紅い瞳のお姫様


 彼女はいつも何も言わない。暗闇の中にただ立って僕を見つめている。

 そんな彼女を僕も見つめている。そして、いつも僕は恋に落ちるのだ。

 暗闇のせいか彼女の顔をはっきりと見ることはできない。しかしそれでも、彼女が途方もなく美人だと断言できた。

 中でも印象的なのは薔薇のように紅い瞳。星すら見えない真闇を北極星のように照らしている。

 僕は少女に声を掛けようと口を開く。だけど、夢のせいなのか言葉を発することができなかった。


 ならばと、僕は瞳に手を伸ばす。


 しかし光に手が届くことはなかった。光源は天上に輝く星。近くで光っているように見えながら、その距離は何光年と離れていた。


 いつか、あの瞳に手を届かせる。


 僕がそう決意すると、夢は遠ざかり現実へと回帰していた。



 坂を登り始めて数分、僕の周りには同じ制服を着た学生が、同じ学校を目指し歩いている。

 しかし名門校の制服は実に素晴らしい。シックな紺色のブレザーだが、通気性抜群で掻いた汗をすぐに乾かしてくれる。暑いのは変わらないが張り付いて気持ち悪いよりは全然いい。

 それよりも気になるのは、道行く学友から発せられる熱い視線の方だ。あまりジロジロと見られるのはいい気分がしない。どうせこの中にお姫様はいないだろうし。



「でっか、ホントに学校か?」

 校舎が見えてきてまず思ったのは、明治時代にタイムスリップしたかな? だった。なにせ目の前にある建物は、貴族の屋敷もかくやな立派な洋館なのだ。やっぱり名門校は金の掛け方が違う。

 事前の通達で職員室に来るよう言われていた僕は、負けじとなんとか校内の中に入っていく。

 校舎の中は荘厳な内装とは打って変わって、白を基調に落ち着いた雰囲気に仕立て上げられていた。その様子は、ネットで見た大きな図書館を思い出させる。この雰囲気なら、圧倒されずに動くことができそう。

 と思っていたのだが、その間も道行く学友からの視線を集めるせいで、結局落ち着くことができなかった。コレは、周りが慣れてくれるまでは落ち着かないだろうな。

 視線をなんとかくぐり抜け職員室に辿り着くと、待ってましたとばかりに若い女教師が近づいてきた。その反応から、この人が自分のクラスの担任らしいと悟る。

「あなたがアーサー君ね。私は担任の茜真希。これからよろしくね」

 年齢は20代半ばといった様子だが、落ち着きある所作と余裕のある声色が大人びた雰囲気を演出していた。僕に年上趣味はないので対象外だが、きっと多くの男子生徒が虜にされていることだろう。

「よろしくお願いします」

 こちらも丁寧に返答して、説明もそぞろに教室に向かう。

 そうして真希担任と一緒にエレベーターに乗り込み、北校舎3階にある2-13と書かれた部屋までやってきた。いよいよ迫るクラスメイトとのご対面に、僕は残念にも緊張していた。上手くクラスに馴染めるだろうか? そんな不安が頭をもたげる。

 真希担任が扉を開けて教室に入ると、ざわついた教室が瞬時に静まり返る。そして、登校時に感じた視線が三度みたび降り注いだ。この異物を見るような視線は堪える。アウェイで戦うボクサーの気分だ。

「それでは、ホームルームを始めます! さあさあみんなご注目! 彼こそがウチのクラスメイトになるアーサー・ウイリアムズくんだ! さあ自己紹介、いってみよう!」

 真希担任は異様なハイテンションで僕に自己紹介を促す。けど、一番肝心な名前を既に言っちゃってませんか?

 それでも僕は、改めて自分の口から言おうと、用意していた自己紹介を音読し始めた。

「ええっと……既に真希担任が言ってしまいましたが、僕はアーサー・ウィリアムズと言います。名前や容姿からも分かる通り日本人ではありません。両親がイギリス人で小さい頃に日本に来ました。中途半端な時期で僅かな期間になりますが、よろしくお願いします」

 僕は頭を下げて自己紹介を終わらせる。教室は寸分の間を置いた後、徐々に拍手が鳴り始め、その拍手は教室中に広がっていった。

 なんとか自己紹介は成功。僕は軽い安堵をしながら教室を見渡した。これから卒業までを共にするクラスメイトの顔を見るためだ。

 クラスメイトの総評としては、中々美男美女揃いという所だ。一般的に、誰と付き合っても自慢して回れるレベルと言える。

 だが残念ながら、その中に紅い瞳の少女は見当たらなかった。まあこのクラスには居ないだけだろう。これから探していけばいい。

 僕はクラスメイトの祝福の拍手を受けながらも、既に興味はこのクラスから離れていた。



 ホームルームが終了すると、僕はクラスメイトに取り囲まれていた。転校生あるある質問攻めである。

 囲んできたクラスメイトは女子の割合が多く、僕の容姿に惹かれてなのは明らかだった。もちろん男子生徒がいないわけではない。しかしその多くは、我先にと集まった女子生徒の壁の向こう側だった。

 あと、教室の外にも野次馬がけっこう来ているみたいだ。ここは一貫校だから、転校生が珍しいのだろう。

 僕は女子に取り囲まれて質問責めを受ける。中身は「趣味は?」とか「好きな食べ物は?」といったよくある質問から、「その金髪と蒼眼は自前?」といった個性に関する質問、そして、その中でも特に多かったのが「好みのタイプは?」とか「過去に付き合ったことは?」などの恋愛に関する質問だった。

 僕はそういった質問に対して「特にないな」や「これも特に。基本なんでも食べる」とか「どっちも自前」に「黙秘する」と丁寧に答えていった。

 正直、女性陣の勢いに対して僕はうんざりしていた。僕は女子と話すのはあまり得意じゃない。できることなら、お姫様以外の女子とは話したくないぐらいだ。

「ところで質問なんだけど、今日休んでる人はどんな人?」

 なので僕は、話を逸らそうと今日の欠席者について尋ねる。

「それって風間くんと武藤さんのこと? もしかして武藤さんのこと知ってる感じ?」

 しかしクラスメイトの女子は、なぜか探るような口調で質問してきた。

「そういう訳じゃないけど……有名なのかな? その武藤さんって?」

 僕の質問に、クラスメイトは少し躊躇いを見せつつも

「うん、そうだよ。学校一の美人って評判」

 と答えてくれた。マジ? もしかしてワンチャンある?

 僕はそれを聞いてうんざりしていた所から回復した。風間くんは男のため選外だが、武藤さんは本命の可能性はもの凄く高い!

「ちなみに、武藤さんって瞳が紅かったりする?」

「するする。やっぱり知ってんじゃん」


 キタァ!


 お姫様確定演出にテンションは最高潮にぶち上がる。ヤバッ、感極まって泣きそう。

「ど、どうして武藤さんは休みを?」

 僕は上がりまくったテンションをなんとか抑えて、クラスメイトに質問する。

「病欠だって先生が言ってたよ? 聞いてなかったの?」

 しかし期待を込めた質問は、スルリと抜けるように答えられた。



 進学校と言うからどんなモノかと身構えていたのだが、授業は基本(と言ってもセンター試験レベルだが)をみっちりやる方針のようで、ローレンスからスパルタでしごかれた僕には大して脅威にならなかった。

 体育もあったがそっちも問題なし。サッカーの授業でバリバリに活躍してやった。田舎で娯楽が少なかったから、外で遊ぶ機会が多かったのが役立ったみたいだ。

 僕は今日一日で瞬く間に有名になっていく。お昼休みの時間には、廊下が埋まるレベルで見物客ができていた。動物園のパンダか僕は。

 僕は見物客に対して微笑んだり、サービスをすることはしない。僕のこの身は武藤さんの物。お姫様以外に僕が愛想よく振る舞うことはないのだ。



 そして時は進んで放課後。クラスメイトは同好会に向けて移動を開始していた。

 クラスメイトの女子たちはなんとか僕を同好会に入れようと、あの手この手で勧誘をしてくる。

 しかし僕はそれらを華麗にスルー。静かな教室で一休みしていた。

「さっさと帰るか。学校案内は武藤さんにしてもらえばいいし」

 僕はそう決めると教室を出る。お姫様が来るのは早くても明日、なのでそれまでは長居する理由がない。

 僕がそこまで決めて教室を出ると

「よっ、転校生」

 ちょうど出た先で男子生徒が声を掛けてきた。まさか、待ち構えてたのか?

「もしよければ俺が案内しようか?」

 男子生徒は軽妙な口調で話しかけてくる。

「お前、一日中女子に囲まれて大変だっただろ? 気分転換にランデブーと洒落込もうぜ」

「僕にそっちの気はないんだが」

 僕は男子生徒のお誘いをばっさり切り捨てる。

「バーカ、言葉の綾だよ。真面目くんかお前?」

 男子生徒は動じない。まあ、本気とは思ってなかったが。

「真面目かどうかと言われたら、間違いなく真面目だな」

「んで、シャレは抜きにしてだ。この学校は広いぜ? 案内役がいるに越したことはないぞ」

「逆に聞きたい。なんでそんなに案内したいんだ?」

 ぶっちゃけそっちにメリットがない気がするが?

「別に暇だからだけど。転校生に優しくするのに理由いるか?」

 僕は何も返答できなかった。ついさっきまで女子たちの打算に付き合わされてたから、変に偏屈になっていたみたいだ。



「それにしても、なんでこんな時期に転校してきたんだ?」

 男子生徒は世間話のように切り出す。そういえば誰も言及してこなかったな。デリケートな話題だと思って避けてくれてたのか?

「遺言なんだ、僕を育ててくれた人の。自分が死んだらこの学校に転校しろと書いてあった」

「へえ、不思議な人だな。なんか意図でもあんのか?」

「おおよそ検討はついてるんだが、確証が得られない感じだ。ただ良い意図であることは間違いない」

「信頼してんだな」

「まあな。育ての親で師匠だから」

 僕は身の上話をしながら、男子生徒とブラブラと見て回っていた。

 所感としては、ガイドを雇ったのは正解だった。そうじゃないと、すべてを見て回るのは不可能だったと思われる。それほどまでにこの学校の敷居は広く、そして入り組んでいた。

 けど、そんな敷地をガイドはすんなり案内してくれる。さらに、その場所であった出来事とか慣習も教えてくれるオマケ付きだ。

「前はどんな学校にいたんだ?」

「しがない田舎の公立校。ここと比べるのすら失礼なぐらいのな。唯一同じと言えるのは、顔ぶれが変わらないぐらいだ」

「田舎の学校と一貫校にそんな共通点があるのか。まあ、だからなんだって話だけど」

「まったくだ」

 他愛もないことを話しているのに、女子の接待をするよりも楽しい。やっぱり普通に話すなら同性の方が楽だ。余計な気を回さなくて済む。

「それにしても、この学校は本当に広いな。一人だと迷子になるだろコレ」

「実際そうだぜ? オレだって今は案内できてるけど、最初は迷ったし」

「やっぱりか。長居は力なりってことだな」

「んなことわざはねえよ」

 クラスメイトは遠慮のないツッコミをくれた。



 クラスメイトとの学校珍道中も大方終了し、辺りは日も落ちる時間帯になっていた。

 同好会は6時に強制終了らしく、ほとんどの生徒が帰り支度を始めていた。

 僕の方はというと、彼の適切な案内のおかげで、足繁く通うだろう場所を把握することができていた。

「ありがとう。君のおかげで色々と知ることができた」

「いいよ。こっちも暇潰せたからな。そういや、まだ名前教えてなかったな」

 そう言えばそうだ。いい奴だし、話も合いそうだから是非とも友達になりたい。

「俺の名前は田中真人まひと。よろしくな!」

「僕の名前はアーサー。こちらこそよろしく」

「それは知ってる。同じクラスだからな。じゃなかったから声なんてかけねぇよ」

「それもそうか」

 なんてやり取りをしながら、僕たちは握手を交わした。



 真人と学校で別れた後、僕は指示に従い家路についていた。空の濃淡は徐々に濃くなり、青から藍に色を変え始めている。

「ん?」

 ふと、流れ星が流れるのが見えた気がした。まだ明るい時間帯に見れるとは、何かいいことあるかも。

「それにしても」

 一人暮らしとはなんと大変なことか。アレもコレも全部やるのは中々にしんどい。まずは今日の晩ごはんを調達しなくては。

 僕は帰る道すがらに近くのデパートに寄り、今日食べる惣菜を身繕う。


 コーポ佐々木


 鉄筋コンクリートで作られた、築2年の2階建てアパート。家賃は7万で家具家電付き。ローレンスの遺品整理中に発見した部屋であり、どうやら僕のために賃貸契約をしていたようだった。

「ただいま」

 階段を上がり自分の部屋に入る。もちろん中から返事はない。

 シンとした部屋の玄関に荷物を置き、とりあえず休憩とソファーに腰掛けスマホを手に取った。

 それから、どのくらい時間が経ったかわからない。


 は、いきなりやってきた。


 ガシャン


 スマホでネットサーフィンをしていた僕に、破裂音と衝撃が届く。

「えっ⁉ なにごと⁉」

 音は隣の部屋からだった。具体的には寝室からである。

「一体何が……」

 前の家に住んでいれば、ローレンスが生きていれば、彼が出向いてなんとかしてくれただろう。しかし、今の僕は一人暮らし。あらゆることを一人でこなさなくてはならない。

 僕はおそるおそる音のした寝室の扉に近づく。

 そして、ゆっくりと扉を開けた。


 扉を開けた先には、男が立っていた。


 全身を黒いコートで覆い、精悍な顔つきにハリのある漆喰の髪。ここまではただの人間のように見える。しかし、その肌は死人を思わせるほど白く、異常に発達した八重歯が顎に達する所まで伸びていた。

 その姿を見れば多くの人はこう思うに違いない。


「吸血鬼」


 だと。

 僕の心臓は激しく鼓動を刻んでいた。驚きは熱のように引いていき、冷たい恐怖が身体を支配する。

「おや、先客がいたようだ」

 吸血鬼は憐れむような微笑みを浮かべる。先客じゃない、家主だとツッコミを入れたくなるが我慢した。

「アンタ、何者だ?」

「見たまんまだ。血を飲み、光を恐れて生きる吸血鬼。貴殿も名前ぐらい知っているだろう?」

 僕の問いかけに、吸血鬼は堂々と自らの素性を明かす。

「バカな……吸血鬼なんてこの世にいるはずが」

「真実は小説よりも奇である。君の知っている世界の常識は、未発な文明における偏見だ。吸血鬼も悪魔も、神や天使とてこの世には存在している。屍人なぞ、世界に組み込まれた仕様の1つに過ぎない」

 くっそ、育ての親があんなんだったから否定できない!

「それはわかった。お前が吸血鬼であることは認めよう。じゃあなぜここに来た? 何が狙いだ?」

「襲われたのだ。神の遣いたる天使にな」

「それはお気の毒に……って信じられるか!」

 僕はとうとう、我慢できずにツッコミを入れる。吸血鬼だの天使だのファンタジーがすぎるわ!

「まあ好きに思えばいい。どちらにしろ、姿を見られた以上は死んでもらわねばならない」

 吸血鬼は、死人のように白い腕をマントから出すと、爪を鋭く伸ばしてこちらに差し向けた。その鋭さにゾッとする。

「なぜだ⁉ 僕はアンタのことを話すつもりはない。僕が黙っていれば済む話だろう!」

「それが私のやり方だ。君のことは本当に済まないと思うよ。恨むなら、この運命を用意した神を恨むんだな」


 説得の余地なしか……


 僕は吸血鬼の頑なさに説得を諦める。さて、これからどうしよう?

 ただ、はっきりと分かるのは大人しく殺されるのはゴメンということだ。せっかく明日には武藤さんに会えるのに、ここで死んでたまるものか。


 ならやることは1つ。奴を撃退する!


 僕は屍人を倒すために、ローレンスから剣術の手解きを受けてきたのだ。それが吸血鬼に通用するか分からないが、無抵抗に殺されるよりはいい。

 だが問題は得物だ。得物がなくては剣技を振るうことすらできない。


(木刀があるじゃないか。アレを使って闘うんだ)


 その時、僕の脳裏に誰かの声が聞こえてきた。なんだ、これ? なぜ修学旅行で買った木刀の存在を知ってる?


(疑問を浮かべるのは後だよ。武藤さんに会えずに死んでもいいのかい?)


 くっ、確かにそれは嫌だ。誰かさんの言うとおり、今はそれを使うしかない。

 けど僕の記憶では、あれは寝室の下のダンボールの中に入っていたはず──いやちょっと待て。吸血鬼がベットを破壊したせいで、エロ本と一緒に飛び出してるじゃないか!

 しかも僕と吸血鬼の丁度真ん中、走りながら取りに行ける距離に。

 なんてご都合主義な展開だ。創作だってもっと自然な場所に設置するぞ。


(あと5秒後に爪が君を狙って伸びる。上手く躱そう)


 いきなり無茶振りしてくるな! なんて、言ってる場合じゃない!

 僕はすぐに臨戦態勢に入る。


 3、2、1──


 吸血鬼が鋭い爪をさらに伸ばしてこちらを攻撃する。ホントに来た! 僕は僅かに頬を掠めながらも、なんとか躱すことに成功する。

 そのまま地面を蹴って木刀を手に取り、勢いのままに襲いかかる。

 そしてボキっという鈍い音とともに吸血鬼の顎を跳ね上げた。感触は岩に当たったかのように硬い。

 そのあまりの硬さに、木刀が耐えられずに2つに折れてしまっていた。

 攻撃を受けた吸血鬼は、軽く身体をのけ反らせピクリともしない。


 効いたか!


 僕は期待を胸に吸血鬼の様子を見る。

「ふう、いい打撃だった。然気さりげを纏っていたならば傷の1つも付けられただろう」

 しかし僕の期待は届かず、吸血鬼は冷静に打突への感想を述べてきた。


 くっそ!


 間違いなく今のは僕の全力の一撃だった。普通の人間なら死ぬことだって有り得るはずの殺意を込めた。なのにこいつには、傷一つ付けられない程のものでしかないのか。


(───────と唱えなさい)


 再び誰かさんからの声が聞こえる。今度はなんだ⁉ その呪文に一体なんの意味が!


(唱えれば分かるよ)


 誰かさんは自信満々だ。くっそ、至近距離には爪を構える黒い影、こっちは手ぶらで身一つ。このまま手をこまねいていれば間違いなく殺される。やってみるしかない!

 僕は意を決し、叫んだ。



「ブラット・パージ‼」



 その言葉を叫んだ瞬間、僕を中心に強い光が発せられた。

 強い光に目が眩む。しかし、目を閉じたことで力の奔流を感じることができた。

 僕から発した光は熱として全身を巡っていき、折れた木刀へと集約していく。

 そうして光の集約が収まった頃、僕はおそるおそる目を開いた。それから握っていた木刀を見ると、折れた先がビームサーベルのように伸びていた。

 それだけじゃない。目を開いていてもよく分かる。力が中から中から溢れ出てきていた。

「なるほど、君も罠だったか」

 黒い影から声が漏れる。どういう意味で言ったのか分からないけど、彼にとって都合が悪いことは分かった。

 僕は吸血鬼を見据え、折れていた木刀を正眼に構える。吸血鬼は警戒心を顕にしてこちらを見ていた。

「忌まわしい光だ。その光が我々を苦しめる」

 吸血鬼は憎々しいと言わんばかりに僕を睨んでいた。


 これならいけるか?


 僕はその様子に期待を高めるも、それでも簡単に倒せる相手じゃないと気を引き締める。

 精神を研ぎ澄まし、相手の一挙一動に目を配り、身体のバネを縮ませるように気を充実させていく。


 ここだ!


 そして、縮ませたバネを一気に伸ばして地を滑空した。だが僕の身体は想定を遥かに超えて、一瞬で奴の目の前に到達する。


 まずい、止まれな──


 僕は吸血鬼に強烈な突撃を食らわせ、自分共々壁を突き破って外に投げ出された。

 そして、思考する猶予もなく地面に叩きつけられる。


 痛! くない……


 地面に叩きつけられたにも関わらず身体に痛みがなかった。想定を超えた速度と同じく、強度も想定以上に向上しているのか。

 僕は同じく地面に叩きつけられた吸血鬼を探す。

 奴も地面に叩きつけられていたが、特にダメージを受けた様子はなかった。すぐに立ち上がってコートについた汚れを払っている。

「どうやら然気さりげを持っているようだが、まだ使いこなせてはいないらしいな」

 吸血鬼は冷静に僕の力量を分析する。しかし、僕の中には安心感が生まれ始めていた。


 これなら奴を退けられる!


 その可能性を確かに感じたからだ。

 問題は力をどう使うか、なのだが僕にはなぜか使いこなせる自信があった。

 僕は木刀を構え直し、今度はさっきよりも力を抑えて跳び込んだ。先程の踏み込みに比べ遥かに正確な力加減は、一瞬で移動したかと感じる速さで奴に近づいた。

 頭蓋を砕くように木刀を振り下ろす。吸血鬼は木刀を片手で掴んで受け止めた。吸血鬼にはさっきまでと違い、受け止めながらも大きく身体を沈ませている。


 受け止めたということは、当たれば確実にダメージがあるということ。


 僕は自らの一撃に、確かな手応えを感じた。

「くっ……!」

 対して攻撃を防いだ吸血鬼の手からは、焼きつける音がしていた。

 たまらず木刀を僕ごと振り回して吹き飛ばす。だが僕は上手に受け身を取って、すぐさま大地を蹴った。

 反撃の袈裟斬りが吸血鬼を掠める。掠めたということは、奴は僕の動きに対応しきれてないということ。


 つまり、僕の方が速い!


「たぁ!」

 僕は太刀の回転速度を上げていく。まず一太刀、入れて奴の反応を見る!

 僕の太刀の速度は際限なく高まっていく。それでいて振り回される感じでもない。むしろこの力を使うことで、初めて全力を出せている感じだ。

 吸血鬼は、次第にジリ貧になり顔を歪ませていく。

「はぁ!」


 そして遂に、吸血鬼の顔面を僕の太刀が捉えた。


 吸血鬼は身体を大きく反らせて後退あとずさる。手応えありだ!

 僕の楽観的期待は客観的確信に変わる。ソレを表すように、奴の顔面からは紫色の血が垂れていた。

 より速く、より正確に奴の身体を砕く。吸血鬼の髪は打突によって乱れ、白い肌は青白く鬱血し、切れた皮膚からは青紫の血が滲んでいた。


 あと少し、あと少しだ! 次の一撃で仕留める!


 僕はトドメの一撃を放とうと、大きく剣を振りかざした。

 しかし、僕のトドメの一撃がまさに当たるその瞬間、突然ガクリと膝が落ちる。


 なん……だ、これ?


 途端に身体がまったく言うことを聞かなくなった。全身がずぶ濡れになったように重い。

「はしゃぎすぎだ!」

 そこに奴の膝蹴りが腹部にヒットした。その膝蹴りにより身体はくの字に折れる。そして、下がった顔にさらに強烈な蹴りを喰らわされた。





 あれ、ここ……は?


 気がつくと壁に寄りかかって座っていた。どうやら吹き飛ばされて壁に激突したらしい。

 身体が思うように動かない。身体が高熱を帯びてジンジンとしている。頭からはドロっと赤いものが垂れ、視界を澱ませていた。

「悪あがきは、ここまでだ!」

 僕はなんとか顔を上げる。そこには、吸血鬼が眉間に皺を寄せ、歯をむき出しにして近づいてきていた。


 やばい。意識が……


 先の攻撃により意識が朦朧とする。そのせいで満足に目が開けられない。


 まずい、ねむ……


 意識が引っ張られるように、僕は微睡みの闇へと落ちていった。





 僕は暗闇の中に立っている。痛みはない。まさか、今ので死んでしまったのか?

 なんてことを考えていると、不意に2つの紅い光が見えた。

 光は僕を見下ろしながら悲しく輝く。そしてその輝きの向こうに、悲しそうな2つの双眸が見えた。紅い瞳が何かを訴えてくる。


 どうして、そんな顔をするんだい?


…………。


 僕が死ぬことを悲しんでくれるのかい?


…………。


 君は僕に死んでほしくない?


…………。


 瞳の主は何も答えない。

 だが、目は口ほどに物を言っていた。



 僕の意識はゆっくりと回復していく。

 そうだ。僕はまだあの輝きを掴んでいない。あの輝きを掴む前に諦めるなど、あってはならないことだ。


 瞳は言っていた。『死んではダメ』と。


 それはつまり、お姫様からの願い。

 白馬の王子様として、その願いを無下にすることはできない!



 僕の意識は完全に覚醒する。紅い瞳はもうどこにも見えない。

「まだ抗うのか。もう諦めろ」

 吸血鬼は真面目な口調で諭してくる。その言葉から、奴が本心から言っていることが分かった。

 僕の身体は先の反動かまともに動かない。さらに、わずか2発でボロボロにされてしまった。

 次に攻撃を食らえば、絶命する可能性を否定できない。

「分かってる。だからもう、次の攻撃を受けることはしない」

「大した自信だ。覚えておこう。君の名を教えてくれ」

「アーサー・ウイリアムズ。白馬の王子様だ!」

 奴に木刀を向けて宣言する。愛する人を守り、愛する人の願いを叶える。この在り方が僕の生き方だ!

 木刀の光は随分と淡くなっていた。点滅する電灯のように今にも消えてしまいそうだ。

 なら、それがなくなる前に倒すだけのことだ。

「行くぞ。死ぬ覚悟はできたか?」

 僕は吸血鬼に問う。まあ、例えできていなかろうが構わず行くが。

「来い。われが地獄へ送ってやろう」 

 僕はあらゆる力を木刀へと込めていく。特にその中でも、武藤さんへの想いを込めた。必ず、コイツを退けて会いに行くからね。

 吸血鬼はその場から動かない。しかし、爪をこれみよがしに見せて牽制してくる。飛び込めば、コレで餌食にすると言わんばかりだ。

 想いちからを最大限込めた僕は、呼吸を整えて踏み込む態勢に入る。身体中に気を充実させて神経を研ぎ澄ましていく。


 そこから一瞬、間を置いて。


 僕は全力で大地を踏みつけた。奴が気づくより早く懐に入り、奴より早く一太刀を撃つ!

 しかし、吸血鬼は目ざとくも僕の動きを察知していた。カウンターを合わせるように爪を心臓へと伸ばす。このまま行けば、間違いなく直撃してしまうだろう。


 なら、それすら超えていく!


 僕は素早く光をしまい、深く沈み混んで吸血鬼の爪を躱した。予想外の動きに吸血鬼は虚を突かれる。


 取った!


 そして、隙だらけの吸血鬼へ木刀を振り上げた。

 バキッと木刀は鈍い音を立てながら弧を描く。それに伴って吸血鬼は宙を舞うように浮かび、地面に倒れ伏した。

「……窮鼠猫を噛むとはこのことか」

 地面に倒れた状態のまま、吸血鬼は苦しそうな声で呻く。

「まったく散々な1日だ。我が何をしたというのかね」

「アンタは僕を殺そうとせずに去ればよかったんだ。あと、この家の修理費置いてけ」

 僕は風穴が2つも空いた我が家を指差す。いやホントに、これからどうすりゃいいんだか。

「君も盛大に突き破っていただろう? 我にのみ責任を問うのはお門違いだ。まあ、住む家はなんとかなるだろう。きっとお導きがあるはずだ」

 吸血鬼はそう言うとマントを翼のように広げた。いや、マントは文字通り翼になった。翼でありマントでもあるのか。器用な奴だ。

 吸血鬼は翼を羽ばたかせ地面から離れていく。本来なら追撃の1つもするところだが、僕の方も余力がない。アイツは不運だなんだと言っていたが、ここで死なずに済むんだから十分に幸運だろう。

 吸血鬼はフラフラと蛇行しながら飛び去っていった。僕はそれを見届けて前のめリに倒れる。もう、身体は微塵も動きそうになかった。

 しばらく地面の残暑を舐めていると、遠くから足音が聞こえてきた。どうやら誰かが助けにきてくれたらしい。流石に頬が香ばしくなってきてたから、せめて向きを変えてほしい所だ。


「アーサー、生きてる⁉」


 僕の身体に少女の心配する声が響き渡る。透き通るような声が、癒しの波動のようでとても心地いい。


「しっかりして、アーサー!」


 それにしても、なぜ僕の名前を知ってるのだろう?


「アーサー!」


 少女は尚も名前を呼び続ける。

 その声に応えようと、顔をなんとか上げて閉じていた目をうっすらと開いた。ぼんやりとした意識のせいで、少女の顔をはっきりと視認することができない。


 でも、それでもはっきりと分かった。


 目の前には紅い瞳の輝きがあった。僕を心配してか、遠い宇宙から降りてきてくれたらしい。ありがたい。明日まで悶々とせずに済むよ。

 僕は紅い瞳を掴もうと手を伸ばす。あと少し、あと少しと、手繰れば届きそうなほどに僕の手は近づいていた。


 けど僅かに届かない。あと一伸び足りないようだ。


 ならばと他の部分で補う。僕は腕だけでなく身体も起こしてその手を伸ばした。ここで妥協するわけにはいかない。ここで届かなかったら死んでも死にきれないぞ!


「手……を」


 僕は最後の力を振り絞って少女に呼びかける。

 すると、まるで願いを受け取るように、確かな感触が僕の手に届けられた。


「届いた……」


 僕はその感触に、確かな達成感を感じながら意識を失った。

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