第53話

 先程よりもはるかに明確に、声が届いた気配がする。

 同時に魔物たちの感覚とも繋がって、抱いている感情が理解できた。

 彼らは確かに、純粋に怒っている。そして悲しんでいる。地竜がここに来たのは、仲間の訴えと――より上位者からの指示があったから。


(この畏怖の感情、信仰に近い。地竜に指示をしたのも神人とやらか。地に親しい瑪瑙の君……。……マダラだろう、それは)


 この時点で、エルデュミオはフラングロネーアが被っている被害の全貌を理解した。


 本来そこまで強くはない魔物に許容量を超えたマナを無理矢理捩じ込み、追い立てて町を襲わせ、その先で騎士に殺させる。町の危機感を煽り、人々の尊崇を騎士団が獲得するのが目的の一つ。

 更に一斉に魔物をけしかけることで、ルティアの周りの護衛を削り、彼女を亡き者にしようとした。ここまでが武官派の企みだ。


 その企みを知ったスカーレットとマダラは、おそらく同じくセルヴィードの神人。町に下りたときスカーレットが慈悲を向けたのは、神殿に集った人々ではなく使われた魔物たちの方に対してだったのだ。

 スカーレットにその準備をする時間はなかったはずなので、魔物を統制し、地竜を呼び寄せたのはマダラだろう。


 予想だが、今フラングロネーアを襲っている魔物たちは、時間経過で自壊したりはしないはずだ。

 ルティアが近衛騎士を癒せたぐらいだ。マダラが魔物のマナを調整できないとは思えない。


 地竜が壁を均していたのは神経質だったからではない。町まで壊す意思がなかったから、ヘルムートが来るまでの時間稼ぎだ。

 マダラやスカーレットの目的は、謀をした騎士団のみ。この辺りは、ストラフォードに所属しているエルデュミオを気遣っての判断だろう。

 そうして、エルデュミオに魔を求めさせた。この世界の在り様を変えるための手駒とするために。


(魔物は確かに、ただの被害者だ)


 彼らに傷付けられた、何も知らない町の人間たちと同程度の被害者だと言える。彼らの報復は正当だろう。


(……お前たちにとっては同じ『人間』でしかないだろう。だがそれでも、この地で暮らす多くの者は本当に無関係だ)


 潜在的に敵対しているので、常からの恨みつらみはお互いゼロではない。しかし。


(今回のこれを報復だと、己の大義、正当性を主張するのであれば、引け。謀った奴は必ず暴き、お前たちにくれてやる)


 一番被害を受けたのは自壊を免れず、騎士に殺されるために襲わされた魔物たち。だが民間人にも多くの被害者を生んだこのやり口が、エルデュミオとて大層気に食わないのだ。

 そうエルデュミオが告げると、ざわりと魔力が大きく動いた。


 外へ、外へと、密集していたフラングロネーアから離れていくのが感じ取れる。殿のつもりなのか、最後まで正面に居座っていた地竜も、仲間たちが人の射程圏外に逃れたのを確認してから、悠然と去っていく。


(一応、納得はしたということか?)

「命じるだけでもよかったのに、望みを汲んだか。私の見込んだ通りだ。お前は善き王になれる」

「どうだかな」


 言いながら再度ローグティアに触れ、魔力に染めてしまったそのマナを聖神のものへと戻して行く。

 水晶のように硬質化した樹皮は剥がれ落ち、雪の結晶じみた花も地に落ち、マナへと戻って掻き消えた。


 短時間に極端な変化をさせてしまったローグティアが心配だったが、泰然と佇む姿に異常はない。それでも間違いなく負担だったはずなので、樹皮を撫でつつ心の中でだけ詫びる。


「なぜ戻す? せっかく魔力の力場が生まれたというのに」


 不満と呆れと諦めがそれぞれ同程度ずつ含まったスカーレットの問いに、エルデュミオは剣呑な目を向けた。


「僕は魔神の信徒じゃない」

「さっきも言ったが、使える権能は世界に満ちる魔力量で決まる。神の代行者たるその力を、わざわざ封じることもないだろうに」

「勝手に決めるな。僕はこれでもフラマティア信徒だぞ」

「信仰心の欠片もないくせに、よくも言う」


 苦笑しつつスカーレットが指摘したことは、事実である。ただしそれ以上にセルヴィードへの信仰心などないが。

 そんな状態で世界の常識に反旗を翻す理由など存在しない。

 エルデュミオの抵抗感の理由を、スカーレットは正確に理解していた。


「お前の危惧は取り越し苦労だ。私は何も、お前を世界と敵対させようとしているわけではない。非効率的だしな」

「だが、世界を魔力に染めたいんだろう。それでどうしようというんだ」

「どうもしない」


 警戒したまま放った問いには、あまりに肩透かしな答えが返ってくる。


「ただ世界の力のあり方を変えるだけだ。重ねて言うが、人の世についてはどうにもしない。人が魔物に隷属するわけではないし、大戦争を起こしたいわけでも、史書にあるような邪悪を極めさせようというのでもない。あれは後世を聖神が支配するために作り上げた捏造だ」


 敵対勢力であるセルヴィードを殊更邪悪にしたかったのは、その理屈で行けば人間ではないのだろう。


「……帝国を打ち立てた者たちにはフラマティア神の神人とやらが付いていて、だから帝国はあれほど強大になった。そしてお前たちは負けて、今更同じことをやり返そうというのか? 僕を使って」

「一つ誤解がある。当時私たちはこの世界に干渉していなかった。こうして神人たる私が地上に降りるのも、神の奇跡の一つ。多用されるものではない。神とて力は有限だ。奇跡の使いどころは選ばれる」

(地上に降りる、ときたか)


 何の証拠もない、戯言として一笑に伏すこともできる。だが知識に書き加えられた魔術の――と言うより、神の権能がそれを事実だとエルデュミオに理解させてしまう。


(人が扱っていい力じゃない)


 先程魔物を従わせた力など、力の内にも入らない。


「やり直しも、神の奇跡か?」

「無論。時とは本来不可逆なもの。理を歪める行いが、神以外にできるはずもない。ああ、今のお前にはできる。実行するには世界の魔力化が足りないが」


 確かに、その術式は知識の中にあった。実行しようとは思わなかったが。


「今回やり直したのは、フラマティア神だろう? 僕がお前たちの望むように世界のマナを魔力化したとして、また同じことが繰り返されるだけじゃないのか」

「いいや。始めに時を返したのは神に仇なす許されざる愚者だ。この世界で起こっていることを知ったセルヴィード様がある神人を派遣して、奴らの目論見を破ろうとした。自分たちの敗色が濃厚になったため、神の奇跡にまで踏み込む暴挙に出たのだ」


 そのこともまた、面白くないらしい。スカーレットの口調に苛立ちが強くなった。


「敵の都合のよい時間に戻されるのは、こちらにとっては都合が悪い。ゆえに、話し合いの末にフラマティアが可能な限り善き時まで時間を遡らせた。神の奇跡も有限だからな。生まれた直後に殺しておく、というような楽な手段までは選べなかった」


 話からするに、遡った時間は一年に満たないだろう。時を返す奇跡とは、神にとっても相当重いようだ。

 そして、意外な話でもあった。

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