知人の死を悼む以上の感情はなかったのだろう。


「……まあ、お前が国にいろって言う間は従うさ。傀儡姫になられても迷惑だからな」

「が、頑張ります。でもやはり、何があってももうしばらくストラフォードにいてください」


 頼られるのも縋られるのも、エルデュミオは鬱陶しいとしか感じたことがなかった。

 だがなぜか、ルティアから発された自身を求める言葉は、そう悪くない気分にさせる。


「あまり長く拘束されるのは御免だからな? 僕ももう二十二になるんだ」


 三十を超えても相手に困ることはないだろうが、思う所はできる。おそらく、結婚相手となる女性も。

 利益に勝るものはないが、年齢がかみ合っているのに越したことはない。


「大丈夫です。もし行き先がなくなったら、わたくしと結婚するというのはどうでしょう」

「はッ!?」

「わたくしも王となった以上、他の国に嫁ぐことはあり得ません。後継ぎも考える必要があります。無論、わたくしたちの伴侶の席は外交カードなので軽々に使いはしませんが、互いに話がまとまらなかったときは、一考しても良いのではありませんか?」


 エルデュミオやルティアの身分で、話がまとまらない、という可能性はほぼあるまい。

 そのほぼないだろう可能性を口にした、ということは。


(要は、不安なんだろうな)


 責務だけで結婚を決めて諦めることを、理解していても心が訴える拒否感は拭えまい。

 現実的な提案ではない。ルティアがエルデュミオに欲しているのは、心の逃げ道だ。

 逃げるつもりはない。しかしもし、どうしても耐えられなかったら、そんな手段もある。

 絶対に選べずとも選択肢として存在するだけで、心の持ちようは少し変わるものだ。

 そしてそれは逃げ道として望むぐらいに、ルティアがエルデュミオに好意を抱いている、という証明でもある。


「他の候補より有益になったら、考えてやる」

「はい」


 完全な否定ではない、しかし同じようにほぼあり得ない仮定で応じたエルデュミオに、ルティアは予想通り、ほっとした顔を見せた。


「――ああ、失礼しました。貴方にも用があって来たのでしょうに、先にわたくしの事情に付き合わせてしまいましたね」

「休めと言ったのは僕だ。それに休憩がてらにしても構わない程度の話でしかない」

「どのようなお話しでしょうか?」

「ウィシーズの婚約者候補に会いに行くから、しばらくストラフォードを留守にする」


 単純にタイミングが悪かっただけだが、結婚の話をした直後に別の婚約者候補の元に行くと伝えるのも、中々のものだ。


 恋愛要素が欠片も無いあたりも先程と同様である。ルティアもそう思ったのだろう、表情を苦笑に変えた。


「ウィシーズですか」

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