王妃候補令嬢は殿下よりも薬草がお好き?

椎名はるな

第1話 氷の侯爵令嬢

王妃候補令嬢は殿下よりも薬草がお好き?



 ――ソルヴェーヌ王国。

 大陸の端に位置する、自然に恵まれた小さな国。

 かつてこの国は、五つの妖精が統べる領土に分かれていた。


 火、水、風、土、草。

 五つの属性をもつ妖精たちは、領土をめぐり常に争い合っていた。

 妖精たちが争いを続けた結果、災いが起きた。

 大きな災いだった。どの妖精も太刀打ちできず、五つの国は疲弊していった。

 それを止めようと、人間の乙女が立ち上がった。

 乙女は妖精たちを説得し、災いを治めるために奔走したのだ。

 妖精たちは、乙女の清く美しい魂に心をうたれ、彼女に力を授けたのであった。

 かくして、五つの妖精の力を授かった乙女は、災いを治めるに至る。

 そして、妖精たちは乙女に従い、彼女を女王として一つの国を作った。

 それが、後のソルヴェーヌ王国である。


                   【妖精女王の国、ソルヴェーヌ建国伝説】



 ソルヴェーヌ王国の王都から少し西に外れた都市、アーレンティア。通称、【学問都市】。

 そこはかつて、叡智に優れた水の妖精が治めていたことから、学問に秀でた者が集う場所であった。その中央には、学問を修めるものが一度は憧れる学び舎があった。

王侯貴族の子弟が通う、由緒正しき学び舎【エシュニット学院】。

今日はその入学式典の日であった。


 太陽を透かした金の髪が、風に靡いた。それを手でいなした彼女の薄紫の瞳が、重厚な造りの講堂を見上げた。

(ああ、待ちに待ったこの日が、遂に来たわ……!)

 何時になく浮ついた気持ちになって、シャーロット・フェルーエン侯爵令嬢は、入学式典会場である講堂へと歩いていく。

(おい、あれってフェルーエン侯爵の……)

(あの方がアルバート殿下の……)

 ひそひそと囁く声。周囲の視線。それが一身に注がれて、浮ついた気持ちが一気に引っ込んだ。

 噂話や、興味本位の視線には慣れている。それに、これから起こることを思えば、これくらいの小さな噂話など可愛いものだった。

そんな風にやり過ごしていたシャーロットだったが、

(あれが【氷の令嬢】か……)

 という声が耳に入ってきて、つい、眉がピクリと動いた。幼い頃につけられた不名誉な綽名。それを未だに、そして、この学院でも言いふらしている者がいるようだ。


 ……そもそも、【氷の令嬢】という渾名を、シャーロットは気に入っていなかった。


 ずっと昔、保養地に遊びに行った際のことだ。

同じく遊びに来ていた男爵の一人息子であるアーネストが、遊びに誘っても付き合わないシャーロットを「氷みたいに冷たい女だ!」といったことが発端だった。

別に氷のように冷たい訳じゃない。単に、アーネストが提示した遊びよりも、別のモノに興味があるだけだったのだ。

 別のモノ――【薬草】に。


 妖精の寵愛を受けたこの国では、通常の植物から分化し、特殊な進化を遂げた植物たちが自生している。その中で、特に薬として活用できるものを【薬草】と呼んでいるのだ。

 ……シャーロットから言わせれば、この世にある全ての植物は【薬草】としての可能性を秘めているものなのだが。


 薬草に詳しい母と、その母の良き理解者である父。

 幼いころからそんな二人に囲まれ、育ってきた。薬草は身近なものであり、尚且つ、シャーロットの知的好奇心を掻き立てるものであった。幼いシャーロットは、薬草の調査にのめり込み、普通の子供が嗜む遊びには見向きもしなかったのだった。

 それに加えて、幼き日の彼女は人見知りの気があった。故に、保養地に来て初めて知り合ったアーネストに対し、そっけない態度をとってしまったのである。

 とはいえ、【氷の令嬢】なんていう渾名を言いふらすのはどうかと思う。【草の令嬢】と呼んでくれた方がよっぽどいいのに。


 そんな風に思考を誤魔化していると、注がれていた視線が散るのを感じた。

(アンネローゼ様だ……!)

(ああ、なんて麗しんだ……)

 羨望の眼差しを纏いながら、式典会場前の通路に姿を見せたのは、オルレティア辺境伯の令嬢であるアンネローゼだった。

 アンネローゼはシャーロットの姿を見つけると、取り巻きの令嬢たちを引き連れてこちらにやってきた。式典前に大事にならなければいいけれど。そんな風に思うシャーロットを他所に、アンネローゼは

「ごきげんよう、シャーロット様。貴女様と学び舎を共にすることができること、光栄に思いますわ」

 にっこりと微笑んだ。

 シャーロットはアンネローゼの美貌に、つい見惚れてしまう。

 アンネローゼといえば、社交界の華として名高い美貌の持ち主だ。シャーロットも負けず劣らず美しい女性ではあるが、美しさの方向が違うのだ。花に例えるならば、アンネローゼは薔薇で、シャーロットは百合といった所だろうか。

 ぼうっとしそうになっていたシャーロットは、気を取り直すと

「ごきげんよう、アンネローゼ様。私も、あなたのように素敵な方と共に学業に勤しめることを嬉しく思います。共に研鑽を積み、皆の良き手本となりましょうね」

 と微笑み返した。

 侯爵家令嬢と辺境伯令嬢の挨拶。その優雅にして穏やかな光景とは裏腹に、周囲の人々の空気が張り詰めるのを、シャーロットは肌で感じ取っていた。


 古くから王家に仕えて来たフェルーエン侯爵家の令嬢であるシャーロット。

近年、隣国の賊を退け、益々力をつけてきたオルレティア辺境伯の愛娘、アンネローゼ。

 この二人は、王位継承権・第一位のアルバートの婚約者候補……いわば、未来の王妃候補であるのだ。

 保守的なフェルーエン侯爵家と、革新的なオルレティア辺境伯家。どちらの令嬢が王妃となるかで、国の未来が変わるとも言われている。

 そんな二人の令嬢が、同じ年に、同じ学院に入学すること。これが運命でも何でもなく、仕組まれたことであることを、シャーロットは知っている。

 何故なら――


「やあ、シャーロット。アンネローゼ嬢。二人が一緒にいるなんて、珍しいね」

 暢気な言葉が二人の令嬢にかけられた瞬間、その場にいた全員に緊張が走る。シャーロットとアンネローゼは、すぐさま跪いて、頭を垂れた。

「アルバート殿下におかれましては、本日も……」

 シャーロットがそう挨拶を述べようとしたのを、【アルバート殿下】と呼ばれた青年は慌てて制止した。

「そういう堅苦しいのは無しだよ、シャーロット。アンネローゼ嬢、君もだ」

「で、ですが……」

 恐縮しきりのアンネローゼに、アルバートは苦笑して、

「いいんだ。ここでは皆、同学問の徒として、対等にあるべきだからね」

 と口にした。

 にこやかに、屈託なく。心の底からそう言えてしまうのが、アルバート・エニュア・ソルヴェーヌ王太子という人であった。

 淡いブロンドの髪に、爽やかな湖のような瞳。彫像のようにくっきりとした目鼻立ちは、年頃の令嬢たちを虜にして止まない。容貌と仕草の上品さ。王子としての品格を備えた上に、馬上槍の名手としても彼は名を馳せていた。

 けれど、彼がそれを鼻にかけることは一度たりともなかった。

 王太子として、国をいずれ背負う者として。それに相応しい人物となるための努力を、彼は惜しまなかった。

 そういった所が、民衆たちから彼が強く支持される理由なのであった。

 シャーロットは、彼のたゆまぬ努力を知っている。婚約者候補として、昔からアルバートと交流を重ねてきた彼女は、平然と笑って見せる彼の偉大さを思わぬことはなかった。

「シャーロット? どうかしたかい?」

「い、いえ、……何でもありませんわ」

 不意に名前を呼ばれて、シャーロットはハッと我に返った。昔に思いを馳せるのも良いけれど、余り迂闊なことはしないようにしなくては。

気を引き締め直したシャーロットと、未だ緊張した様子のアンネローゼに、

「そうだ、二人に頼みたいことが……」

 アルバートがそんなことを言い出した時、隣にいた男子生徒がそれを遮った。

 シャーロットはしばらくして、彼がアルバートの右腕であるオーウェン・ルクスメリアであることを察した。

 オーウェンは、厳格なことで知られているルクスメリア騎士団長の次男で、アルバートの幼馴染である。

 勿論、シャーロットも彼と面識があるのだが、年齢を重ねるにつれて、彼とは疎遠になってしまっていた。社交界にも最低限しか顔を出さないので、彼とこうして会うのは久方ぶりであった。


 数年前に会った頃よりも背丈は随分と伸びて、体格もしっかりとしていた。細くしなやかであった手指も、剣の鍛錬を何度も積んだためか、騎士らしく逞しいものへと変貌を遂げているのが見て取れる。

 すっかり成長した姿のオーウェンに、シャーロットは声をかけようかと迷った。だが、何やら急ぎの要件がある様子なので、彼女は挨拶を目配せのみに留めることにした。

「…………アルバート、代表挨拶の件で呼ばれていただろう」

「ああ、もうそんな時間か。じゃあ、二人とも。この話はまた後で!」

 オーウェンにせっつかれながら、アルバートはその場を急ぎ去っていった。

 突然の王太子登場に呆気に取られていた人々の間には、先程までの妙な緊迫感はなかった。

「いけない、式典が始まってしまうわ……」

 そうこうしている間に、式典の開始時間が迫っていたらしい。シャーロットのその呟きで、会場にまだ入っていなかった人々も慌て始めた。

 シャーロットは立ち尽くしているアンネローゼの方を向き直ると、

「私たちも行きましょう、アンネローゼ様」

 と言って、歩き始めた。アンネローゼは何か言いたそうに口をもごもごとさせていたが、やがてシャーロットの後を追って講堂へと入っていった。



 式典用に飾りつけられた講堂の中へと進みながら、シャーロットは物思いに耽る。

 王太子と婚約者候補の令嬢二人。この三人が同じ年に、同じ学院に入ること。これは偶然でも運命でも何でもなく、仕組まれたことだ。

 シャーロットとアンネローゼ。どちらが王妃として相応しいかを、この学院での生活を通してアルバートに見極めさせようとしているのだろう。

透けて見える思惑を感じ取れぬほど、シャーロットは愚かではなかった。

(お父様も、意地悪をなさるわ)

 シャーロットはふと、そんなことを思った。

 この学院には、【薬草】の研究をしに来たのだ。間違っても、アルバートの婚約者候補の選定のために来た訳ではない。彼に好かれるために、何かをしようという気持ちは毛頭なかった。

 それを分かっていながら、こうして彼と同じ年に学院へ入るように手配をしたのだから、困ったものである。

 二人の令嬢を競わせ、王太子の心を射止めさせようなど、無意味なことだった。ただ、誰かの心を痛めつける結果を生むだけに過ぎないのだ。

 憂鬱さがぶり返してきたシャーロットは、物憂げに目を伏せた。

(私はそもそも――王妃にはのですから)

 声にも出せない呟きが、華やかな式典の会場とは不釣り合いに、胸の中で濁って、落ちた。


                                  一話 了

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