第6話 ボーディング危機一髪
ついたばかりで着替えもしていないのに、速やかにって。でも、きっとそれが正解なのよね。
「隊長、準備が整い次第出ますわ。手配をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「イエス、マイレイディ!」
「まあ、ナキがそう言うならそれで良いわ。マルセイユで船をチャーターするから、早馬を出しておきましょう。それと負傷者は置いていくわ。傭兵を募集しないと数が足りないわね」
「ヴァランス軍から志願者を募ることを許す。アーティファよ、任せるぞ」
「畏まりました!」
急に次ぐ急でもう振り返ってる時間も無いわね。でもこの先の方針を決めるのは私自身よ。悔しいし、寂しいけれども、これが今生の別れよね。
「お父さま、愛していますわ」
「ああ私もだナキ。壮健でな」
あまりに短く淡白な言葉のやり取り、それに反して目は多くを語っているような気がしてならない。激動の時代はもうすぐ傍にまで迫っていた。
◇
ヴァランスから二十人の部隊を編制して二日後には伯都を出たわ。重傷を負ったあの職業傭兵の方、傷が悪化して意識を失う前にお話をしたら「私に仕えさせてほしいって」そんな人物でもないのに言って貰えて嬉しかった。そして失われてしまうのがとても悲しかった。
陸路はこれといった問題も無く、順調に進んだわ。マルセイユ港ではアンデバラ子爵旗を掲げた中型帆船が停泊していたのよね。お金を払うからって直ぐに用意することが出来かというと結構難しいはずなんだけれども。私とユーナ、隊長で中型帆船に近づくと、船長が降りて来たわ。
「これはアンデバラ子爵の御用船だ、あんたらはなんだ? 乗船先を探してるんなら別をあたりな」
汐で肌が焼けた五十代行くか行かないかくらいの船長が眉を寄せているわね。面識がないってことよね。ユーナが進み出て、両肘を互いに抱えるようにして立ったわ。
「私がそのアンデバラ子爵よ」
船長は目を見開いて首を伸ばすと、今度は姿勢を正した。
「ナヴァルホス号の船長、ガリーザです!」
「良い名前じゃない、私が座乗するのよ、ガリーザも今から提督を名乗りなさい」
「アイアイ!」
わぁ凄い、田舎伯爵家からじゃわからない力があるのよね。ユーナの実家、デンベルク家は有数の大財閥だからかしら。
「提督の知己で直ぐにでも同道出来そうな船は居るかしら」
「近海でしょうか? 行き先次第でして」
「行き先はコルス島、速やかに向かうわ」
片道で二百海里くらい、決して遠出じゃないわ。比較の問題でしかないけれどね。
「そこなら最悪リグリア海を廻って数時間伸びても小型船でも行けますな。揉め事込みでしょうか?」
「陸路では襲撃を受けたわ。海上では提督が頼りよ。予算に糸目はつけないわ、出来るかしら?」
「提督の船出でいきなりケチが付くようなことはさせやせんぜ。仲間内に声掛けをしてきますんで、船内でお休みを。副長に案内をさせますんでどうぞ」
平身低頭、海の荒くれものがこうも下手に出るなんて、まったくどうしてるのかしらね。なんて顔をしていたら一言。
「提督、ナキ・アイゼンシア伯爵令嬢よ。いい、私よりもナキを優先して」
「え、雇い主よりもですかい?」
「そうよ。この娘に何かあったら私はフォン=デンベルクへの敵対行為として、全力で報復するわ」
「わ、わかりやした! アイゼンシア嬢、よろしくお願いします」
「あの、はい、宜しくお願いします」
ぺこりとお辞儀をする。乗船するときにはルシファーがエスコートしてくれたわ。隊長は護衛隊に指示をだしているわね。
「そこの黒服はもしかして?」
提督が目を細めてじっと見詰める。
「クァトロのサイードです。ナキ・アイゼンシアはクァトロの保護を受ける存在になるでしょう、何卒よしなに」
「海の上はこちらに任せておけ、必ずコルスへ送り届ける」
「ありがとうございます提督」
サイードさんって有名人? そういうわけじゃないのよね、あの軍服が目立つってことよね。船は初めてよ、船酔いで絶望するってきいたことがあるわ。揺れる足元、今はまだ係留中だからそこまでじゃないらしいけれど、出港したらと思うと怖いわね。
陽も暮れて、朝を迎える。何もないと時間はあっという間に流れたわ。提督とユーナが話をしてる、同道する船が見つかったって感じ。錨が上げられて、マルセイユから船が離れていくわ。
「ナキ、小型のガレーが三艘同行するわ。少ないけれど単独よりはマシね」
「それは良かったです。コルスまでは二日くらいですか?」
「小型ガレーでは沿岸を離れられないわ、コートダジュール沖をジェノヴァ経由でエルバ島からコルス入りが航路よ。四日はかかるわね」
地中海線に沿っての航行になるわけですね、それなら遭難もしないでしょうし安全優先。だからあんなに物資の積み込みをしていたんですか。かなりの樽や木箱を積み込んでいたので、出航が昼間近くになったのよね。
「全てを任せてしまってごめんなさい」
「ナキがそんな顔をすることはないわ。世界があなたの素晴らしさに気づいた時に今が理解出来るようになるはずよ」
世界って……ユーナは私には過ぎた友達よ。ギシっと船が大きく揺れた、その直後足がもつれて倒れそうになる。するとルシファーが抱き留めてくれた。
「ナキ様、甲板は揺れが大きいので船室へ入られては?」
「ありがとうルシファー、そうしますね」
なんだかすごく久しぶりに触れてくれた気がする。子供の頃と違って大きくたくましくなったのね。少し嬉しいです。
「部屋に居ると良いわ、ダグラス卿がついていてあげて。私は提督ともう少し話があるから、サイード副官もこっちに」
って、ユーナの最後の笑いってなんなのよ! え、これってルシファーと二人切りってこと? あ、うーん、それは、子供の頃以来ね。緊張しちゃう。
◇
警戒すること四日、意外や意外何も起こらずにエルバ島を左袖にしてコルスへ向かっている途中よ。まあ何も起こらなくていいんだけどね。船の揺れにも慣れてきて、甲板に出て外を眺めてる。何もない景色はつまらないこともあったけど、遠くに陸地が見えていると結構飽きないものよ。
航路が設定されている場所は暗礁も何もないから、そこは船員の腕前ですいすいと進めるみたい。あと数時間でコルス島に到着、亡命が目的だけれどもちゃんと受け入れてもらえるかしら?
「十時の方向から船団接近! かなりの速度!」
見張り台の上、マストの天辺に登ってる人が大声を出して鐘を鳴らしているわ。平和裏に行かないのは本当だったのね。ユーナがやって来て目を合わせる。
「これが現実よ」
「そうみたいね。少しでも何も起こらず終わりそうだって思っていた自分がはずかしいわ」
「次へ生かせる貴重な経験を積めたと喜べばいいのよ」
艦橋から降りて来た提督がこっちに向かって来るわ。慌てる様子はない、そこは威厳を保ってというものよね。
「子爵、敵の襲撃です。危険なので船室へどうぞ」
「十中八九、ドフィーネのヴィエンヌ伯爵の手よ。コルスに上陸さえしてしまえばきっと逃げていくわ」
「そうでしたか。ですがあの足ではコルスに到着する前に捕捉されますので、交戦が予測されます」
遠くにポツンと見えてるだけで彼我の速度なんて全然よ。でも提督がそういうならそうなのよねきっと。
「アーティファ隊長」
「お呼びでしょうかレイディ!」
重い鎧を外して、軽装で剣だけを腰に提げている。陸上で暮らしていた人がどこまで動けるかわからないけれど。
「襲撃が予測されます、隊長も船の防衛に参加していただけるでしょうか」
「畏まりました。水兵の邪魔をしないように、甲板中央で防衛に参加したく存じます。よろしいでしょうか提督」
「協力に感謝する。大きく揺れる恐れがある、転落しないように命綱をつけるという選択肢もあるが」
中型船が波で揺れる程度で転落はしないわよね。どういう意味かしら?
「ラムアタックの可能性でしょうか。接舷切り込みがあるならば、縄で縛られて戦うのは得策とは言えません。乗り移られるまではそこらにしがみついているようにします」
「ふむ、それならば問題ないだろう。もし転落しても助けには戻れない、最優先は子爵と伯爵令嬢のコルス上陸、構わないな?」
「無論です!」
話が付いたみたいでそれぞれが配置につくわ。私達はというと、船室へと入ることになる。ルシファーが部屋の外で警備をしてくれるみたい。それから二時間くらいで外が騒がしくなって、物凄い衝撃があったわ。
「キャ!」
ベッドの端に掴まって揺れが収まるのを待った。
「衝角で喰いつかれたようね。今頃上は白兵戦よ」
「みなさん、無事でいられますように――」
喚声が響き渡ってそれが近づいてきた。船室へは前後から階段が繋がっていて、後方は水兵が守っているはずね。もし漏らしてもルシファーが居るわ。あ、何か聞こえる。
「この先だ、見付けたら殺せ!」
ついユーナと目を合わせてしまう。そういう方向に方針をかえたってことよね。
「不埒者どもが! ここは誰も通さん!」
「やつは一人だけだ、全員で掛かれ!」
ルシファー! お願い、マリベリトフター様、どうかルシファーにご加護を! 助けられてばかりで何もしてあげられていない、せめて祈りが届いて!
「さあこい! 騎士はその背に庇う者が居る限り、決して退きはしない!」
「な、なんだこいつは! うわぁ!」
扉の先で鈍い音が続けて聞こえてくる、何が起きているかわからないけれど、無事でいてルシファー!
どのくらいだったかしら、壁にぶつかる音や、金属が打ち合わされる音、叫びや怒声が入り混じって、そのうち静かになった。扉に寄り添い恐る恐る「ルシファー?」尋ねる。もし返事が無かったどうしようと、鼓動が速くなる。
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