第32話
リーゼとしても、自分の状況が敵にこそ都合がいいとは分かっているらしい。悪口と共に指摘をしたエルデュミオに、反抗できずに言葉を詰まらせる。
「だ、だったら、エルデュミオ様の使用人として雇えばいいです」
「は!?」
言葉の選び方の報いだろうか。次にリーゼがした提案に、今度はエルデュミオが唖然とした声を上げることになる。
「正気か。男である僕が平民のお前を一時的に使用人として側に置けば、余計な詮索を招くだけだ」
「実がなければ問題ないですね」
「あるに決まっているだろう」
「わたしにはないです。二度と関わらない世界なので」
「――あぁ、そうだな! 下世話の噂話の標的になるのは僕だけだ」
リーゼがその後エルデュミオに降りかかる不名誉を理解して言っているのだと分かって、忌々しい気持ちは隠さずに――しかし利は認めた。
「では、そういうことで」
「ああ、もうそれでいい。さっさと行くぞ」
「ですね」
リーゼを連れて引き返しながら、奇妙に感じずにいられない。
強権によって庶民の娘を己の懐に招き入れ、狼藉を働く貴族は間違いなく存在する。れっきとした犯罪でもあるのだが、裁判を担うのが貴族であるため、有罪にならない場合がほとんどだ。
だからこそ、平民の娘を一時使用人として雇い入れると噂が立つ。真実がどうであれ。
名誉を重んじるエルデュミオにとって、そんな醜聞を自ら立てるような行いなど、愚行の極み。
だというのに今、真逆の行動を取っている。リーゼが孤立しているのが気がかりだという理由一つで。
(何をやっているんだ、僕は)
それでも、リーゼを放り出す気にはなれなかった。
宿に戻ったエルデュミオは、まず従業員に命じて茶とつまめる程度の菓子を二人分注文した。そしてリーゼと共に部屋に戻る途中、ルティアの警護をしている女性騎士に声を掛ける。ルティアにティータイムの誘いをかけるためだ。
十数分後、身形を部屋着から人に会うものへと簡単に整えたルティアが部屋を訪れたのを迎え入れる。
協力関係にあるので理由は告げなくても断られないと踏んでいたし、実際にルティアは誘いを受けた。その表情が戸惑いを見せていたのは、扉を潜る寸前まで。
「リーゼ!」
「ルティア、久し振りですね」
喜びの声を上げて走り出し、ルティアはリーゼに抱き付いた。リーゼもルティアの体を受け止め、その勢いを殺すため、その場でくるんと一回転。ルティアのドレスが空気を含んでふわりと広がる。
一方のエルデュミオはルティアの姫君らしからぬ行動が読めていたので、すぐさま扉を閉め、舌打ちする。
予想できていようが、不快な感情が変わるわけではない。抑えられはするが。
「おい、ルティア、ふざけるな。なぜ僕が使用人のような役回りをしなくてはいけない」
この場において扉を閉める役目を負うのは、リーゼのはずである。ルティアに一直線に飛びつかれた彼女に、そんな暇など生まれようもなかったが。
つまり間違えているのはルティアだ。
「ご、ごめんなさい。リーゼの顔を見たら嬉しくなって、つい。……けれど扉を閉めるぐらい、近くにいる人がやればそれでよいのではありませんか? つまり、わたくしがやるべきではあったのですが……」
「違う! 使用人の仕事を奪うな。お前は自分付きの侍女や侍従、メイドをそれだけの人数は不要だからと無職にするつもりか」
その場合、人数が多すぎたからというそのままの理由を信じる者は少ない。いや、信じたとしても言外に言われている。
雇われている者たちの中で、無能だから切られたのだと。もしかすれば、主の不興を買ったのかもしれないとまで噂される。
そんな人物に次の就職先などあるはずがない。
「そ、そのようなつもりはありません」
「だったら、そんなふざけた言葉、二度と吐くな」
侍女や侍従がいなくてはできないのは問題外だが、できるできないに関わらずするべきではない物事が、王侯貴族には存在する。
「……すみませんでした」
しゅんとして肩を落とし、ルティアはエルデュミオの言を認めた。納得していなさそうなのは、貴族社会に無縁なリーゼである。
「そこで仕事がないなら、別の仕事を探せばいいだけでは? 無用な所に人材を留めておくとか、無駄でしかない気がしますが」
「その台詞、この宿にいる騎士の前では絶対に口にするなよ。働きたくても、働き口のない奴もいる。お前たち平民もそうだろうが、貴族も就ける職の幅は限られているんだ」
例えば男爵家の三男四男は、自領を分け与えられることなどまずない。そこまで広大で豊かな土地を持っている男爵家など極稀だ。少なくともエルデュミオはストラフォード王国貴族では思い当たらない。
将来、家の働き手としてさえ必要のない収入の場合さえある。しかし不慮の事態を考慮して、子どもは相応の人数が欲しいところだ。食や医療に掛けられる金が限られる、貧しい家ほど保険が必要になる。
だからといって外に出て農民や商人になるなど嘲笑の的。自分の家の経済状況を喧伝しているようなものだ。許す家の方が珍しい。
一番多いのは経済的な理由だが、そうではない事情も含めて第二部隊には他に職を得られない者が多く集まっているのだ。
「……貴族社会も面倒ですねえ」
「そろそろ改革が必要なのは否定しない。しかし施策もなしに在り様を否定するな。それではただ歪みを広げるだけだ」
「改革を行うなら、各所に配慮しどこにどのような影響が出るか、吟味してからでなければならない、ということですね」
「そうなる」
もしルティアが無事王座に就いたなら、それは彼女の仕事となる。真剣なまなざしで、ルティアは大きくうなずいた。
エルデュミオとしても、現代にそぐわず無駄と無理が増えてきた昨今の行政に対する改革は必要だと考えている。期待したいところだ。
「目に見えることだけに焦らないよう、注意します」
「是非そうしてくれ」
できなければ国が混乱するだけになる。もしくはその前に、ルティアが害悪として排除されるか。
「まあ、それはともかく――リーゼ」
「はい?」
「お前は今からルティアの使用人だ。いいな」
「え」
いきなり配属先が変わったリーゼは、きょとんとした顔をした。
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