第25話

「暴力など振るっていない。お前にしたのは躾だ」

「暴力で行う躾など存在しないです。どこで覚えたですか、その間違いまくった行為」


 あまりの常識の差、話の通じなさにうんざりした様子で、それでもリーゼは考えの溝を埋めるための訂正を続けた。


「僕の経験だが」

「……は?」


 だが次に発されたエルデュミオの言葉に、思わずといった様子で自分の手に注いでいた視線を彼に戻す。


「父上と母上は、僕が二度間違えるとそうした。まあ、始めは皮が裂けるほどではなかったが」

「え、いや――……。えっ!?」


『上手くできない』が何を指してのものかを理解したリーゼはうろたえ、形となる言葉を発せずに、意味を持たない音を切れ切れに零した。


「僕が愚かであるなど、表に出せることではない。手当ては自分でしたものだし、痛みがあればこそ必死にもなる。だがそれは子どもの頃の話だ。相応に理解力のある年齢なら、苦痛の継続による学びはいらないだろう。それぐらいは期待する」


 リーゼは自身の行いが無礼であったことを認め、謝罪をした。理解をしたとエルデュミオは判断したのだ。


「それ――……それは、躾などではないです! 貴方はそのとき自分が感じたことを認めていいし、他の人には断じてやるべきではないです!」

「平民の感覚で物を語るな。父もそうして、祖父より学んだと言っていた。祖父も同じだ」

「さっさと断ち切るですよ、そんな悪習!」


 悲鳴じみた必死の声で、リーゼは叫ぶ。


「嬉しい気持ちも悲しい気持ちも、喜びも苦しみも、貴族でも平民でも関係ないです」

「……それは」


 ――そうなのだろう。


 リーゼの主張が間違っていないことは分かる。だがなぜか、それを完全には認めてはいけない気がした。


「貴方はわたしの傷を治したですね? わたしが痛くて嫌だって分かってたから。人に対してそういうことをしているって分かってたから。貴方もきっと、そうだったですね?」


 痛かったし辛かったし、逃げたかった。その気持ちがあったのは確かだ。だからこそエルデュミオは必死に学んだし、父母の望む通りの貴族であることを貫いた。

 そうしなければ、苦痛が終わらないと理解できたそのときから。


「貴方はきっと、もっと自分の心と向き合った方がいいです。今の貴方でいることは、きっと本来の貴方には辛いですよ。……だって、あんなに綺麗で優しい形に、マナを顕す人なのですから」

「……僕は」


 ふと、思い出す。

 子どもの頃はどうだっただろう、と。

 使用人とさえ、屈託なく話す子どもだったように思う。けれどそれはイルケーアの嫡子として相応しくはなく――。


「っ……!」


 急激に吐き気を感じて口元を押さえ、思考を中断する。

 体が思い起こすことを拒絶していた。心が感じたことを認めるのは、エルデュミオにとって恐怖と苦痛の記憶と直結することだ。


「あ……っ」


 うろたえたリーゼがエルデュミオの側らに屈み込み、しかしどうすることもできずに途方に暮れた顔で彼を見つめる。

 ややあって動悸が治まり吐き気も遠のいていく。いつの間にか固く閉じていた瞳を開き、エルデュミオは大きく息を吐いた。それでもまだ息苦しい。

 あまり望ましくはないが、私邸であることを考慮して自分を許し、襟元を少し寛げる。


「……大丈夫です?」

「ああ」

「じゃあ」


 ほっとした様子で表情を緩め、リーゼは自ら手を差し出した。


「……何だ」

「打っていいです。多分、今の貴方はその方が落ち着くですね?」


 身に刷り込まれた『正しい』ことに逆らうのは、暴力によって強要されてきたエルデュミオにとって、恐怖を呼び起こす行いだ。

 それを理解したリーゼの方から、歪んだ『正しさ』を行使するように求めてくる。エルデュミオの精神を護るために。


「お前は……。別に、何もしていないだろう」


 リーゼはその正しさを否定している。苦痛を受けることを、勿論望んでいない。

 そして実際の所――エルデュミオとて、人を傷付けたいとは思ってなどいないのだ。それが無意味なのであれば尚のこと。


「無礼だとは思っていないです? 無理してないです?」


 無理は、していた。刷り込まれた正しさを行使しないことに、体が怯えている。小刻みに震える手を押さえつける様に拳を握った。


「うるさい。平民ごときに心配されるほど落ちぶれていない」

「――ですね」


 口調だけはどうにか高慢に――いつも通りを振る舞える程度には落ち着いたのを確認して、リーゼはただ認めてうなずいた。


「……座れ。ルティアの件で話がある」

「じゃ、失礼するですね」


 立ち上がったリーゼは、今度は躊躇なくエルデュミオの正面にあるソファに、テーブルを挟んで腰かけた。


「ルティアから今が二度目だという話を聞いた。お前も知っている側だな」

「ですね」


 ルティアとリーゼの親しさは、両者ともに記憶を保持していなければ成り立たない。隠すつもりも理由もないようで、リーゼはあっさり肯定をした。


「……僕も、お前と会ったことがあるな?」

「あー……。一応、顔は知っているですよ。お互いに」


 歯切れが悪い。

 十中八、九敵対かそれに近い関係であったのだろうから無理はないだろう。

 リューゲルの民間人を犠牲にしようとしたエルデュミオを、ルティアはまず許さなかったであろうから。

 しかしその点は現在のエルデュミオにとってはどうでもいい。大切なのは、リーゼと会ったときに覚えた既視感の正体だ。理由が分かってすっきりした。


「他に記憶を保持しているのは誰だ」

「貴方の知っている人間だと、フェリシスぐらいしか分からないですね」

「……あいつもか」


 つい、苦々しい声が出る。


(だが、聞いておいて損はなかった)


 状況が正確に理解できているのなら、フェリシスにも必要な役目を振れる。


「では本題に入るが。近くルティアがルチルヴィエラに向かうことになった」

「はい。行かない訳にはいかないです」

「前もルティアが行ったのか?」

「成り行きだったですね。城から逃げてきたルティアと会って、わたしがルチルヴィエラまで連れて行ったです。城の中で襲われたって話で、他に信用できる人がいないって聞いたので、フェリシスに会いに行ったですよ」


 どうやら一度目のルティアは、フェリシスのいない城に戻ることをためらったらしい。己の身を危ぶんだとはいえ、勝手にルチルヴィエラに向かったのもどうかと思うが。

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