第6話
(……遅い)
リーゼが丘を駆けて行ってから、悠に一時間は経過した。だというのに、彼女は未だ戻っていない。その間に気絶していたごろつきまで目を覚ます始末だ。
(だから役に立たない平民は嫌なんだ)
しかし自分の足で動ける者が増えたのなら、運ぶ人手はなくてもよくなった、とも言える。
起きたごろつきは自分たちがまだ自由の身であることにきょとんとして、的外れな余裕を取り戻していた。
牽制の一件が効いているのか、さすがにエルデュミオの前で逃げようとする者はいなかったが。
「おい、立て。まだ気絶している奴は、余力のある奴が担げ。警備兵の詰め所に行く」
「へい」
素直に応じたごろつきは、命じられた通りにまだ倒れたままの仲間を担ぐ。
(この余裕。対した罰を受けないとでも考えているんだろう)
つまり少なくとも彼ら自身は、自らが口にした黒幕の地位を信じている。
今の自分たちにとって一番危険なのは、この場でエルデュミオの機嫌を損ねることだと判断したのだ。
悪事は追及されなくても、ここで死体となって転がっても問題にされない。それを理解している。
(身の保身への計算だけは素早いらしい。とはいえ都合のいい事実を元に考えているから、無意味だけどな)
エルデュミオからすれば、根も葉もない妄言として片付けても構わないのだから。
丘を下りてたまたま行き会った町人に警備兵の詰め所の場所を聞き、真っ直ぐに向かう。
ごろつきが整列して美しい青年の後を黙々と付いて行く様は、はっきり言って異様である。すれ違った人々の視線が追ってくるのも無理からぬことだろう。
「だーかーらっ。ついてこいって言ってるですよ! それで事実だって分かるですから!」
「そんな戯言に付き合ってやれるほど暇じゃないんだ。いい加減、もう帰ってくれ。これ以上我らの邪魔をするなら、お前さんを捕らえなきゃならん」
「くぅーっ。どこまで腐っているですか、もう!」
辿り着いた警備兵の詰め所では、ちょっとした騒動が起こっていた。
「……何をしているんだ、お前は」
「あ」
応対していた警備兵に噛みついていたリーゼが、エルデュミオの声に反応して振り返る。
「お前が遅いから、僕がそのまま連れてくる羽目になった」
「う……。面目ないです」
人差し指の先を突き合わせつつ、リーゼは気まずそうに言う。彼女の消沈した様子は、エルデュミオの心境に大らかさを与えた。
「まあこの場合、動かなかった方に非があるのは明らかだがな」
言ってリーゼから警備兵へと目を向けると、彼は渋面を作っていた。面倒事を持ち込まれた、という怨みの念さえ感じる。
だがリーゼに対していたときのように、邪険に追い払おうとはしてこない。後ろに事実ごろつきがいるのも理由だろうが、何より、エルデュミオの恰好が明らかに貴族のそれだからだ。
同様に理解したリーゼが、頬を不満気に膨らませている。
「これだから悪徳貴族の領地は。主が主なら部下も部下ですね」
悪意の呟きが耳に入ったが、追及するのは後にすることにした。
「この僕を襲ってきた、身の程知らずの悪漢どもだ。どうやら組織的に活動しているようだから、吐かせて報告を上げに来い」
「は……っ」
承諾の返事をしつつ、警備兵の目は泳いでいる。
目の前の貴族にも逆らえないが、この件に逆らって地元の代官と敵対するわけにはいかない、というところか。
(少なくとも警備兵に圧力をかけられる身分であるのは嘘ではない、か)
この様子を見るに、リーゼの訴えそのものをなかったこととして扱うつもりだった可能性が高い。
(相手が貴族なら、当然そうなるだろう)
より強い権力を持った者が、都合の悪い事実を握り潰す。それが日常的に行われている社会の中で生きているエルデュミオには、怒りも落胆もない。
隣のリーゼは憤慨していたが。
「僕はエルデュミオ・イルケーアだ。町の宿に泊まっている。報告に来るのは、そいつらから取れるだけの情報を取ってからでいい」
「!」
エルデュミオが名乗った瞬間、その場にいた者たちの反応は二つに割れた。
一つはより上位者の介入に対して怯え、慄きを表した者。もう一方は期待のこもった熱い眼差し。
顔と表情を確認して、エルデュミオは踵を返す。
「あーっ、ちょっと、待つです、待つです!」
そしてなぜか、互いにもう用のないはずのリーゼが追って来た。
自らの歩調を崩さないまま進むエルデュミオに、小走りになりつつリーゼは横に並んで話しかけてくる。
「宿って、どこの宿です? というか、領主館に泊まるのではないですか?」
「宿の名前は知らない。この町で僕に最も相応しい宿だ」
「一番お高いところってことですね」
確認の声に呆れが含まっている気がするが、無視をした。
「軽く視察を済ませてから領主館に向かうつもりだったが、名乗った以上あまり意味はないな」
とはいえ、イルケーア家の名前に泥を塗った者がいるかもしれない領主館に泊まるよりは、町の方が安全だという気もしている。
「わたしは『穂の波』って宿に泊まってるです。人手が必要になったら声を掛けるといいですよ」
なぜか手伝いを申し出てくるリーゼの言葉で、つい一時間前に抱いた疑問が甦った。
待たされている間に苛立ちの方が勝り、聞くのを忘れていたのだ。
「うわっと!?」
唐突に足を止めたエルデュミオの行動について行けず、リーゼは数歩先に行ってから同じく立ち止まる。
「そう言えばお前、さっきルティアを呼び捨てにしていたな」
「しましたですよ。ルティアとわたしは仲間ですからね。許可はもらってます」
仲間になどなりようもない身分差があるはずなのだが――ルティアとフェリシスの関係を思い出し、とりあえず流すことにした。
「どこで知り合った」
「知り合いなのは否定しないです?」
「僕とルティアは疎遠だ。なのにお前はルティアが僕に接触してきたことを知っていた」
ほんの十数日前まで、そんな素振りなど皆無だったのだ。当てずっぽうで言える内容ではない。
「雑談だったのに。意外と記憶力いいですね」
「僕が優れているのは確かだが、それは普通の範疇だろう」
意外と、というところやリーゼが褒めてきた部分が低次元なのが気に食わないが、不快ではない。
「やっぱり自分で言っちゃうですね」
「事実を恥じる理由はない」
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