第10話

 ルティアは生まれつき優れた呪力を持っているが、それだけだ。


(未来を知るなど神の御業。それこそ、伝説の聖女のようじゃないか)


 かつて世界に危機が訪れたとき、聖女はその聖なる力で厄災を予期し、人々を護り、導いたのだという。

 当然、エルデュミオは信じていない。当時そうした『聖なる者』の権威が必要で、実在の人物を偉大に誇張しただけだと考えている。


「……本来なら、後任を見繕ってから事を始めたいところだが。そうするとお前は勝手に動きそうだな」

「敵の本拠が分かったのです。だというのに手をこまねいて、町の人々に不安な日々を送ることを強要し、被害者に今は我慢してさらわれてくれと言うのですか」

「短絡的だと言っている」

「貴方様の親しい方が同じ目に遭っても、同じことが言えるのですか」


 ため息をついたエルデュミオに、怒りの宿った声が斬り込んでくる。


(貴族を平民と同じように語るな)


 エルデュミオに刻み込まれてきた常識は、すぐにそう反論した。少し前であれば、実際に口にしていたかもしれない。

 引き結ばれた唇がその言葉を発さなかったのは、テッドのエルデュミオを射る瞳の光があまりに真剣で、必死だったから。

 それは夢の中の少女や、石を振りかぶっていた男のそれを彷彿とさせる。


「……討伐は、許可しよう。僕の名前で」

「!」

「ただし、罪に問うのは賊だけだ。お前も分かっているだろうが、警備軍の中にも見て見ぬ振りをし続けている奴らがいる」

「はい」


 口惜しそうに、しかしテッドも事実を認めた。

 討伐が滞っていることから、隊長クラスであることは確実だ。逆に、最低でもそれぐらいでなければ警備軍を抱き込んでも旨味がない。


「そいつらの追及は許さない。賊が何を言おうとも、ただの虚言として一切取り合うな。それが討伐の条件だ」

「ですがそれでは! このような悪辣な画策をした者を、野放しにすることになります! 己が罰されないと安心すれば、何度でも同じことをするでしょう!」

「放置はしないと言っただろう」

(だから、目の前しか見えていない奴の相手は疲れるんだ)


 今すぐ手を差し伸べねば間に合わない状態にある者への救済が、無意味だとは言わない。だから手間がかかるのを承知で、賊の討伐は許可することにした。

 だがそれ以上にまで手を付けるのは早い。準備が必要だ。

 とりあえず手足を奪っておけば、次の被害が生まれるまでの時間も稼げるだろう。


「大体、本当にセルジオとやらが裏で糸を引いているという証拠があるのか? 罪人に落ちたごろつきの言葉など、信用に値しないぞ」


 証拠のない証言を取り合っていたら、身勝手な恨みつらみも含めて、役人全員が失脚する日も遠くない。

 それでも、証拠が見付かればまだいい。だが見付からなかったらどうするのか。必ず立つ悪評だけで一人の人間を破滅させることになる。


「それは……」


 一警備兵でしかないテッドが、上司に止められている捜査などできるわけがない。彼は言い淀んで俯いた。


「今追及の手を伸ばすということは、相手を逃がしてやることと同義だ」


 それはイルケーアにとっても良くない展開だ。認められない。


「ですが……っ。隊長が従っている時点で、明白ではありませんか! イルケーア様のお力なら、捕らえてから証拠を揃えることも可能でしょう! もし処分されていたとしたって、どうとでも……!」

「はッ。自分たちが強権を振りかざされたときは哀れな被害者を装い、貴族の横暴だとなじるくせに、自分が振るう側に回ると途端に都合よく不満を忘れるらしい」


 テッドの言う内容で明白なのは、警備軍隊長よりも上位の権力者からの介入だけであって、それがセルジオだという証拠ではない。間違えましたでは済まない案件だ。

 それでも利益があれば、エルデュミオはテッドの言うことを実行する。

 だからこそ、今はやる気がない。意味がない上、生じるのは不利益のみだ。


「さて。随分無駄な話を長くした。もう一度言うが、『下がっていい』」

「……はっ」


 頭を下げ、テッドは許可の体裁をした命令に従い、部屋を去った。

 彼が去ったあとの扉を閉めてから、スカーレットはエルデュミオに近付き、問いかける。


「エルデュミオ様。あれはおそらく、暴走します。放置するのは危険かと」

「そうだな……」


 全く納得していなかったテッドの目を思い出しつつ、エルデュミオはスカーレットにうなずく。


「始末しますか。愚か者を一人見せしめにすれば、セルジオとやらもリューゲル警備軍の隊長も、自分たちは追及されないと胸をなでおろすことでしょう」


 その間に、当初の予定通り必要な準備を整えればいい。


「悪くないな」

「では」

「しかし、最善ではない」


 手配のため、すぐに動くつもりだったのだろう。腰を折りかけたスカーレットは、続くエルデュミオの言葉に動きを止めた。


「世の仕組みを考慮すれば、あれの言動は短絡的で、理を理解していない。余計な混乱さえ招く害悪と言えるだろう」

「はい」

「だが、間違ってはいない」


 実行犯である賊を捕らえて、彼らから犯罪を擁護していた者の名前が出たら拘束して、聴取をする。何も間違っていない。


「役人の名前が出て、面倒が起こり実務に差し障りが起こるのは、こちらの都合と手落ちだ。どうせ最終的に求める結果は同じなのだし、余計に人員を失う必要はない」


 警備軍の何人かも、罪に問われるか解雇されることになるだろう。その後の治安維持のためにも、ああいった懸命な人間には残っていてもらいたい。

 貴族の立場で見ればテッドのような人物は扱いが厄介だが、町の住民にはありがたいのだろう。それは回り回って、リューゲルの支配者であるイルケーアの益に繋がる。


「僕に期待しなくなった以上、あいつが勝手に動くのは間違いない。その前にこちらも最低限、準備を整える必要がある。スカーレット、父上に手紙を送る手配をしろ。それから領主館へ向かう」

「承知いたしました」


 そしてエルデュミオが真っ先に行ったのは、自らの空腹を癒すことからだった。

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