第54話
「話し合いなのか、そこは。敵対しているのに」
「そうだ。奴らがやろうとしている事は、神々の闘争とは次元が違う。絶対に許されてはならない行いなのだ。当時の世界状況を視て、聖神側の神人を送っても未来が変えられない恐れがあると判断された。そのため時を返すのをフラマティアが担当し、事態の打開は我ら魔神陣営が図ることになった」
「その言い方からするに、神聖樹の魔力化では時は返されることはない、と思っていいんだな?」
「力の染め合いは聖戦だ。勝ち続けるのが望ましいが、負けても染め返せばいい。今のように」
帝国が世の中を支配して、魔神信仰が失われてから久しい。だがスカーレットの言い様は、一つの陣取りゲームを継続しているかのようなものだった。
さすがに、神の世界の住人を語るだけはある。時間の感覚が地上の人間とはまったく違う。
「ではその、神にとって許されざる行いとは何だ」
「ルーヴェン・スペルキュナ――あの者は、神の力であるマナを奪った。エルデュミオ、お前の使命は二つ。一つは、この世界のマナを魔力に染めること。もう一つは、神に仇なすあの愚か者を打ち滅ぼすことだ」
「か、勝手に決めるな。僕は承諾した覚えはない」
決定事項として告げられた内容に唖然としつつ、そう否定的な答えを返す。そのエルデュミオに、スカーレットは実に余裕のある微笑で首を傾げて見せた。
「なぜだ? 私はお前にも利のある話をしているつもりだが」
「それ以上に不利益が大きい!」
「いいや? 利益の方が大きいとも。このままルーヴェンを放置すれば何が起こるのかは、ルチルヴィエラで見ただろう」
「!」
言われてはっとする。
記紋術具によってマナを溜め、大地の豊かさを奪う。確かに大事であり、この世界で暮らす全ての生命にとって他人事ではない。
「世のマナが魔力に変じたとき、生態系に多少の影響が出るのは否定しない。だがマナそのものを失うことと比べれば、被害は少ないと断言できる」
世界を形作るマナそのものを失えば、それこそ世界の崩壊につながりかねない。少なくとも、乾いた死の世界になるのは確実だ。
「前回ルティア王女たちは、相手の正体すら掴めぬまま敗北している。そのことからも分かるだろうが、敵は相応に力があり、周到だ。マナをできる限り魔力化して、私の権能を用いて戦うことを推奨する」
(……そういうことになるのか)
ルティアもフェリシスも、ルーヴェンを警戒していなかった。スカーレットの言葉が事実で、真実に辿り着いていなかったがためだと言うなら、力不足は認めるしかない。
「……ルーヴェンはマナを奪っている、と言っていたな。マナを溜める記紋術具であるリザーブプールは、どこの国でも使っている技術だ。それは破棄するべきなのか?」
今のところ世界に悪影響が出ているとは感じないが、神人の目から見たらどうなのか。
諸々の答えの前に、自身の暮らす世界の方が気になってそう訊ねてみる。
「いや、マナとして溜めて使う分には問題ない。やり過ぎると土地や地域単位、果ては世界単位でバランスは崩れるが、マナそのものが失われるわけではないので、我々としては問題ないのだ」
人間としては大いに問題がありそうだが、神から敵視されることはないらしい。
「ルーヴェンはマナを溜めて使うのではなく、喰らうのだ。マナという力そのものではなく、己へと書き換える。星そのものへと変じようとしている暴挙だ。それは神から力を奪うのと同義。許される行いではない」
「星?」
思わずエルデュミオは地下からでは見えない天を仰ぎ見る。天空にある星と一体化というのは、想像がし難い。
「ああ……。その辺りのことはまた後で説明しよう。世界、と言い換えて差し支えない」
「人間が、世界を喰らうのか? 途方もないな」
「だがそれが、前回の終点だ」
「……」
想像しがたい。し難いが事実なのだろう、ともエルデュミオは思った。
見てきた片鱗は、スカーレットの話と矛盾しない。
「――まあ、色々聞いて混乱もするだろう。そう時間に余裕があるわけではないが、考えるぐらいはできる。己の生きる世界にとっての最善を求めればいい」
言いながらも、スカーレットはそれが自分たちの手をエルデュミオが取ることだと確信している様子だった。
それに対し、エルデュミオは緩く頭を振っただけで答えるのは止めておく。スカーレットの言葉は正しい。すぐに答えられるような心境になかった。
「なぜ僕だったんだ。他に条件を満たす奴がいない訳じゃないだろう」
金眼である必要はありそうだが、逆に言えばそれだけでよいとも言えそうだ。
「聞きたいならば隠しはしないが。はっきり言って、候補は少なかった」
「八人だったか」
ルチルヴィエラでクロードから聞いた、金眼持ちの人数を口にする。
「いや、実際にはもっと少ない。金眼であれば神樹の寵児――とは言えない程に、すでにその存在は変質した。さらにその中で高齢の人間はさすがに除く。体力のいる役目だ」
「……そうだな」
「そうすると実質、候補は一人だったのだ。フラマティアの神人は実によくやったよ、まったく。信仰を覆すのは容易ではない」
「……聞かなければよかった」
「そうだろう」
くつくつと笑って、スカーレットはうなずいた。
「だが私は、お前を相応に気に入ってもいる。役目が終わったら神界に招き、神人として鍛えてもいいと思うぐらいには」
「断固、断る」
そもそも、セルヴィードの信徒になるつもりもない。
「そう結論は急くな。時間はまだある。――だが、そろそろ地上に戻るべき頃合いだろう」
「……ここでやるべきことはもうないわけだし。そうするか」
エルデュミオが肯定すると、スカーレットは恭しく頭を下げた。
「では参りましょう。エルデュミオ様」
「薄ら寒い」
はっきり顔をしかめたエルデュミオに、スカーレットは苦笑する。
「敬意がなかろうとも、態度を繕う人間とて少なくはないでしょう。一番都合がよいのですから、諦めてください」
「都合、な」
「はい。エルデュミオ様としても、拒絶している不審者に付きまとわれてしかも排除することができない無能と囁かれるよりも、有用な侍従を連れているという方が外聞も良いのでは?」
「ちッ」
言葉で認めてやるのが腹立たしかったので、舌打ちで返す。
「戻るぞ。ルティアの様子も見ておきたい」
「はい。エルデュミオ様」
主従ごっこからは、しばらく解放されないらしい。
いかに金眼の持ち主といえ、極大呪紋を使って平気なはずがない。良くて昏倒、悪ければ死すらあり得る。
体中のマナを使い果たすとは、そういうことだ。
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