第52話

(退けるとは言っても、近衛の第一部隊でどうにもならないなら力尽くでは無理だ。他の手段は……)


 思考を巡らせるエルデュミオの中に、ふと引っ掛かりが生まれた。

 魔物襲撃の直前まで読んでいた史書に載っていた、聖神と相対する魔神の存在が思い浮かんだのだ。


(はるか昔、魔神セルヴィードを崇めていた信者たちの中には、魔物を操る術を体得していた者もいたという)


 魔物には意思がある。それはつまり、魔力を介せば意思の疎通が可能であるという事。


「ちっ!」


 このまま座していても滅びを待つだけ。エルデュミオは身を翻し、再び城へと向かって駆け出した。


「え、ちょ、隊長!?」


 後ろからアンドレアの声が追ってきたが、答えている余裕はない。


「エルデュミオ様?」

「城の地下には、ローグティアがある」


 豊かな実りと膨大なマナの恩恵を約束してくれる土地だからこそ、人々は集い、町を作る。それは王都であろうと同じだ。

 むしろ、王都にローグティアがない土地を選ぶ方が珍しい。


「僕に魔術を扱う技術はないが、神聖樹のマナなら意思一つで魔力にできるだろう。その魔力を使っての干渉なら、魔物も聞く耳を持つかもしれない。太古の魔道士がやったように」

「竜は、知能の高い生き物です。ここに害するべきではないものがあると知れば、退くかもしれません」

「竜が引き下がる重要な物? 想像もつかないな」


 言いながらも、走る足は止めない。そして満足に考えがまとまりきらないまま、先程騎士たちと戦っていた庭園にまで戻って来る。

 罠の安全圏を示すタイルの一つを引き剥がす。その下には、地下へと続く通路があった。


「ここは……」

「王族が緊急時に使う脱出の経路だ。こちら側から私的空間の奥へは行けないが、用があるのはそっちじゃないから構わない。行くぞ」


 中に入り、頭上の扉を閉めると上でタイルが動いて再び定位置に納まる音がした。使用後も発覚を遅らせるため、磁力を使って自動で塞がる仕掛けが施されているのだ。

 出口を知らなければこの地下でさまよい、命果てることになる。


 人が通るのを感知すると、通路の明かりが自然に灯る。剥き出しの土の地面を、エルデュミオは記憶を頼りに進んでいった。

 ローグティアがあるのは、城の中心部の地下。公的空間として使われている宮殿のある辺りだ。

 距離としては、そう遠くない。ややあってエルデュミオはローグティアの樹の下に立つことができた。


「さっきルティアが干渉したせいだな。魔力に侵された花が落ちている」


 その様子を見て、少しためらう。これからやろうとしているのは、ローグティアを魔に染める行いだ。


(場当たり的にローグティアを魔に近付けて、余計悪化したらどうする……?)


 だがそんな迷いを嘲笑うかのように地上の地響きが地下のここまで影響し、天井を震わせた。パラパラと落ちてくる土が、そう悩む時間がないことを教えてくる。


「……エルデュミオ様」

「町が壊滅するよりは、マシだろう。僕がやる事だ。僕自身でならローグティアも戻せる、はずだ」


 覚悟を決めて、ローグティアに触れる。

 ここに宿るのは聖神に寄ったマナだ。求めているのはこれではない。


(もっと、奥に)


 ローグティアから繋がる源泉。神聖樹へと感覚を沈める。そこで掴んだ流れを、己の最も近くにあるローグティアへと引き出した。

 マナを魔力として使う術を持たないエルデュミオは、引き出したマナそのものを魔へと変質させ、ローグティアを魔力で染め上げる。

 しかしここに至っても竜が引き下がるような重要な物はやはり想像できなかったので、魔力化したマナに己の意思を乗せただけで拡散させてみた。


 ――フラングロネーアから、退け。


 このときエルデュミオが地上の様子を見ずに済んだのは幸いだっただろう。

 万物の源である純粋なるマナのまま、魔の属性を持ってフラングロネーアを覆ったエルデュミオの命令は、魔物たちの動きを一斉に止めた。

 しかし、退く様子はない。自分たちにとって親しい者が帰るように要請してきているのは理解しているが、彼らは戸惑っている。そして、より上位の存在である地竜に答えを求めているようだった。


 地竜の答えは、拒絶の咆哮。


「この……ッ」


 エルデュミオにしてみれば、全力で下手に出てやった要求だったのに、撥ねつけられたことに理不尽な憤りを覚える。


「いいだろう! そのつもりなら、何としてでも従わせてやる!」


 感触は掴んだ。太古の魔道士たちがやれていたことが、できないはずがない。

 ややむきになって、さらにローグティアからマナを引き出そうとした手が後ろから掴まれ止められる。スカーレットだ。


「離せ。何の真似だ」

「止めておけ。竜族を力尽くで捻じ伏せるだけの魔力を扱うには、お前の体が慣れていない」


 声も口調も変わらない。だが決定的に態度が違う。

 エルデュミオは振り返ってスカーレットを睨むが、そこにさしたる驚きの色は浮かべなかった。

 その瞳を受け止めて、スカーレットは微笑した。己が導くべき者への慈悲を湛えた、上位者の顔で。


「お前は、お前の意思で魔力を招いた。魔を求めた。その求めに応じよう。私の持つ権能を使え。我らが同胞は必ず応える」

「……お前は、一体何だ?」

「私の名はスカーレット・フィアルヴィ。魔神セルヴィード様に仕える神人だ。そして今は、お前の守護者でもある」


 トッ、とごく軽く、スカーレットはエルデュミオの額を指で突く。

 途端、あらかじめ書き込まれていたものが解凍されたかのように、一気に脳に情報が流れ込んでくる。


「っう、ぁ!」


 処理が追いつかずに悲鳴を上げるが、時間そのものは長くなかった。


「私が加護を与えているお前は、私が習得している神の権能を使うことができる。この世界の魔力は未だ薄く、使える力は限られる。しかし魔物たちを従わせることぐらいは可能だろう。神の使徒として選ばれたお前に逆らう魔物の方が少数派だ」

「お……前、僕に、何を勝手に」

「町が壊されるよりはマシなんだろう? そう時間は残っていないぞ」


 スカーレットの魔の囁きに舌打ちをする。反論しなかったのが正しさを認めた証拠だ。

 知ったばかりの呪紋を、魔力によって構築していく。


盟魔の共応マナ・シンフォニア――。聞け、この地に群がる魔物たち」

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