第21話 死の旋風



『目的地に到着しました。自動操縦を停止します』


「……ここか!」


 自動で走っていたフォーレックスが停止する。その鞍の上で管制で揺れるからだを抑え込みながら、アドラーは素早く自動小銃を構えた。


 やってきたのは、どこか見覚えのある森の小道。アルテミスのAIコアへ向かう途中で通った道だろうか。日が落ちた今は印象も変わり、いまいち核心が持てない。


 それでもここが目的地である事は一目瞭然だった。整理された植林の、一定間隔で立ち並ぶ木々の柱。その向こうに、百鬼夜行さながらに列をなす魔獣の群れの姿があった。さきほどアドラー達を襲った魔獣の群れなど、ごく一部でしかない事がこれを見ればわかる。


「すげえ数だ……ここが最終防衛ラインの要所なのは間違いないのか?」


『はい。状況から考えて間違いないはずです。ここを突破されれば、もはや止めようがないです』


「それなのにこんなに敵がいるのか……!」


 状況の深刻さにアドラーが戦慄する。魔獣の数はそれほどだった。これならば、小さな村どころか、大きな街だって滅ぼして有り余る。ここに来る前に寄ったあの街だって、防壁の上から踏み潰してしまえるだろう。もう、アルテミスには組織的な抵抗力が残されていないのだろうか。


「フォーレックス、お前とアルテミスの確執を理解した上でいう、彼らは人類社会に必要なんだ! 力を貸してくれ!」


『それは構いませんが……別に、今はまだいいのでは?』


「フォーレックス?!」


『いやだって、”この程度”なら、彼らが自力で排除しますよ。ほら、来ました』


 え、と顔を上げるアドラーの視界に、けたたましく、勇ましく、樹海を踏み砕きながら、その一行はコア側から姿を現した。


 それは、アルテミスの中枢コアと面会した時に、その直近で護衛についていたあの大型ガーディアン。それが、一機、二機、三機……次から次へと、何十機という数が隊列を組みながら魔獣達を阻むように姿を現す。ぽかんとするアドラー。


 陣形を展開しおえた大型ガーディアン。その背中、箱型の武装が一斉に起き上がる。二つに折りたたまれていたそれが展開され、長大な砲身を展開。身を低くしたガーディアン達が、それを地面と水平に、迫りくる魔獣の群れに向かって照準を定める。


 その砲に、月の明かりの下でもはっきりとわかる、紫電の輝きが芽吹いた。それは次第に輝きを増し、茨のようにのたうちながら砲身に絡みつく。ウィンウィンウィンと、どこからか響く唸りが高まっていく。


『アドラー、耳を塞いでください。鼓膜が粉砕されますよ』


「え……」


 言われて、アドラーが自分の耳をきつく両手でふさいだ直後。


 閃光と共に、世界から音が消えた。


 耳を塞いだからではなく、それを貫いて響くあまりの爆音に、他のあらゆる音が搔き消されてしまったのだ。それでいて、音はあまりの高音ゆえに、聴覚ではなく痛覚、激痛として認識された。それゆえの無音。


 閃光は、繁茂した茨が一斉に開花したが故。臨海に達した伝導体が、射出された弾体が大気との摩擦で放った、目を焼かんばかりの光。


 二つの苦痛に目を白黒させながらも、やがてゆっくりと聴覚と視覚が回復していく。そうしてようやく認識を取り戻したアドラーが目にしたのは、調子が戻ってきたばかりの己の目を疑うかのような光景だった。


 魔獣の軍勢が、ごっそりと消滅している。積み重なる黒い砂礫が、奴らの存在していた事を示す唯一の残滓だ。そして行列どころか、森そのものが、見渡す限り根こそぎ消失していた。まるで線を引いたかのように、防衛線を境にごっそりと木々が消し飛ばされ、一帯は視界の先まで何もない。全てなぎ倒されてしまった。夜闇の中でもはっきりと凹凸がねこそぎ消し去られているのがわかってしまう。


 まるで大いなる存在が、消しゴムで擦った様だ、と停止気味の脳裏によぎる。


『電磁投射砲です。ただの無人ドローンなど、数千集まった程度でどうという事はありません。森林保護の盟約に逆らう形になるので、ここいらまで追い詰められないと使えませんがね』


「と、とんでもないな……」


『別に、普通ですよ。AI戦争時なんて、数万どころか計測不能な数の殺戮ドローンが、空も地表も埋め尽くして、仮に電磁投射砲の掃射で薙ぎ払っても、瞬く間に埋め尽くされなおす有様でした。それに比べれば、こんな小規模な数の襲撃、防衛側が被害拡大を許容できればどうという事はありません』


「まじか」


 規模が大きすぎて理解できないまである。それに勝った人類すげぇ。


 だが。


『ですがその程度の事、AI戦争を生き抜いたアルテミスは十分把握しているはず。こんな雑魚相手に、そのアルテミスが、後継者を逃すという事実上の陥落を座視しているという事は、もっと別の問題があるという事です』


 そういわれても、アドラーにはピンとこない。今見せつけられた電磁投射砲の威力は圧倒的だった。仮に、荒野で交戦した超大型魔獣がダース単位で襲ってきても、容易く全滅させる事ができるだろう。それ以上の脅威となると想像もつかないし、理屈としてもあり得ないのではないか?


「そうか? 単に、森への被害があまりにも大きくなるから一時的に逃がすとかじゃないのか? いやだってこれ無敵だろ」


 おっと危ない、と耳を塞ぐアドラーの眼前で、砲身の冷却を終えた電磁投射砲が再び光を放った。虹色の閃光を放って撃ち放たれた砲撃は、森の木々ごととはいえ離れた場所にいた魔獣の大群をまとめて消し飛ばした。吹き飛ばす、というレベルではない。あまりの威力に、魔獣達は原形さえもとどめない。もとより利用法のないものではあるが、ここまで粉砕されていてはギルドでも取り扱ってくれるかどうか。


「考えすぎじゃないのか? これでなんか射線上に存在してたらそっちのほうがオカシイだろ」


『……いえ。射線上に、接近してくる動体反応を確認しました』


「え?」


『最初の砲撃跡を、高速で接近してきます。早い……!』


 その頃には、アドラーの目も接近してくる何かの存在に気が付いていた。アドラーの目が闇に慣れたとか、急に眼の性能が向上したとかではない。単純に、夜の闇にそれはひどく映えていたからだ。


 夜の闇に尾を引く、二筋の赤い光。蛍火のような、鬼火のような。不吉な予兆を孕んだ輝きが、躍動しながらまっすぐに走ってくる。


 即座に、防衛用ガーディアン達が反応した。彼らは迫りくる標的に向き直り、巨大な大砲を向ける。


 再び虹色の閃光が夜闇を焼いた。当然のように、光が消え去った後に、あの鬼火のような輝きは欠片も見当たらない。当然だ。あの破壊の前に、形を保っていられる物質など存在しない。


 なのに、アドラーは得体のしれない悪寒に空を見上げた。


 雲の向こうに、辛うじて月の存在が窺い知れる曇天の夜空。星の輝きなど見えるはずもなく、しかし不吉を告げる凶星のように、ゆらりと輝く二つの眼。


 直後、天を蹴るように加速した眼光が、流星のようにガーディアンに襲い掛かった。暗闇の中に、巨大な金属の塊同士がぶつかり合う甲高い衝撃音が響く。


「かわした?! あれを!?」


『原理的にはそうおかしな話ではありません。銃弾であろうとレーザーであろうと電磁投射砲であろうと、発射されてから弾頭を回避する事は私でも不可能ですが、発射寸前に銃口は必ず固定されます。事前に射撃に伴うデータを入手していれば、タイミングを計って射線から離脱する事は理論上可能ではあります。しかし……』


 フォーレックスの解析を、耳を劈く振動音が響く。ホーンズのそれと同系統の、不快極まる刃の軋み。高周波カッターの作動音だ。


 直後、血飛沫のような火花を噴き上げながら、ガーディアンが片足を切断されて倒れこむ。それを容赦なく追撃する刃の主。獣が死肉に牙を立てるように何度も刃をつきたて、瞬く間にガーディアンの全身がズタズタに引き裂かれていく。


 その中で、飛び散るスパッタが返り血のように襲撃者の全身を闇に赤く彩った。


 それは、骸骨のような獣だった。飢えて骨と皮だけになった狼のような、荒野に転がる朽ちた屍のような。乾いた感触の装甲も相まって、動くミイラのようだ。


 それでいて眼窩は煌々と赤く燃え盛り、口元には不釣り合いなまでに巨大な牙状の高周波カッターを備え、腐肉に食らいつくようにガーディアンの装甲を貪り破壊していく。


 魔獣。魔獣なのは、違いない。枯れる鋼鉄、赤い瞳。魔獣の特徴を、この敵は間違いなく併せ持っている。アルテミスのガーディアンを攻撃した事からも、こいつは間違いなく敵だ。魔獣だ。


 なのに、何故だろうか。相棒であるフォーレックスと、似ていると思ってしまうのは。


「いや、観察している場合じゃない! フォーレックス、アイツを倒すぞ!」


『アドラー』


 彼女の言葉は、いつものように人工的な平静を保っていた。澄んだ、それでいて冷たい声。


『アドラーの事を信用していない訳ではありません。私自身のスペックに自信がない訳でもありません。それでも言います。……貴方が、命を懸けるに値する理由が、この戦いにあるのですか?』


「ちょ、フォーレックス、この場に及んでアルテミスのために戦いたくないってのは」


『違います。そういう話ではありません』


 そこでフォーレックスは言葉を切り、一拍をおいた。まるで、話の続きをためらう様に。


『アレと交戦すれば、一定の確率で我々が敗れます』


「お前らしくもないな……。いつもは私の方が性能が上です! とかいうのに」


『冗談ではありません。敵は、おそらく私の同類のデッドコピーです』


 流石に聞き捨てならない言葉に、ようやくアドラーは事態を理解した。あの獣を見た時、フォーレックスと似ていると思ったのは、決して勘違いでもなんでもなかったのだ。


「それってつまり、人類の決戦兵器のコピー版って……ちょっと想像が及びつかないんだけど、滅茶苦茶強いって事?」


『流石に私の知るそれよりも大幅に劣化した、モンキーモデルですらない紛い物です。ですが現状は私の性能も大幅に劣化しており、性能差は決定的なものとは言えません。戦えば、力及ばない可能性は否定できません』


「……そっか」


『私は、目的の為に自らが無為に失われることも、あるいは許容できます。もとより、そういう目的のために作られたのです。ですが、貴方は。今の時代を生きる人間である貴方は、命を保証されるべきだと思うのです。私のライダー』


 ……彼女は、どこまでも真摯だった。本当ならばアドラーを問答無用でこの場から離脱させるべきなのに、彼女は主の自由意志を最大限尊重してくれている。そんな彼女だからこそ、アドラーも真摯に対話すべきだった。


 語るべき言葉は、そう多くはない。伝えるべき言葉は、実にシンプルだ。


「フォーレックス」


『はい』


「俺は、君に会えなくても、旅に出たよ」


 アドラーとしては、それが全てだった。


 フォーレックスに出会えたのは存外の幸運に過ぎない。きっと本来は、錆びかけた銃を宝物のように抱えて、あの鉄の墓場を去っていたはずなのだ。


 そして、それを頼りに旅に出る。その先で、もしかすると魔獣に殺されるかもしれない。ならず者に命を奪われるかもしれない。失望の果てに、旅に出た事を後悔したかも、しれない。


 それが分かっていても、きっと、自分は出会いの如何に関わらず外に憧れて。きっと、同じ判断を下す。


 覚悟があるなんて、その時になるまできっと言えない。それでも、そういった気持ちは、ずっと昔に固めていた。


 だから、それ以上の言葉は要らない。


 主と従者は、無言のままに死の満ちた戦場へと飛び込んでいった。


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