第9話
翌朝、カーテン越しの陽の光によってもたらされた目覚めは、幸いなことに快適だった。
(入浴剤は合わなかったが、食事とベッドは悪くない)
何より悪夢を見なかったのが良かった。おかげでゆっくり休んだ体感がしっかりある。
身支度を整えて寝室から出ると、スカーレットはすでに万全の態勢でエルデュミオを待っていた。
「おはようございます。朝食を持ってこさせましょう」
「いや、先に何か飲み物を用意しろ。食事はその後でいい」
「承知いたしました」
スカーレットが扉脇のサイドテーブルに備え付けられている鈴を鳴らすと、すぐに宿の人間が訪れた。この部屋の近くに従業員が待機している控室があるのだ。
指示を受けた従業員が退出するのと入れ違いに、別の従業員が姿を見せた。心なしか表情が硬い。
「どうした?」
「その、警備兵が一人、イルケーア様にお会いしたいと言ってきております」
前日にスカーレットに言伝を頼んだ通り、伝えに来たらしい。
エルデュミオからの要望にも拘らず従業員の態度が硬いのは、まだ朝の早い時間帯だからだろう。機嫌によって自分の言を翻す貴族は、嘆かわしいことに少なくない。
「エルデュミオ様。いかがいたしますか」
「構わない。通せ」
「承知いたしました。では、そのように」
「かしこまりました」
エルデュミオが特に機嫌を損ねた様子がないことに安堵した様子で、従業員は部屋の前を後にした。
(さて。身内を売る下種か、職務に忠実なだけの者か)
ややあって、スカーレットが依頼した飲料が先に届けられた。美しい色合いの紅茶だ。
(ふむ。中々)
湯に溶けた葉の色は上品で、香りも損なっていない。屋敷の侍女たちが淹れる物には好みの差で及ばないが、腕は悪くないようだ。満足してエルデュミオはうなずいた。
一口、二口と味わった頃合いで、件の警備兵が連れてこられる。
「イルケーア伯爵。お目通りさせていただき、ありがとうございます。リューゲル警備軍所属、テッド・メイシュアと申します」
「ご苦労。では、どんな報告を聞かせてくれるんだ?」
「まずイルケーア様が捕えられた人さらいどもの拠点ですが。リューゲルから少し離れた場所にある洞窟に住み付いているようです。現在出入りしているのは十一人。見張らせていますが、移動する気配はないとのこと」
「仲間が捕えられたというのに、余裕だな。すぐに解放されるのを確信でもしているのか」
町単位の軍であっても、十数人規模の賊に遅れは取らない。さすがにそれが分からないはずもないだろう。
ならばすぐにでも散り散りになって逃げてもよさそうなものだが、そんな気配はないという。
「そいつらに人さらいを命じた代官側の人間というのは、誰のことか吐いたか?」
「はい。セルジオ・ハボス様だと」
代官ならまだしも、その代官が雇った者まではエルデュミオも記憶していない。だが名前が上がれば調べやすくなる。
「分かった。他に特筆するべき点はあるか?」
「いえ。ありません」
「そうか。下がっていい」
使われているだけの実行犯から取れる情報はそこまでだろう。予想通りの答えにうなずき、テッドに退出を促す。――が、彼は動かなかった。
「あの、イルケーア様」
「何だ」
「賊の討伐を命じてはくださらないのですか」
「……」
命じなかったことそのものが答えである。
にもかかわらず、テッドは問いを口に出してきた。するべきだという確固たる信念がそうさせたのだ。
(……気に食わない)
その真正直さは、フェリシスを思い起こさせた。色こそ違えど、その瞳に宿る光は同様のものだ。
「お前、まさか悪人を倒せばそれですべて上手くいく、などと思っていないだろうな」
「は……?」
「そのセルジオ・ハボスとやらが本当に命じているかもまだ分からない段階だ。今討伐など実行してみろ。捕まえた連中は全員、そいつの名前を口にする」
そして黒幕だと名指しされた者の名が外部に広まれば、捕らえないわけにはいかない。
セルジオが就いている役職によっては、代官の進退にもかかってくるだろう。そこまで波及すると、代官を任命したイルケーアにとっても恥となる。
「代官の任命責任を追及して、引き摺り下ろせば満足か? それともその先、イルケーアにまで害を及ぼしたいか? それで領主を交代させ、治安を取り戻すと? 次に来る奴がまともだといいな」
エルデュミオに言わせれば、リューゲルの行政は限りなくまともだ。次に来る領主、または代官は今の代官と同じか、それ以下の人材しか来ないだろうと断言できるぐらいに。
「さらに言えば領地替えは王の裁量。王が政治を執り行える状況にない今、次の領主がいつ決まるか知れたものではない。そして決まって赴任してくるまでは、法も行政も停止したままになる」
決済できる人間が不在になるのだ。誰がどう政を動かせばいいかも分からなくなるだろう。
エルデュミオが口にしたのは、一番大事になった場合の話だ。実際にはまずそこまで波及はしないと断言できる。
それでも口に出したのは、己の行動の先を考えないテッドの言動が腹立たしかっただけだ。
ただしその危惧は、リューゲルだけの話ではない。
(今の国そのものにも言えることだが)
ストラフォードが運営できているのは、王が特殊な判断を下さねばならないような事態が起こっていないからだ。
もし国の大事が起これば――それでも、国としては何の対策もとれない状況にある。危険極まりない。
そうやって運営を滞らせないために、準備が必要なのだ。裁くときには、その席はもう埋まっていなくてはならない。
「っ……」
実務の面もあるが、そもそも己に不利益が発生すると分かっていて、罪を追及する者は少ない。
あえてイルケーアの名前を出したエルデュミオもまたその類の人間だと理解して、テッドはうつむき、強く拳を握る。
「では……放置するというのですか」
「そうは言わない」
相手が代官の関係者を名乗っているのに、見過ごす選択肢などない。
(このまま放置すれば、より大事になるのは確実だ)
まさにルティアの言っていた通り、『今ならどうとでも収拾が付けられる』だ。逆に言えば、時期を逃せば取り返しがつかない、ということでもある。
(改めて考えると、奇妙な言い様だな。まるでどうにもならなくなる未来を知っているように聞こえなくもない。……まさかな)
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