第12話

(魔物の凶暴化、か)


 話題に上ることが増えたその問題を思い浮かべて、エルデュミオは『豊穣の調べ』に向かっていた行き先を不意に変更する。

 新しい目的地は『穂の波』だ。


(……若干、不愉快ではあるんだが)


 念のために、もう一手打っておくことにする。

 リーゼが泊まっていると告げた穂の波は、宿としては中堅所だ。護身の心得のない人間が一人で泊まっても、安心して眠ることができる。

 一階は食事処として開放されていて、泊り客でなくても利用することができる。


「いらっしゃいまー……せ……?」


 エルデュミオが扉を開いて中に入ると同時に、明るく元気な声が飛ぶ――が、振り返って入ってきた客の姿を見るなり、尻すぼみになった。

 おそらく、客層的にあまりにかけ離れていたために。

 看板娘らしい少女の元へ近付くと、彼女は顔を赤くしたり青くしたりしながら、持っていたトレイを胸元で強く抱き締め、硬直した。


「泊まり客に用がある。リーゼ・ファーユという娘を呼んで来い」

「はいぃぃっ。ただ今っ」


 余程慌てていて、かつ緊張しているのだろう。身を翻した彼女はふくらはぎを逆の足の踵で打ち付けて転びかけつつ、階段をよたよたと上がっていく。

 滑稽だと嘲笑するのは簡単だが、そんな気分にもならずにエルデュミオは眉を寄せた。


(あの娘は、特段粗忽なわけではないんだろう)


 あの動きが日常であるのなら、ホールスタッフとしてやっていくのは難しい。

 挙動が不審になったのは、エルデュミオを――貴族を見てからだ。


(僕ら貴族は、畏れ、敬われるべき存在だろう?)


 エルデュミオが想像していたそれは、尊崇によって称えられる姿である。間違っても場にそぐわない化け物を見付けてしまった、というような反応ではない。


(なんだ、これは。おかしすぎる)


 なぜ、平民に化け物扱いされなければならないのか。


「――あれ。まさかでしたけど。本当にエルデュミオ様です?」


 客室のある二階から降りてきつつ、声を発したリーゼを振り仰ぎ、エルデュミオは彼女を睨む。


「上から僕に声を掛けるな。無礼者め」

「法律です? 庶民的には時と場合と関係性によるですが」

「……マナーだ」

「まあ、それほど否はないですね。以後気をつけるです」


 ルティアに対してはどうなのか――と聞きかけて、止めた。彼女の行動がそのまま答えだ。

 階段を降りきってエルデュミオの正面に立ち、彼女は微かに首を傾ける。


「わたしに何の用です?」

「その前に、少し場所を変えたい」

「いいですよ。では、行きましょうか」


 平然とエルデュミオと会話するリーゼへと、周囲から感嘆の視線が注がれる。


(……納得いかない)


 それこそ、貴族たる自分が受けるべき眼差しではないのか。


(僕が化け物で、その化け物に動じないリーゼが英雄か? 冗談じゃない)


 もし誰かが冗談として演出したのなら、面白くないと一蹴する。

 だが残念ながら、ここは舞台ではない。人々が抱いたのはありのままの感情だ。

 リーゼは宿の外へと向かったので、エルデュミオも後に付いて行く。


(相変わらず、人出は少ない)


 何も解決していないのだから当然だが。


「込み入った話なら、ローグティアの丘まで足を延ばすです? 今はあの辺りまで行く人はいないですから」


 普段であれば花見に行く人も多いのだろうが、現状では襲われに行くようなもの。武力に自信がない者なら、絶対に近付かない。

 気を遣ったリーゼの提案に、エルデュミオは首を横に振る。


「大した用件じゃない。手紙を一通、届けてもらいたいだけだ。正式な依頼として契約をしたい」

「手紙、ですか。今はあまりリューゲルを離れたくないですが……。内容を聞きたいですね」


 リーゼは即断しなかった。

 しかしエルデュミオが無関係な手紙の配達を依頼しているとも思っていないようで、そんなことを言ってくる。

 リーゼのこの反応は少数派だ。大概の人間は一も二もなく承諾する。内容など聞いてこない。それを知ったところで、断る選択肢がないからだ。知らない方が安全ということもある。

 だがリーゼは、事によっては断るつもりで聞いてきていた。彼女の言動がエルデュミオにも教えてくれる。


(正気か? 貴族の依頼を断る権利などないと、昨日説明を……。……いや)


 生まれて初めて、エルデュミオは権利が及ぶ範囲、というもの考える。今までは考える必要がなかった。機会さえなかった。

 エルデュミオが何かを求めたとき、その是非を問う者などいなかったから。

 平民や冒険者の協力義務は、あくまで非常時、緊急時に限られるもの。

 問題は、依頼内容が当てはまるかどうかだ。

 イルケーア家にとっては、非常時であるし緊急を要する。しかし国家としてはどうか。


(そういう意味での非常時、とは言えない気がする)


 国の法を都合よく解釈して私用に使うのは、貴族の権利の中にも入っていない。


「どうしたです?」


 ならば、正当に納得させて依頼をするしかない。


「役人を一人、他領に移動させる。その手続きを頼む手紙だ」


 内容はスカーレットに手配させたのと同じ物だ。

 深い意味はない。魔物被害が出ているとはいえ、それでも街道は安全性が高い。本当に、思い立っただけの念のため。何となく、とさえ言い換えてもいい。

 だからリーゼに依頼するつもりもなかった。時間差で人を出すよう、帰ってからスカーレットに指示をする。それで充分だと思っていたからだ。

 エルデュミオが口にした断片だけで、リーゼはこれからどういう処置がとられるのかを悟ったらしい。不快そうに顔がしかめられる。


「その役人をどうするです?」

「とりあえず、話を聞く必要があるだろう。それから事実を調べて処罰する」

「なぜ他領で?」

「そうするべきだからだ」

「……騒がれないようにですか」


 嫌悪を滲ませ、リーゼは吐き捨てる。


「無用な混乱を避けるため、だ」

「……」


 しばしリーゼはエルデュミオの持つ手紙を睨み付けて――手を伸ばした。


「引き受けるです」

「持ちかけた僕が言うことではないが、なぜだ?」

「ルティアが、イルケーアの――貴方の後ろ盾を欲しがっているからです。立てなくて済む悪評を立てるのは、わたしたちにとっても都合が悪い」


 正道と損失を天秤にかけて、リーゼは損失を出さない方を選んだ。しかしそれが彼女の良心に悖ることは、苦い表情を見れば明らかだ。

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