第7話

「時と場合によっては反感買うですよ?」

「美しく優秀で高貴な僕が、今更他人の妬みや反感を怖れると思うのか?」


 鼻で笑ったエルデュミオに、リーゼは深くうなずいた。


「気にする人は、貴方みたいにならないですねえ」


 もし周囲の目を怖れていたら、そのときは――


(きっと僕も、傀儡姫のようになっていただろう)


 リーゼも同じように思ったのだろう。しかしその名を口にすることはなかった。軽く眉を寄せ、唇が引き結ばれる。

 ルティアのその呼称を、どうやらリーゼは不快に感じているようだった。そこからはルティアへの好意が感じ取れる。


「話を逸らしていないで、質問に応えろ。ルティアとどこで知り合った」

「まあ、フェリシス経由だと言っておきます」

「……」


 納得できなくはない。というより、ルティアと接触がある者でリーゼの仲介になれるのは、フェリシスぐらいしかいないだろう。

 だが釈然としない。今度はなぜフェリシスがリーゼをルティアに紹介したのかという疑問が生じる。


(生活範囲が違いすぎる。王宮で暮らすだけのルティアに、冒険者を紹介したって仕方ないだろう)


 そして今の今まで、ルティアに親しい友人が市井に入るなどという話が流れたこともない。


「疑っているです? でもどうせここじゃあ調べられないんだから、帰ってからルティアやフェリシスに聞くといいですよ」


 エルデュミオの疑いを、リーゼは正しく読み取った。

 彼女の常識からしても、本来自分が王女と知り合うことなどないと考えているからだ。

 だが現実として起こっていることを否定しない。


「そうだな。僕としたことが、愚かなことを聞いた」

「その嫌味ったらしい喋り方も、どうにかならないです?」

「別に僕は嫌味など言っていない。僕に相応しい物言いをしているだけだ」


 下等な平民に相応の態度で接するのは自然なこと。エルデュミオにとってそれは、簡単な計算式の解のように当然のものだった。


「本当に、もう! どう育ったら貴方みたいな人間が出来上がるですかね!」

「身分と立場と努力だ」

「間違った方向の努力は、今すぐ止めるべきですね!」

「ああ、うるさい。黙れ平民」


 どうあってもリーゼは自分を否定したいらしい、と判断する。彼女の相手をする必要がエルデュミオにはなくなった。

 努力を否定されて喜ぶ人間はまずいない。エルデュミオとて例外ではなかった。


(平民ごときに何が分かる)


 立場に相応しくあるために、父や母から幼少期より厳しく躾られてきた。

 エルデュミオが貴族らしくない行いをしたり、習った教養を身に付けていないと分かれば、即座に鞭打たれたものだ。それこそ子どもの頃は、背に傷や痣がない日などないほどに。

 しかしそれも、父母が子どもを愛し、貴族の誇りを大切にしていたからこそ行った躾。恨みはない。


「……これから、どうするです?」

「一介の冒険者には関係がない。身の程を弁えて、町の周辺の魔物退治にでも従事しているんだな」


 エルデュミオの方からはもうリーゼへの用はないので、彼女の存在はないものとして歩き出す。

 リーゼは思いきり不服そうな顔をしていたが、振り向かなかったエルデュミオがそれを知る術はない。


(早々に片付けて、イルケーア家にまで類が及ばないようにしなくては)


 彼にとって最重要なのは、自身の権威に傷がつかないようにすること。

 文字通り、身に沁み込んだ常識だ。




 エルデュミオが足を向けたのは、『豊穣の調べ』という看板のかかった宿だった。

 もしスカーレットが選んだのが別の宿であった場合、彼は叱責されることになる。

 明確な指示のない状態なので無茶を強いられていると言えるが、さすがというべきか、スカーレットはエルデュミオの趣味を読み間違えなかった。

 店内に足を踏み入れた瞬間、名乗るまでもなく受付はエルデュミオに気付き、支配人まで出てきて恭しく部屋まで案内されることになる。


「お帰りなさいませ、エルデュミオ様。町はいかがでしたか?」


 通された部屋の中にいたスカーレットは、丁寧に腰を折ってエルデュミオを出迎えた。


「問題はあるようだ。世の中は無能が多くて困る」

「それは致し方なきことかと。いつの時代でも、才のある方はごく限られた人数しか現れません。だからこそ貴重なのです」

「……そうだな」


 スカーレットの言葉に対して返答が遅れたのは、ふと頭に過ったことがあるからだ。

 無能、普通、優秀――。それらの境界は曖昧だ。時代における教養の普及率で決まると言っていい。

 それこそ数百年前に遡れば、文字が読める人間は優秀、などという時代もあった。


(平民の多くや下位貴族は、僕より劣る。与えられる教育が違うのだから、当然だと言えるだろう)


 だからこそ、エルデュミオは優秀であることを求められた。貴族は下位存在よりも有能であることが当たり前だからだ。


(もし平民や下位貴族にも同じ教養が行き渡っていたら。僕が父上や母上を納得させるのは、さらに難しかったのだろうな)


 それは恐ろしい想像だった。今はもう跡形もない傷跡が疼く気さえする。


(だとするなら、僕は周りに無能が多いことを喜ぶべきなのか? いや……それは違うか。そもそもそれでは、国の弱体化を招く未来が確定する)


 考え方自体も、あまりに無様。

 努力して積み上げてきた矜持があるからこそ、エルデュミオは周りを引き下げる考えを即座に捨てた。


(歴史はすでに、ここまで進んだ。後退するような真似では意味はない)


 周囲と比べるより、歴史的に真新しい地に足跡を残してこそ、真に優秀と言えるだろう。


「ですが、今日はもうお疲れでしょう。ひとまず休息を取るのがよろしいかと」

「そのつもりだ。ああ、警備兵を名乗る輩が僕を訊ねてきたら、通すように伝えておけ」


 弁明で仲間を売る輩でも、事実尋問の結果を報告に来る相手でも会う価値がある。


「承知いたしました」


 スカーレットが承諾の言葉を紡ぐのにうなずいて、エルデュミオは部屋に備え付けのバスルームへと向かう。

 旅の最中は仕方のないことではあるが、満足に入浴できていないのがずっと気になっていた。


(さて。どのような形で終息させるか。ごろつきどもの中から黒幕役を選んで、無関係を貫くのが定石か)


 当然、その黒幕役は後程事故死が病死をするわけだが。

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