第5話

「――?」


 エルデュミオの美貌を否定する者はいないだろうが、少女も充分、整った容姿をしていた。傾向としては可愛らしい。

 年の頃は十六、七。赤に近い茶色の髪と、理知的な光を宿す黒の瞳。肩より少し長めのセミロングで、後ろ髪の一部だけを伸ばした変則的な髪形をしている。


 身軽さを重視した旅装束の気配から見て、冒険者だろう。

 彼女を見たエルデュミオが戸惑いを覚えたのは、少女がとても可愛かったから――などではもちろんない。


(会ったことがある……?)


 少女に既視感を覚えたのだ。

 だが、そんなはずはない。エルデュミオに冒険者の知り合いなどいないからだ。というよりも、貴族以外に知り合いなどほぼいない。例外はフェリシスぐらいだ。


「どうしたです?」

「……いや。何でもない」


 思ったままを口にしては、まるで歌劇の安い口説き文句のようである。冗談ではない。

 少女はエルデュミオの側を素通りして、木の根元――エルデュミオが放った呪紋の爆心地にいた、なます切りのごろつきの側に屈み込んだ。

 そして液体の入った瓶を取り出し、ごろつきに振りかける。呻き声が聞こえるようになると、容赦なく口に突っ込んだ。


「そんな奴まで助けるのか。酔狂だな」


 少女が使ったのはヒールポーションと呼ばれる回復薬だ。生産者が限られるため、価格は決して安くない。

 エルデュミオからすれば誰か一人でも生き残っていれば充分だったので、死んでも構わないと思って放置していた。


「わたしも実はどうでもいい派ですが、ここで死なれると都合が悪いですね。……どうでもいいですが、助けられる相手を見殺しにするのも寝覚めが悪いですし」


 助け方の雑さから見ても、彼女が慈愛に満ちた聖人ではないことは察せられる。それでも事実助けたのだから、エルデュミオの評価は変わらないが。

 エルデュミオの意識が自分たちから離れて少女に移ったのを理解したか、遠くにいるごろつきの一部がそろそろと逃げ出そうと動き出した。


(往生際の悪い)


 風の呪紋を放ちすぐ脇を通過させると、悲鳴を上げて動きを止める。


「だが丁度いい。町に戻って警備兵を連れてこい。こいつらを運ぶ人手がいる」

「会ったばかりの人間に、やっぱりためらいなく命令するですね……」

「僕にはその権限がある。それとも貴族に対する市民や冒険者の協力義務に基づく法を、今ここで説明してやらねばならない無知か?」


 ストラフォード国内において、市民や冒険者は有事の際、王国貴族の要請を拒否できない。それは法律で明確に定められている事実である。


「お兄さんが貴族である証拠がないですねえ。それとも、自分のことは世界中の誰もが知っているとでも思っているです?」


 とんだ自意識過剰だ、と少女が唇に描いた弧が告げている。

 ピクリ、とエルデュミオのこめかみに青筋が浮かぶ。立場上ほとんどの人間が下手に出る生活をしてきているせいで、彼の沸点は非常に低い。

 だが少女の言は正論だ。高圧的に出て身分で黙らせることは可能だろうが、それでは彼女の挑発に負けた気がした。


「……エルデュミオ・イルケーアだ。伯爵位にある。印章を見せてもいいが、お前に判別できるのか?」

「あ、大丈夫。知ってますですから。三年前の建国記念式典、見に行ったですからね。一度見たら忘れないですね、エルデュミオ様の容姿は」


 けろりとしてそんなことを言い放つ。


「わたしが言いたかったのは、そうやって強権を振りかざすから貴族は嫌われるんだぞってことです」

「嫌う?」


 思ってもみなかった単語が出てきて、エルデュミオはやや間の抜けた声を上げた。


「え。嫌がられないと思っていたです?」

「僕は貴族だぞ。下位の者が命令を聞くのは当然だ。嫌うだのという発想が出てくる方がおかしい」

「いや、おかしいのはお前の意識ですよ!?」

「誰がお前だ、無礼者がッ!」


 平民相手に貴族の礼儀など期待していないが、それでも限度はある。怒鳴り付けたエルデュミオに、少女は僅かに眉を下げた。


「あ、うん。他人に『お前』はないですね。つい。今のはエルデュミオ様が正しいです。失礼しました」

「……分かればいい。だが次は罰する。同じ過ちを犯す無能を躾けるには、それ以外にないからな」

「あれ。処断しないです?」


 意外そうに聞かれ、エルデュミオは息をつく。

 処断されるかもしれないと考えた割には、逃げようともせず、態度も太々しいままだが。


(愚か……というより、僕から逃げ切る自信があるんだろうな)


 それはそれで忌々しい。


「相手が平民なら、気分で首を刎ねたりするかと思ってたですが」

「馬鹿か。人間の命はそんなに安くないぞ」

「……えぇー?」


 思いっきり、不審そうな声を出された。まるでエルデュミオがそんなことを言い出すのはおかしい、と言わんばかりだ。


「国民の数、能力は国力に直結する問題だ。だが人間一人はそんなに簡単に増えないし、一人前の働きをするようになるまでには十五年以上が掛かる。技術者を得ようと思えばさらに時間と金が掛かる。気分ごときで斬ってたまるか」

「す、すっごい無機質な見方なのが気になるですが、とりあえず労働力としてある程度大事に考えてるのは理解したです……」


 あくまでも『労働力として』だが。


(……無機質)


 何気なく挟まれた感想が、エルデュミオの記憶を刺激する。

 そう、労働力で、数だ。けれど。


(平民でも泣くし、笑う)


 当然だろう。己の意思を持つものが感情を示すのは。

 だが本来、そんなことはエルデュミオには関わりない。下位存在の感情など、支配者たる自分がいちいち気にかけるようなものではないはずだからだ。


(だが……)


 現在の『記憶』となった映像を意識的に思い起こし、眉を寄せる。


(もし現実にあの場に居合わせたら、僕は同じように罪悪感を覚えるのか?)


 分からない。なぜならエルデュミオには、平民と関わった経験がほとんどなかったからだ。


「じゃあ、警備兵を呼んでくるですが……。本当にいいです? さっき、代官に仕えている人物から指示されてるって言ってたですよ?」

「構わない」


 勿論、醜聞は認めない。

 だからたとえ真実がどうだろうと、エルデュミオは隠蔽することを決めていた。無関係で名前を使われただけならば、それに越したことはないが。

 迷わず断言したエルデュミオに、少女は再び目を瞬いて、にこりと笑う。

 ……誤解をした気配がある。察しはしたが、修正してやるほどエルデュミオは優しくないので、黙ったまま流す。


「意外です。ルティアが貴方と接触するって言ったときはびっくりしたですし止めたですが。関係が近い分、わたしたちよりも貴方のことを知っていた、ということですね」

「お前、今何だと」


 思いもよらない名前が出てきて、エルデュミオは驚いた。

 城からほとんど出ない傀儡姫だ。エルデュミオ以上に知人などいるわけがない。ましてや平民の冒険者と知り合うなど、あり得ないはずだ。


「わたしはリーゼ・ファーユというです」

「名乗っていいなどと言っていない」

「でも知りたかったですね?」

「……」


 認めるのは腹立たしかったので、エルデュミオは舌打ちを一つしただけだった。何となく、リーゼの言動は素直にうなずくのに抵抗を感じさせる。


「では、また後程。そいつらの見張りをよろしくです」


 言ってエルデュミオに小さく手を振ると、リーゼは一気に丘を駆け下りていく。想像以上に速い。


「僕が見張りだと? つくづく、不愉快な物言いを選んでくれるな」


 しかし実際に見張りをしない訳にもいかない。

 だからだろう。余計に腹立たしさを感じるのは。

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