第24話 不条理を食らう顎
『我が猛威をもって、その罪を打ち払う!』
『やるぞ、フォーレックス!!』
二人の心が、肉体が一つになる。その瞬間、鋼鉄の竜は、暴風となった。
踏みつけのあまりの強さに、大地が爆発したように飛び散る。その土塊の一欠けらが落下に移るよりも早く、次の踏み込みが大地を爆裂させる。はたから見れば、機獣の機動などではなく、地面に敷いた爆導索が連続して地雷を爆発させたように見えただろう。
フォーレックスの本来の力を引き出した超高速の突進。その背にあって、しかしアドラーの体はいつになく安定していた。多少の加速度は感じる、だが本来人体には致命的な衝撃をスーツが鞍と連動して受け流し、彼の肉体を保護しているのだ。勿論限界はあるが、この程度でライダーを負傷させるようなものをかつての人類は作らない。
ほかにも視界に大きな変化があった。今まではフォーレックスの高機動に目がついていかず、トンネル効果のように引き伸ばされぐちゃぐちゃになっていた視界が、いつになくクリアだ。どれだけフォーレックスが激しく動いても、今見ているのは眼前に固定されたバイザーの映像。残像等は発生するはずもない。さらに脳への負担を考えてか、視界は高輝度の白黒映像に切り替えられている。今までことあるごとに見失っていた視界情報を、今は見失う事なく把握できる。
その視界の中で、今まさにホーンズを抑え込みその喉元に牙を突き立てようとする獣の姿。その虚ろな瞳に、大顎を開き食いつかんとするフォーレックスの姿が一瞬映りこむ。
交差は一瞬。
獲物を仕留めそこね、大地を抉りながら急制動をかけるフォーレックス。その反対側に、すたりと降り立つ黒い獣。
相手もさるもの。直撃を受ける寸前で反応し、その俊敏さで一撃を回避してみせた。だが完全とはいかない。その前肢には、引き裂かれたような小さな傷。フォーレックスが、これでは物足りないと相手をかすめた牙をガチガチと鳴らす。
『仕留めそこないましたか。少し慣らしが足りませんでしたかね?』
『あ、アドラー君……かたじけない……』
『大丈夫か? 悪いが動けるならエクターの所まで下がってくれ。構ってる余裕がない』
『了解いたしました』
よろよろと身を起こしたホーンズが、足早にその場を去る。その姿が森へ消えた瞬間が、戦いの再開を告げるのろしになった。
グア、と再び突進するフォーレックス。それを、獣はその俊足によって翻弄しようとする。右へ左へ、小刻みに、あるいは大きく、森の木々すら足場にして縦横無尽に飛び回る。
さきほどまでは対応できなかったその動き。だが今は。
『見えているぞ……!』
スーツの視界には、捉えた敵の輪郭が光線で強調され、その移動ベクトルの向きまで矢印で補強されている。黒い獣がどれだけ早く動こうとも、それは物理法則を超越したものではない。こんどは、敵の動きが逆にこちらの手の内の中だ。
幻惑するような動きを無視し、フォーレックスは小細工に付き合わずダイナミックに突進でぶっちぎり、即座に巨大な尾を翻してベクトル制御、方向転換して再び強襲。迂遠だが力強い大外からの強襲を繰り返し、紙一重の猛襲を浴びせかける。その一撃でも受ければ木端微塵間違いなしの攻撃を、これでもかと連打する。まるで四方から撃ち返される砲弾の弾だ。かつて荒野で交戦した蜘蛛の魔獣程度なら、なすすべもなく粉砕できる鋼の猛攻。
だが、辛うじてとはいえそれすらも獣は回避した。
何故か。スーツによってライダーを気にせず力を発揮できるようになったとはいえ、フォーレックスは好調にはほど遠いコンディションだ。それが、獣との差を埋められない決定的なものとなってきている。その事に、アドラーも気付く。
『どうする? どうすればいい?』
ならば、ここでフォーレックスを支援するのがライダーたるアドラーの仕事のはずだ。だが銃は手元になく、彼にできる事は無いに等しい。それでも飾り物のように鞍に座っているつもりはなくて、アドラーは高速で流れる視界の中、きっかけを探して視線をさまよわせた。
そんな彼の視界に、小柄な人影が僅かに映った。
「アドラーさん!」
宙を舞う、一抱えほどの鉄塊。スーツが即座にそれを認証、フォーレックスにも情報を送信。彼女は言葉もなく突撃のコースを変更、スーツと合わせてアドラーの動きをアシストしてくれるのに合わせてつかみ取る。高速戦闘のさなか、目を合わせる事は不可能だったが、銃を投げてよこしたエクターの幼げな笑顔が目に焼き付く。
もたついたのは一瞬。すぐに慣れた手つきで生身のように獣を構える。バイザーは、かわらず獣の動きを補足している。
『捉えた……!』
射撃。高速戦闘中のフォーレックスの鞍の上という不安定な状態にかかわらず、射撃は的確に獣を襲った。
それすらも獣は回避する。が、そこまでだ。空中での無理な姿勢制御で、先ほどまでの鋭角の機動はどこへやら。ふわり、と獣は空中で失速した。
両足を地から離し、宙へと浮いた状態の獣。バイザーは獣がこの状態からあらゆる方向へ方向転換できない事を示している。
これを待っていた。
フォーレックスに合図するまでもない。彼女はアドラーの捉えた機を感じ取り、すでに行動に移していた。尾を大きく地面に叩きつけ、今まで以上に急な制動を掛ける。開かれた鉤爪を大地を握りくだかんばかりに食い込ませて、全身をしならせて向きを変える。あまりに急激な制動はスーツをもってしてもアドラーの体に甚大な負担を押し付けるが、彼はそれに歯をくいしばって耐える。
そして、限界まで引き伸ばされたゴムが戻るように、はじける。
これまで一番の、最高速度の突進。裂けよといわんばかりに開かれた大顎が、今度こそ決定的に獣を捉える。
勝った。一瞬よぎったその核心を、獣の眼光が否定する。
獣は諦めてなどいなかった。今まさに自分を加えこもうとする死そのもの顎に向けて、空中で身をよじる。
剥きだされるのは、高周波ブレードの刃。文字通り口が裂けんばかりに、可動域の限界を超えて開かれたその刃が、突進するフォーレックスの顎に逆に突き立てられんとする。
回避は不可能。不可避の一撃は、逆説的に己にとっても同義だ。もはや、互いに意を決する他はない。
フォーレックスの超合金製の顎が勝つか。
黒い獣の高周波ブレードの牙が勝つか。
『勝負……!』
駄目押しと言わんばかりにアクセルを握りこむ。一段と加速する視界の中、瞬く間に距離はゼロとなり。
甲高い、破砕音。
交差し、遠ざかる両者。獣はそのまま地に落ち、フォーレックスは減速しながら通り過ぎる。
砂煙を巻き上げながら制動するフォーレックス。その頭部、顔の右半分に、切り裂かれたような深い裂傷。辛うじてアイセンサーを避けてこそいるが、大きな損傷といって間違いはない。これまでどのような重量物と衝突しても傷一つつかなかったフォーレックスの、それは明確な戦傷だった。
対して、黒い獣は。
どさりと地におち、よろよろと身を起こす黒い獣。そのまま吹き飛ばされなかったのを見るに、旨い事フォーレックスの突進から身をそらし、一撃を加えたようにみえるが、その姿にはあるものが欠けていた。
犬歯のように備わった一対の高周波ブレード。その片方が、半ばから折れて消失している。
その切っ先は、どこか。
ゴリ、とフォーレックスが何かを噛み砕いた。バリバリと音を立てて本物の獣がするように咀嚼して砕いて、ぺっと吐き出す。森の草地に吐き出される、いくつかの破片。それは原型をとどめないほど破壊されていたが、獣の高周波ブレードと同じ色合いをしていた。
それを、今度は脚で思いきり踏みつける。
”つぎはお前だ”。無言の意思表示。
それを受けて、獣は。
『アイツ! 逃げる気か!』
踵を返す姿を見て、アドラーが気炎を上げる。
合理的な判断だ。フォーレックスは健在なのに対し、自身の武装は半減。スーツを着用したライダーが乗る事でくびきから放たれたフォーレックスを制圧するのはもはや不可能と判断し、これ以上の損害を抑える為に撤退する。合理的な判断である。ここで、死を賭してせめてフォーレックスだけでも倒す、という名誉じみた考えは、非合理的な考えだ。
そして合理的なだけだ。撤退した処で、次はない。アルテミスの森は二度と同じミスをしないし、片牙になり下がった手負いの獣、ホーンズでも抑え込む事は不可能ではない。無数の魔獣による陽動作戦ができなければ、獣一人でアルテミスの森に再侵攻するのは不可能だ。ただ合理的なだけで、最終的な目標を考慮していない、賢しいだけの逃走だ。
だとしても。
『みすみす逃がすとでも……!』
アクセル全開でフォーレックスがあとを追う。
だが、やはり敵は賢しかった。
電磁投射砲で開墾された平地ではなく、いまだ木々の残る森の中を逃走する。体の小さい獣は巧みに木々の間を潜り抜けるが、フォーレックスはそうもいかない。単純な速度では勝っていても、小回りで負けている彼女は、少しずつ獣に引き離されていく。足を止めるために自動小銃で狙撃を試みるが、逃走に専念する獣はアドラーの執拗な射撃をするりするりと回避しながら全力疾走を緩めない。さらに悪いことに、補充せずに使い続けたマガジンがここにきて底をついた。撃鉄がガチン、と虚しい音を立てる。
『くっそ、このままだと逃げ切られるぞ! フォーレックス、もっとこうなんとかならないか!?』
『無理言わないでください、現状だせる最大速度です』
『やばい、このままだと森の外に出る……!』
現実は無常だ。バイザーの表示も、このままでは獣に追いつけない事を示している。
白い光が、視界をよぎった。
一つ、二つ。それは瞬く間に数え切れぬほどの数となり、森の木々の間をすり抜けて流れていく。まるで、白い砂嵐のように。
その無数の得体のしれない物体を前に、獣の脚が鈍る。当然の判断として、不確定要素を回避しようとして、無駄な動きがよぎる。
だがそれをアドラーは知っている。
アルテミスの森の、情報収集用ドローン。害なんてないそれを相手に、アクセルを全力で握りこむ。
そしてフォーレックスは、そもそも考慮していなかった。獣の追撃が今現在彼女に与えられた最優先任務であり、不合理受容性AIはそのためなら些細な被害は”些事”と切って捨てる。そもそも突然現れたドローンは彼女の体躯では回避不能であり、もしそれがあの体積で彼女を破壊しうるならもうどうしようもなく、また理性的に考えてそれほどの危険物を森の中に突然この戦況でばらまく理由が見当たらない。故に無害だろうが有害だろうが彼女が行うべきは全力での追撃、それ以外に他ならない。ましてや、己のライダーがアクセルを踏み込むのなら、なおの事。
合理的であるが故に足をゆるめた獣。
既知であるが故に、不合理を受容するが故に、脚を速めたフォーレックス。
その両者の差は、致命的だった。
『レックス―――』
ついに、死の顎が獣を捉える。背後からがっつりと咥えこまれては、唯一の武装である高周波ブレードには何もできない。逃走ではなく、抗戦を選んでいれば最後の足掻きができたかもしれないが、そんなイフにはもう何の力もない。
執行猶予はほんの刹那。獣の装甲は何の抵抗もできず、頑強なフレームが一瞬、フォーレックスの顎に耐える。その刹那にも満たない時間に、獣が何を見たのか。
『―――バイト!!』
それはもう、永遠にわからない。
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